Ⅴ- ii 館長リアル (8月5日、8月6日) 1. 館長リアル
綿は始め、目の前のピンク色のストレートヘアに小麦色の額を出した、気の強そうな青目の女性が、“The Chess”の世界からこちら側の世界に飛び出してきたキャラクターだと思った。年齢も国籍も読み取れないこの華麗な美女は、大図書館の館長であった。
しかし綿は、今まで一度もこんな派手やかで目立つ姿の女性など、図書館内でも見かけたことがなかった。“The Chess”の編集者は、この館長であるらしい。いつもは“本”の世界にいるのではないだろうかなどと、綿は呆然と非現実的なことを考えた。
クロスの盗難を申告するため、午前の夏期講習を一つ休んで重たい足取りで図書館へやって来た綿は、二階総合カウンターの優しそうな司書にその用向きを伝えた。司書はすぐに事件の重大さを飲み込んで、綿を四階の人気の少ない一角に並ぶ関係者以外立ち入り禁止の部屋、通称“開かない茶の扉”の一つに案内した。ドアには、銀色の飾り文字で“haigha”と書かれてあった。何て読むのかはわからないが、案内人は、ここは館長室だと教えてくれた。
その部屋に入ると、中は海岸が見渡せる普通の応接室のようであった。座り心地のよさそうな黒いソファーとがっしりとした木製のローテーブルのセット、背の低い焦げ茶色の本棚には皮表紙の洋書が数冊並び、ガラス張りの窓の前にはクラシックな大机が置いてあった。室内の調度で目を引くのは、本棚の反対側の壁に掛けられた、大きめの額縁に飾られた絵画だった。古代遺跡の絵だろうか。それは全体的に土色で塗られていて、四角い建物や尖塔が大通りに面して並んでいた。人は描かれていない。だが建物の中には人がいるのではないかと綿は思った。まるで、その建物群の外は地の果てまで砂漠のように何も無く、ただ塔のためだけに作られた世界のようだった。
案内してくれた司書は、綿をソファーに座らせると「今、館長が来るからね」と言い置いてカウンターに戻っていった。そして綿はそこで一人で少し待つことになった。
待つ間綿はぼんやりと、八月一日の深夜一晩だけ夢見た“The Chess”の世界を思い返した。
綿はあちらでは二人の母を持つ小さな魔女だった。名前はピアスン・ワトソン。黒いぶかぶかの三角帽子に、ひらひらした黒ローブを羽織り、耳と八重歯がとがっていて、四六時中空中をぷかぷか浮遊している、好奇心旺盛な子どもだった。
ピアスン・ワトソンの家族は、働く魔女と育ての魔女の三人家族で、伝統的な独特の粗末な木の家で暮らしていた。これは魔女婚と呼ばれる、特定の魔女が結ぶ家族の形態であった。子どもは働く魔女ワトソンの子である。働く魔女の方は、星霜院という魔女の館に勤め、育ての魔女ピアスンは、幼子の世話と魔法を教えていた。幼子の名前は両親の名字を連ねたものだった。成人したら、本当の名前を授かる。
魔女婚の起源は、魔女が古くは、呪い師のように生涯一人暮らしであることから始まった。古代魔女は一日中独りで自然を観察して己の持つ魔力の使い方を研究し、村の中ではそうして得た魔法を使って婚礼や出産の手伝い、葬式などの儀礼を行うことを仕事としていた。自然が師であり、独力で魔法を覚えていく古の魔女たちの間では、一生をかけて常に探求活動に没頭するため、独り身であることが最も良いと信じられていた。儀礼を司る仕事は、村の中の人の出入りを儀式という形で管理するという、村にとって重要な役目もあった。その頃は、僧侶が戸籍を管理することもなく、人の生死を記録に残すということも一般の人々はしなかった。旅人も少なく、今でいう冒険者も獣を倒す戦士くらいしかいなかった。
しかし時代が下り、教会組織が西大陸中に整って、僧侶が戸籍を管理するようになると、儀礼は教会が代わって取り仕切るようになり、魔女たちは村での仕事がなくなった。そしてある者は、村を出て冒険者となった。その頃にはすでに、魔法は魔女だけの知識ではなく、魔女から魔法を教わった“魔法使い”が多く現れ、冒険者として先鞭を着けていた。魔法使いたちは、旅の道が整った西大陸を駆け回って、魔法を使って猛獣狩りや古跡探索などを行い活躍していた。
また一方で探求心の強い魔女たちは、村での仕事がなくなった時、色々な地方からひとところに集って、己の自然研究を研磨し儀式の知識を集大成する場所である“館”を作った。館は魔法学と、独特の儀礼を司る場となった。西大陸の中で館は五種類しかない。“星霜院”“花草院”“風爽院”“水想院”“鳥巣院”である。それぞれの館の違いは、葬送の違いである。その中でピアスン・ワトソンの働く魔女の勤める星霜院は、“星葬”を行う。魔女の館が執り行う儀式は規模が大きく盛大であった。ゆえにそれを行うのが相応しいとされたのは大国の王家の者だった。西大陸の古くから続く王家には、おのおの五つの館のいずれかと結んでいた。
「ピアスン母さま! ワタ、教会からクロス貰ったぜよ!」
小さな子ども魔女は教会から家へ帰ると母の元へ飛んでいき、クロスを自慢した。ピアスンは我が子を笑顔で出迎えた。
「お帰り、ワトピー」
「ワタ、これから白の王城へ行くぜよ!」
ピアスンは大きく頷いた。
「ええ。行ってらっしゃい。クロスは大事にローブの下にしまっておくのですよ」
「分かっているぜよ! 帰ったらいっぱいお土産話を持ってくるぜよ!」
ピアスン・ワトソンはにこやかに母に挨拶をすると旅立った。
ピアスンは我が子の背を見て祈った。
「古の大魔女様、どうかピアスン・ワトソンの旅に苦難がありませんように」
そんな綿の回想は、その女性の入室と挨拶で打ち切られた。
「ええーっ!? 駒のクロスが盗まれたぁ? あぁ……。やられた……。……。……あ、弁償できるなんて考えないでね。高校生が一生働いてなんとかなるような額じゃないから。材料費とシステム修復費だけで、この図書館買えるくらいあるのよね、アレ……。まぁ、しょうがないから探すことにするわ。ああ! 帽子屋のあほんだらっ!」
女性は大げさに頭を抱えた。
「私はこの図書館の館長で弥生リアルといいます。この件は警察に盗難届けを出すことを了承しておいてね」




