Ⅴ- ii 館長リアル (8月5日、8月6日) 2. クロス会議1
ひいはいつも小柄な体に大きなリュックサックを背負っている。そしてそのスタイルは高校を卒業して大学生になっても変わることがなかった。
八月五日九時につつじ北駅の改札口前で高校時代からの親友と待ち合わせをしていたひいは、待ち人が現れると相手の所へ駆けつけ、所かまわず喜びはしゃいだ。
「たまゆらちゃん! 聞いてよ! 今日やっと“The Chess”の続きが来たんだよ! ガーラちゃんの物語がやっと始まったんだよ!」
「はいはい。その話は私の方も読んだから……」
たまゆらは、改札を出た途端ひいが大喜びで飛びついてきても、いつものように落ち着いて、この子どものように無邪気な親友をなだめようとした。しかしひいは、それに構わず、滔々と喋り続けた。たまゆらは、こうなるとひいは、自分の気が済むまで話さないと止まらないので、無言で親友を少しづつ通路の端に誘導しながら、ひいのお喋りに聞き手としてしばらく付き合った。
「――それでね、ガーラちゃんはシャトランジで、追っ手を撃退したんだよ! 本当にかっこ良かったの! ガーラちゃん、『その勝負、引き受けるわ!』って、そりゃあもう、気っ風のいい姉御肌で……中略……ガーラちゃんってね、とってもきれいな黄色の瞳でね、用心棒の大蛇の付き人も、人間の姿になると、そりゃあもう絶世の美女になるんだから! ……中略……あとね、……中略……それとね、レンくんともやっと会えたんだけど、その時たまゆらちゃんに会った感じがしたんだよ! すごいよね、この“The Chess”って!」
ひいはひとまず言いたかったことを語り尽くしたら、しばし沈黙した。そしてゆっくり深呼吸をした。たまゆらはそろそろかなと思って、ひいに話しかけた。
「落ち着いた?」
すでに駅の電光掲示板横の時計は九時三十分を示していた。
「うん! じゃ、図書館に行こうか! サークルの会合の始まる一時間前に待ち合わせしておいたから、たっぷりたまゆらちゃんに語れて良かった! 私の一人話に付き合ってくれてありがとう! たまゆらちゃんがレンくんで本当に良かった!」
「はいはい」
たまゆらは、これもいつものように、短い相槌でひいの感謝の気持ちに応えた。しかしたまゆらは、こんなにひいが“The Chess”に真剣にはまり込んでいて、もしひいの夢の主人公ガーラが後々クロスを捕られることになったらと思うと、少し心配になった。
仁科ひいと小坂たまゆらは、同じつつじ女子大文学部国文学科一年である。二人は、高校からの文芸サークルの友達であり、インターネットのネットゲームもよく一緒に参加していた。大学では“よろずやブンガクサークル”に入っていて“The Chess”は、そのサークルの先輩に紹介されたのだった。ちなみにそういう物語が大好きなサークル仲間の多くがクロスを借りていて、その先輩はさらに今年は白の駒のクロスを借りていた。
二人はこれから、そのサークルに顔を出し、のんびりお茶を飲みながら、“The Chess”の報告をするのだった。
「ねぇ、たまゆらちゃんって、レンくんに似てるよね!」
ガラス張りの連絡通路を歩いている途中、突然ひいはたまゆらの顔を見上げて言った。
「え、そう? 自分ではわからないけど、どこら辺?」
「頭がいいトコと、目立つことが大嫌いなトコが似てるなぁーって。たまゆらちゃん、高校の時から成績良かったし、大学でも新しい語学覚えるの早いよね! でも目立つのが絶対嫌で、物知りなのにサークルでも遠慮して口にしないことが多いよね」
ひいの月旦にたまゆらは「そうかな」ととぼけて見せた。たまゆらは逆にひいと夢の中の女傑ガーラを比べてみた。どちらも元気の良い娘であるくらいの共通点しか思い浮かばなかった。
二人は大図書館二階東側エントランスの黒いゲートから入場し、いつものサークルの会合場所である三階西側五番街“円卓広場”へと足を向けた。
このサークルは、会員が十五名程度で、会合がある時はおのおの飲み物やお菓子を持参して、古典文学や児童文学などで面白かったものを仲間に薦めたり、文章や漫画で二次創作を楽しんだりしていた。
ひいとたまゆらが会合場所に着くと、今日参加予定の先輩たちが部屋の中央にある円いテーブルの席にそれぞれ腰掛け、すでに全員集まっていた。
「やあぁ! ひいちゃんにたまゆらちゃん! “The Chess”はその後どうだった?」
肌が白く人懐こい顔立ちの先輩が、到着したひいとたまゆらに勢いよく肩をたたき部屋へ招きよせた。首元には飾り石のない銀のクロスを掛けていた。歓迎の挨拶をしたのは、このサークルの会長である国文学科三年の海老名千勢だった。サークル仲間からはえびちゃんと呼ばれている。ひいは先輩に負けないくらい元気よく答えた。
「もうガーラちゃん格好良かったですよー!」
ひいとたまゆらはドア付近の空いていた席に落ち着いた。海老名会長は満足そうに何度か頷いた。
「うちのサークル始まって以来久しぶりの駒のクロスだからね! 今年はしかも琥珀とひいちゃんとたまゆらちゃんの三人だから大漁! 大漁!」
「えびちゃん、テンション高過ぎ! えびちゃんのクロスの話も面白かったよ。ぜひ二人に聞かせてあげなよ」
奥の席で、三年生の先輩が会長に合いの手を入れた。海老名会長は「いいよー」ともったいぶるように言って夢の話をした。
この先輩のクロスは観戦者用クロスだった。大学一年生でこのサークルに入会して以来毎年“The Chess”を借り続けていた。夢ではずっと、チェスの円卓会議で議長を務める教会の大僧正だった。
「最近は百五十一ある観戦者用クロスで返却がされていないものがあって、頭を抱えているようだったよ。そんなこともあるんだねー」
海老名会長は飄々と言った。運が良いのか海老名会長は向こうの世界でチェスの運営に関わる僧侶の夢を見るので、チェスの裏話ができた。その話はサークルでも盛り上がっていた。
その後、ひいとたまゆらは持ち寄ったプチシュークリームや鈴カステラをテーブルの中央に他のお菓子の山と合わせて置き、持参した飲み物のボトルをテーブルの手元に置いた。ひいは、リュックサックから小型のノートパソコンを取り出して、テーブルの下に顔をもぐらせ足元のコンセントにプラグを差し込み電源を入れた。
二人が会合への参加準備を終えたら、たまゆらの隣に座っていた二年生の先輩が二人に声を掛けた。
「おはよう、お二人さん。大活躍だったね」
先輩は微笑みを二人に向けた。たまゆらは自分に向けられた落ち着いた茶色の瞳が僧侶を思い出させた。この先輩の首元には銀のクロスがあり白石が嵌め込まれていた。たまゆらは先輩に礼儀正しく挨拶をした。
「おはようございます琥珀さん」
茶色の髪をゆるやかにウェーブを入れたこの先輩は、国文学科二年の狭川琥珀だった。夢の中ではレンの世話役の僧侶ラルゴだった。




