Ⅵ 影絵師リュージェ 3. 本の中のかくれんぼ1
フーガが眼を覚ました時、雲がぷかぷか浮かぶ青天が広がっていた。自分が寝ている所は、街道の脇の柳の木の根元だった。頭が少しくらっとする。起き上がって周りを見ると、西大陸とはどこか違和感がある光景が広がっていた。すぐそこには大きな緑色の川が流れ、水上には四角い舟に人がなにやら商売をしている。川は城壁に続いている。
自分は確か白のポーンの一人に狙いを定めて追跡していた。自分と同じ赤のポーンの魔弓使いピコット・ミルの放った“風の矢”が、一定の距離を置いて奴の跡をたどるのを付いて行き、そいつが入った家まで追った。そこで白のポーンを名乗る女に出くわし、その首に駒のクロスを下げているのを見て、魔剣の呪文を唱えたはずだ。では、ここはどこだ?
「それにしても、雲の陰がうるさい」
フーガは機嫌悪く毒づきながら、先ほどから光と影が交互にちらつく空を見上げた。その雲の色は銀色であった。よくよく見ると、空に浮かんでいたのは、大きな魚だった。
「……!? ここはどこだってんだよ」
いくら大陸広しといえども、魚が空を泳ぐのを見るのは初めてである。フーガはむすっと呟くと、立ち上がって川辺の商人の元へ尋ねに行った。
小商いの老人は、容姿や服装から判断して、どうも西大陸の人ではなさそうであった。しかし、言葉は通じた。
「ここは華の都、皇帝さまがおわします都ですさ。今日は城内はお祭りの予行練習だわさ。それはそれは華やかだから、見に行くといいですさ。ところで、まこもはいかがかね?」
「はぁ? 貴様なに言ってる……?」
皇帝を名乗る者のいる国は西大陸には無いし、こことは絶対違う。では他の大陸だというのか? 訳が分からない。ひとまずフーガは、まこも売りを無視して人の多そうな城内に入ることにした。
城内に入ると、人の群れができていた。人々は東大陸風の格好をしていて、何かを見物していた。フーガは人混みの中に混ざり、人々の視線の先を見た。煌びやかに飾られた象が二頭横に並んでいた。やはり東大陸風の服を着た人々が象の前に行列を作っていて、まるで祭りの行列のようだった。象の上には人が乗っていた。象使いのようだった。そのうち一頭の首の上には西大陸風の姿をした女が座っていた。フーガのそばにいた商人の男がフーガに話し掛けた。手には象の絵が描かれた紙の束を持っていた。
「今日は皇帝様のお祭りの予行練習ですぜ。百年以上前のお祭りでは象は七頭いたっていうから、こじんまりしたもんですな。旦那は旅の人ですかね? お土産に象のイラストはいらないですかね?」
フーガは商人に訊いた。
「ここはどこだ?」
「ここは東大陸のリンアンですぜ」
象は一礼すると、体を翻し去って行った。フーガは東大陸に詳しくないのでリンアンがどこの地名か分からなかった。とりあえず、象の行った方角へ歩いて行った。
町に来た。東大陸の人々が辺りを行き交い、見慣れない建物が川を挟んで建てられていた。東大陸の文字は読めなかったが、何となくどんな店なのか想像ができた。道は石畳であった。川には前後を落とした長方形の舟が行き交い、香料、雑貨などを運んでいた。
町の雑踏の中、西大陸風の格好をした女がフーガの前に現れた。女は若草色の本をページを開いて持っていた。その女は、白のポーンを追って入った家にいた女だった。女はフーガに言った。
「私と試合をして下さい、フーガさん」
フーガはさっと腰の剣を構えようとした。しかし剣は帯びていなかった。女は言った。
「魔剣はこちらで預からせてもらいました」
「ここは、どこだ?」
フーガは女を睨みながら短く問うた。女は答えた。
「ここは私が作った資料本の中です。あなたは今眠っています。この世界は夢です。ここは古の東大陸を基にして作成されています」
「貴様は何者だ? どうやったら戻れるんだ?」
フーガは勢いよく尋ねた。
