Ⅵ 影絵師リュージェ 3. 本の中のかくれんぼ2
フーガは歩いていると住宅街に出た。荷を担いだ物売りが家に商品を納めている所に出会った。
「はい、犬の餌と、猫の餌と、魚の餌ですさ」
「……は? 魚?」
フーガは振り返り物売りに近付いた。物売りはのんびりした声で商品をフーガに見せた。
「はい旦那、魚の餌がご所望ですかい?」
荷物の中には犬の餌と猫の餌と一緒に、みじんこがあった。
「都では犬は番犬用に、猫はねずみ取りに、金魚は鑑賞用に人気ですさ」
フーガは物売りを置いて先に進んだ。
また別の家では商人が家から出る所だった。
「米のとぎ汁を毎度ありがとうございます」
「何だ、それは?」
フーガは立ち止まって呟いた。商人は耳ざとく声を聞いつけ、フーガの元へ行った。
「米のとぎ汁は肥料になるんですよ、旦那さん」
「どうでもいい。リュージェを知らないか?」
フーガの乱暴な質問に気を悪くするでもなく商人は答えた。
「町の分茶酒店にリュージェっていう歌の上手い妓女がいたと聞いていますよ」
「それはどこだ?」
フーガは問い詰めるように商人を睨んだ。商人は気にせず親切に答えた。
「この先を歩いて行けば見える大きな料理店ですよ」
フーガは再び町に着いた。通りを出てすぐの所に大きな料理店があった。フーガは早歩きで入って行った。
店に入ると大広間になっていた。廊下が繋がっており、そこは小部屋が並んでいるふうだった。フーガは店を歩いていたボーイに詰問した。
「リュージェはいるか?」
ボーイは快活に答えた。
「はぁ、妓女のリュージェですね。ちょっと待って下さいね」
そう言うと、ボーイはそばにいた若い男を呼び寄せた。
「このお客さんがリュージェを呼びたがっているんで、代わりにお前さんが呼んで来たらいいぞ」
ボーイに呼ばれた若い男は物柔らかな態度でフーガに揉み手して言った。
「へい若旦那。私が探して呼んで参りましょう。ここでお待ちになっていて下さいな」
フーガは若い男に促されてそばの席に座らされた。若い男がその場を去ると、ボーイが注文を取った。
「何をお召しになりますか? 温かい物でも冷たい物でも何でもありますよ。もしお腹が空いているなら重たいものを先に、軽い物を後にとると宜しいですよ。スープ、鶏料理、羊料理、魚介類、蟹料理、その他どんな贅沢なご注文もお答えしますよ」
「料理はいらない」
フーガが断ると、ボーイはあっさり下がっていった。ボーイが下がると、知らない妓女がフーガのテーブルのそばで歌い出した。調子外れな歌だった。また、果物売りが他の客のいるテーブルに果物を置いていき、代金を徴収していた。果物売りはフーガの席にもやって来て、勝手にテーブルに梨を置いた。そしてフーガに手を差し出した。
「なんだ?」
「お客さん、お代お代」
「勝手に押し付けて何言ってるんだ!」
フーガが睨むと、果物売りは梨を下げて別のテーブルへ行った。
先ほど歌っていた妓女が歌が終わり、フーガに目配せした。
「お客さん、歌を聞きなさったでしょう?」
「それがどうした」
「お代を頂きたく思いますわ」
「はぁ? 頼んでないのに勝手に歌って何を言っている?」
「払って頂けないのですね」
妓女は機嫌を悪くしたようにその場を去って行った。
先ほどリュージェを連れてくるよう頼んだ若い男が女を連れて戻って来た。女はリュージェではなかった。
「若旦那、ウージェを連れてきましたよ」
「は? ふざけるな。違う奴を連れて来て何言ってる?」
フーガは先程からイライラが溜まっていた。若い男が言った。
「リュージェはこの店でお客さんの相手をしているらしいですぜ」
「自分で探しに行けってか」
フーガは立ち上がった。若い男はフーガに揉み手をした。
「若旦那。わたしゃ労を取ったんで、それなりの物を頂きたく存じますぜ」
「はぁっ? またか! この店はどうなってる……!」
フーガは叫んだ。
そこに空気を読まない僧侶が料理店に入って来て、太鼓を叩きながら時間を告げた。
「十分前。本日はお天気~」
「早くないか! 時間の勘定を間違ってないか!」
フーガは急いで大広間から廊下に入っていった。そこでは小部屋が連なり、そこかしこに女性の歌声が流れていた。フーガは歌声のする部屋を乱暴に一つ一つ見て回った。フーガが確認した部屋では宴席を中断され、客達はぎょっと驚き固まっていた。リュージェは見つからなかった。
全部の部屋を調べたフーガは肩で息をし、再び大広間に戻った。そこに伸びやかな声で歌を歌う妓女がいた。リュージェだった。フーガは急いで捕まえようとした。しかしフーガの前に先ほどの若い男と、調子外れな歌を歌っていた妓女が立ちはだかった。
「どうぞ若旦那、お代をお願いします」
「どけっ!」
若い男がフーガを止め、その間にリュージェは店からすっと出た。
フーガは若い男を振り切り、自分も店を出た。リュージェは待っていたように本を片手に店の前にいた。フーガが女に掴みかかろうとした時、僧侶が太鼓を叩きながらフーガとリュージェの前を通った。
「一時間。本日はお天気~」
リュージェは落ち着いた涼やかな眼でフーガを見た。
「決着は着きましたね」
フーガはリュージェを睨みつけながら「チッ」と舌打ちした。
「茶番に付き合わされただけだ」
「クロスを貰えますね?」
リュージェは念を押して言った。フーガは動かなかった。しかし気付けばリュージェの手に赤の駒のクロスが握られていた。フーガは首元を確認した。クロスは無かった。リュージェはそのクロスをスカートのポケットにしまうと、フーガに言った。
「この世界は私が思うように動かすことが出来ます。あなたのクロスは元の世界でも宣誓の後に預からせて頂いていました。これでお返しすることはありません」
フーガは短く言った。
「ここには用がない。さっさと元の世界に戻せ!」
リュージェは眼を細めた。
「どうしてクロスを無理やり奪うのですか?」
フーガは答えた。
「“宣誓”のルールは、もともとチェスの創始者が決めたものではないと聞く。後からプレイヤーの間で勝手にそういう決まりを作った者達がいて、それに他の奴らが合わせさせられたという。俺は宣誓は必要ないので、後付けのルールなど無視をした」
リュージェは意外な答えに少しの間、返答を迷った。そして考えた末、答えた。
「私は歴代のプレイヤーたちが、ルールがあいまいな中で、自分たちの間で発案して了解し、自発的に生まれて守られてきたルールだからこそ、大切なのだと思うのですが……」
しかしリュージェの答えはフーガには通じなかった。フーガは考えを変えることはなかった。去年のチェスでもその答えでプレイヤーに選ばれていた。今年も同じだった。
リュージェは手に持っていた本をぱたんと閉じた。背景が縮み、フーガは意識を失った。
[参考資料]
呉自牧『夢粱録1南宋臨安繁昌記』
梅原 郁 訳注、平凡社、2000年
呉自牧『夢粱録2南宋臨安繁昌記』
梅原 郁 訳注、平凡社、2000年
呉自牧『夢粱録3南宋臨安繁昌記』
梅原 郁 訳注、平凡社、2000年




