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The Chess  作者: 今日のジャム
Ⅵ 影絵師リュージェ
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Ⅵ 影絵師リュージェ 1. ネズミも足の踏み場なし2

 リアは家に入った途端、先ほど扉をノックした直後に聞こえたバサバサバサッという音の正体が何だかすぐに分かった。その家は、家というより“本の倉庫”といった方が正しかった。床一面に古くて大小さまざまの西大陸の言語とは違った本が、身長よりも高く積まれていた。リアがよく見ると、それは東大陸の言語らしかった。リュージェの抱えていた若草色の本も、東大陸の文字でタイトルが記されていたので、たぶんこの家の主は、東大陸のことについて研究している学者なのだろうとリアは思った。しかし、リュージェの職業である“史料本製作者”とはどのようなものなのか、リアは全く知らなかった。見たところ、通路も部屋もめいっぱい占領している本たちは、何の変哲もない普通の書物のようであった。史料本とはあまり聞かない名称である。


 厚い本がきれいに並んでいる壁の本棚と、床に積まれた無数の本、それと少しだけ開けられたスペースに置いてある長椅子と仕事机、これが一階部分の全てであるようだった。ちなみに、その空けてあるスペースさえ、長椅子の足元には本の山が崩れた跡ができていた。


「本当は二階の部屋の方が、散らかり具合がまだましなのですが、上は作りかけの史料本置き場なので、もし万が一リアさんが散らかっている史料本に巻き込まれては、その本を探すのも大変ですので、すいませんがこの長椅子に座ることで許して下さい」


「こんなに本に囲まれたのは久しぶりです。ちょっと読んでみてもいいですか?」


 リアは楽しそうにリュージェに尋ねた。この本たちの主は、快く承諾した。


「ここにある本はすべて東大陸の歴史の本で、言語も東大陸の煩雑な文字で書かれていますけれど、それで大丈夫ならどうぞご覧下さい」


「ありがとうございます。その前に、本を汚さないように先に手を洗いたいのですが……」


「いいえ、そんなに気にしなくても結構ですよ」


 リュージェの了承を得て、リアは足元にあった一冊を手に取ってみた。タイトルは『南北時代の食文化』。その本にざっと目を通したところ、東大陸の南北時代という一時代に食されていた料理を、「焼く」や「煮る」などの調理法名ごとに区分けして解説している本だった。他の本も見てみると、『地理誌』や『東大陸服飾伝』や『政経史』、小説では『水のほとりの物語』や『昔話笑話集』や『古今短編怪談集』など、他にも『東大陸通史』、『史話』などなど、家の主の言うとおり、東大陸の古い歴史をテーマにした書物ばかりだった。


「どうもありがとうございました」


 リアは周りにあった書物を一通り見終えると、最後に手にした歴史書を元の山に戻して、リュージェにお礼を言った。リュージェはいつの間にか、若草色の本を抱えたまま仕事机で伏せって仮眠していたが、声を掛けられるとすぐに起きた。


「いえいえ、私の家の本を読みたいと思う方はそうそういませんので、リアさんが興味を持ってくれるのは嬉しいんですよ。この本は、東大陸と西大陸を往復する行商人に無理を言って取り寄せてもらった古書や新書です。この史料を使って二階で史料本を作るのですが、史料本をじっくり見るには少し時間がかかるんですよね。ああ、私が今肌身離さず抱えているこの本が自作の史料本です。今回のチェスではこれともう二、三冊あれば十分かと思っています。はぁぁ。あくびばかりしていてすいません。普段は夜型なものですので、チェスが始まってもなかなか体が昼型にならなくて……。リアさんは、これから白の王城へ行くんですよね。そういえば、リアさんの職業は何ですか?」


 リアは三角帽子を脱いで、あらためて自己紹介をした。


「僕は召喚士です。さっきエントランスで伝言を届けてくれた紫色の小ネズミは、カラバリという種類の小型モンスターですよね? アルコールが唯一の餌なんですよね」


 リュージェはにっこり微笑んで頷いた。そういえば、先ほどのネズミはここにはいない。


「ええ、彼は無精者の私の助手です。名前はワインと言います。お客様に気付くのが早くて、私が本製作に没頭している時や午前中に寝ている時、来客を教えてくれるんです。いつもはこの家の本の小山の中を駆け回ったり、たまに史料本の中に入って遊んでいるようです。ああ、史料本とは何かの説明がまだでしたよね」