「私は資料本製作者です。私と試合をして下さい。私はこれからこの町の中に隠れますので、一時間以内に私を見つけて捕まえて下さい。それができたら、あなたの勝ちです。あなたにクロスを渡して元の世界に戻します。
もし私を捕まえられなかったら、あなたの負けです。あなたが私にクロスを渡してくれたら、この世界から元の世界に戻します。
この試合の条件として、あなたは魔剣を賭けて下さい。魔剣は、元の世界で預からせてもらっています。あなたが負けたら魔剣をそのまま頂きます」
フーガは女を睨みつけた。
「あの魔剣は盗賊団の町ウィンデラの闇市場で手に入れた俺の物だ。くっ! 強制か……。やるしか俺には選択肢がない」
「試合を了承したとみなします」
女の言葉で、フーガと女のクロスが淡く光った。女は言った。
「私はリュージェと言います。三十分後と五十分後と、一時間後に太鼓が鳴ります。それでは私は隠れます」
そう言うと、リュージェは人混みの中に混ざって消えた。フーガはとりあえず辺りを歩いた。
町の中は色々な店が賑やかに商いをしていた。茶館、酒楼、料理店、麺食店、米屋、肉屋、魚介の乾物屋、薬屋、風呂屋など様々である。
「旅人の旦那、二日酔いの薬は大丈夫かい?」
出店で薬売りがフーガに声を掛けた。フーガは用がなかったので無視をして歩き続けた。
道を歩いていると、花売りに呼び止められた。
「旅の旦那さん、花はどうですか? ジャスミン、ひまわり、柘榴、くちなしなど揃っているよ」
「お前はリュージェを知っているか?」
フーガは相手の言葉に構わず質問した。花売りは答えた。
「昔のトウケイの影絵師の芸人でそんな名前を聞きましたねぇ」
「この町で影絵はどこに行けば見られる?」
フーガは女のヒントを掴んで花売りに問うた。花売りは答えた。
「この先を歩いて行くと芸人小屋に着きますので、そこを探して下さいな」
フーガは礼を言わず歩き出した。花売りが後ろから「ところで花はいらんですかぁ」と叫んでいた。フーガはこの世界の人はろくなことを言わず相手にしても無駄かと思っていたが、花売りの件で情報を聞き出せることを知った。
フーガは芸人小屋のある通りに出た。講釈、操り人形の並びに影絵の小屋があった。観客たちが集まる中、影絵の小屋へと入った。
フーガは中に入ると暗い舞台の中、影絵が滑らかに昔話を語っていた。語り手は男の声だった。隣にいた観客の男がフーガに話し掛けた。
「昔のトウケイでは影絵は紙で作られていたんだとさ。今の物は羊の皮で作られ、技術が精巧になったらしい」
「リュージェを知っているか?」
フーガは再び女の名前を尋ねた。
「ここの影絵師ではないねぇ。芸人は多いからさ、分からんよ。隣の芸人小屋でも探してみればいいんでない?」
フーガはここには件の女がいないことが分かり、小屋から出た。
フーガは隣の操り人形の小屋へ入って確認した。そこでは裁判物の話をしていた。そこでも語りは男で女ではなかった。
フーガは次に講釈の小屋へ入った。そこでは女講釈師が大きな扇子を片手に持って「水のほとりの物語」という話を軽やかに語っていた。あの女だった。フーガは捕まえに行こうとしたが、集まった観客が壁になって舞台に行けそうになかった。
「くそっ!」
フーガは一つぼやくと急いで小屋から出た。小屋の裏側に回り、芸人用の入り口を見つけて中に入った。しかし、その時には講釈は終わっていて、女芸人は消えていた。
フーガが通りに出ると、僧侶が声を上げて時を伝え歩いた。
「三十分経過。本日はお天気~」
「チッ」
フーガは舌打ちし、再びヒントがないか辺りを歩いた。
[参考資料]
呉自牧『夢粱録1南宋臨安繁昌記』
梅原 郁 訳注、平凡社、2000年
呉自牧『夢粱録2南宋臨安繁昌記』
梅原 郁 訳注、平凡社、2000年
呉自牧『夢粱録3南宋臨安繁昌記』
梅原 郁 訳注、平凡社、2000年




