Ⅵ 影絵師リュージェ 1. ネズミも足の踏み場なし1
リアはアラネスからの旅の途中の森で、赤のポーンの剣士フーガと弓使いピコットに遭遇し、一緒に同行していた白のポーンの騎士エンドと二手に分かれて逃れた後、アラネスの情報屋メイヤーに教えてもらった白のポーンの学者リュージェのいる町サランを訪ねていた。アラネスを発ってから三日が過ぎていた。その間リアは敵味方を問わず他のプレイヤーには全く会わず、町を通過する時に寄る教会でも参加者が同じ町に居合わせているということも聞かなかった。しかし、ここサランは白の城から二日の直轄領である。リアはそろそろ赤の国から追う者が姿を現し、ゲームの攻防が起こるだろうと予感していた。
サランは特に名所旧跡も不思議な特産品もない普通の町である。もちろん盗賊団の町ウィンデラのような裏の顔もない。町の外れには小さな川が流れており、その流れは白の王都まで続いている。リアがサランに来たのは今回が初めてである。
町は石畳の大通りに面して背の高いレンガ造りの建物がすきまなく並び、その一階部分は食堂や雑貨屋などの店舗となっていた。二階から上は居住部分である。リアは正午過ぎにサランに到着すると、教会で町の住人に詳しい僧侶に、訪問先の住所を聞いた。
「ああ、史料本を製作している学者さんですね、リュージェさんは。あまり外に出たがらないリュージェさんが、なぜか今回チェスに参加してましたけれど、まだ一度も町を出てませんので……というよりたぶん家からも出てないだろうなぁ……とにかくこれから訪ねていけばお会いになれると思いますよ。場所はステインツ通り二十二番地です」
「どうもありがとうございます」
リアは僧侶に会釈すると、教えられた通りの住所へと向かった。
大通りを二本それた路地を数分歩いた先に、同じようなデザインの小ぢんまりとした二階建ての家が立ち並ぶ通りがあり、その並びにリュージェの家はあった。リアは一緒に歩いてきた鹿ココアをエントランスに留めると、いつものとおり瑠璃色の鳥カイヤに外の見張り番を頼んで、もう片方の双子鳥サイトを肩に乗せ、栗色の扉を軽くノックした。
その途端、家の中の方で何かバサバサバサッと崩れる音がしたようだった。リアは少し不安になったが、その後はまたシーンとして反応がなくなった。少しすると、扉の下の方に作られた小さなドアから、鮮やかな赤紫色のネズミが主人に代わって現れた。そのネズミは青い目で訪問者を見上げて、しっぽに巻きつけられた伝言の紙切れを示した。リアはしゃがんでそれを受け取って読んだ。
『ただいま片付けをしておりますので、少々お待ち下さい』
「わかりました。突然の訪問ですいませんでしたとリュージェさんにお伝え下さい」
リアがしゃがんだまま優しくネズミにそう言うと、小さなメッセンジャーは理解したように走って家へ戻っていった。
そしてまたしばらく待つと、今度こそ家の主が扉を開けた。
「はぁぁ。たいへんお待たせしました。どうぞお上がり下さい」
リュージェは、若草色の表紙の分厚い本を一冊抱えながら、眠たそうに来訪者に挨拶した。
「初めまして。僕はアラネスから来ましたチェスプレイヤーで、白のポーンのリア・クレメンスと申します。この肩の鳥はサイトで、性格は落ち着き屋なのでご迷惑はお掛しないと思います」
リアはそう名乗ってケープの下にしまっていた駒のクロスをリュージェに示した。
「はぁ、ようこそリアさん。アラネスってここから遠いですよね……ええと、今日はチェスが始まってから何日目ですっけ?」
「五日目です……?」
「ええ? ……ではもうチェスの“試合”がありましたか?」
「はい、教会で聞いた話では、ナイト同士の馬上試合があったそうですね……??」
リアはリュージェのピントの外れた質問を不思議に思った。しかしその答えは至極簡単だった。
「そうですか。今日が八月三日だと思っていましたので、私は二日勘違いしていたのですね。はぁぁ。家の中にこもって夜中に作業していると、たまに自分の中のカレンダーが間違うことがあるんです。……さぁ、散らかっていますけど、どうぞお入り下さい」
そう言って、生あくびをしながらリュージェはリアを家に招き入れた。