 そういうと、リュージェは腕に抱えた若草色の本をリアの前にそっと置いた。表紙に金文字で書かれたタイトルは、『夢の粱の話』。


「触ったり開いたりはしないで下さい。見た目は普通の書物なのですが、チェスで使えるように、私以外の第三者が扱えないように設定しています。この史料本には原本というものがありまして、もともとは作者である東大陸の昔々のお年寄りが、自分の若い頃に住んでいた国都の様子――例えば皇帝のお祭りの様子や、どこにどんな建物があったとか、どんな食べ物を食べていたとかなどといったことを事細かに文章で列記した本なんです。そんな古の都をわかりやすく再現したのがこの“史料本”です。


 少し補足すると、その作者が生きていた時代というのが、東大陸では時代の大きな変わり目で、作者の若い頃、広大な大陸の統治者が交替してしまったんです。ちなみに、東大陸は西大陸とは違って、多くの大小様々な国々が大陸中に乱立するのではなく、百年から四百年くらい一つの政府が大陸全土を統治します。


 作者の思い出の南北時代は、東大陸を半分づつに分けて、南北を二つの王朝が治めていた特殊な時代です。その時代は約百四十年続いたのち、南北とは別の第三者が二つの王朝を滅ぼして東大陸を再統一しました。その時、作者の住んでいた都は新しい王朝に変わった時に国都ではなくなり、首都から一地方都市となりました。その都市はまだ国の都だった頃、百万の人口を擁していて、その時代の東西南北全大陸でも最も繁栄していた大都市だったのです。


 作者はそんな百四十年続いた国都の栄華が地方の一都市となって凋落していくことを切なく思い、そこが昔どれだけ賑わっていたかを後世に残すため、風俗や文化などを事細かに書き留めておいたのです。これが『夢の粱の話』です。


 私たち史料本製作者は、そういったその時代の風景を映像化するのがお仕事です。史料本とは、簡単にいうと仮想空間を見せる本なのです。一ページ目に目次があり、見たいページを開くと、読み手を仮想世界に引き込み、そこに記されている情景を歩いて自由に見て回ることができるように仕掛けてられています。


 読み手は本の中に入ると、仮想世界の中でも、そのページが開かれた本を持っていて、他のページに飛びたくなったら別のページを開いて、本の中から出たくなったら本を閉じればいいように作られています。その本は史料本の地図ということになりますね。万が一本の中で手持ちの地図を失くしてしまっても、一定時間が経つと自動的に脱出できるように機械的に設定されています。


 でも本が未完成だと、仮想世界を歩いている途中で風景が真っ白になったり、ページを操作する地図がなかったりなどの欠陥がありますので、取り扱いには気を付けなきゃいけないんです――」


 リュージェはそう説明して、リアに若草色の本の目次を開いて見せた。目次の文字は、西大陸のものだった。


「この史料本が見せる仮想空間は、製作者の知識の度合いによって精密さや正確さが変わりますので、たくさんの史料がいるんです。でも、残念ながら古い歴史を再現するには史料がそこまで残されていなくて、分からない部分は製作者の予想で補うしかないんですよね……。それで今回チェスに参加しようと思ったんですが――」


 その時、上の階でドサドサドサッという音が響くのが聞こえた。リュージェは本を閉じ、再び抱きかかえてさっと立ち上がった。


「あらあらあら、今日二回目の雪崩だわ。ワインは大丈夫だったかしら……? すいませんが、二階を見てきます」


「はい。でもよろしかったら、本には触らないので史料本製作の部屋を拝見してもいいですか?」


 リアも立ち上がってリュージェに頼んだ。


「そうですね。せっかくですから、少しだけお見せしますか。どうぞ足元にはお気をつけ下さいね」



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