Ⅴ 商店背負いの行商娘 1. 迷子の迷子の蛇使い 2
小さな満月が遠い所で黄金色に輝いていた。砂漠は寒く静かである。夜の黒と月の金以外なにもない砂の海に、一軒の白壁の館があった。
館の中では暖炉の炎がちろちろと二つの影を躍らせていた。
「……で、ここはどこだっていうのかしら」
少女は暖炉を見つめながら隣に佇む大蛇に独りごちた。大蛇は困ったように主人である少女の黄色の瞳を見つめた。少女はチェスが始まってから五日間、ずっとこの砂漠で迷っていた。少女の名はガーラ。褐色の肌の商人だった。隣の大蛇は用心棒代わりの従者だった。ガーラが商う商品は、全部白いリュックサックに入っている。このリュックには、旅先で泊まる館や数週間分の食糧や、移動用の絨毯も収納できた。
ガーラが砂漠に迷い込んだのは、チェス一日目の絨毯で空を飛びながらキルシュ領クラムディアへ向かっていた時だった。初日の地点から西へ一日分を行けばクラムディアに辿り着くはずだったが、いつの間にか砂漠に入ってしまった。この砂漠は、ガーラが持つ最新の地図には無かった。それからというもの、どんなに西進しても、砂漠から抜け出せなかった。
ガーラは首に提げた銀のクロスを明かりにかざした。クロスは真ん中に白石が嵌め込まれ、三角形の上に小ぶりの円が載っている模様が透かして見えた。ガーラがチェスに参加したのは初めてだった。チェスには商売の宣伝の為に参加した。冒険には自信があったが、中央大陸出身のガーラは西大陸の不思議な地形や気候に詳しく無かった。地図通りに町が無いという西大陸ではよくあることには馴染が無かった。
ガーラはふと誰かに呼ばれたような気がした。暖炉から離れ、窓の外を見た。辺りは静かな砂の海で、黒の空が広がっていた。幸い、この砂漠には野獣や凶暴なモンスターの気配はなかった。遠くに目を遣ると、動く物が見えた。それが人の大きさをしている様子を見ると、ガーラは外に出る準備をした。
「誰かいるみたい!」
ガーラはリュックを背負い、お付きの大蛇と一緒に外に出ると、リュックを開き館に向けて短く呪文を唱えた。館はするするとリュックに吸い込まれて、数秒で鞄に仕舞いこまれた。
砂の海を少し歩くと、倒れている人を見つけた。ガーラと同じくらいの年齢の少年で、髪の色が白く、肌は青白い中、頬が赤かった。少年は高熱で倒れているようだった。
「ディアドラ、この少年を運んでちょうだい」
ガーラは大蛇に向かって言うと、大蛇は人間の女性の姿に変わった。肌は艶のある褐色で長い髪は銀髪、大きなアーモンド形の瞳の色は黄色で、温厚そうな雰囲気だった。ディアドラは少年を背負った。
ガーラは再びその場所にリュックを開き呪文を唱えて館を築くと、暖炉のそばに寝台を置き、少年をそこに寝かせた。少年の首には、白石が嵌め込まれた銀のクロスが掛けられていた。
少年が目を覚ましたのは一時間後だった。まだ熱は下がっていなかったが、赤い目が砂漠の中の館を見つめた。
「ここは、あなたの家ですか……?」
白い髪の少年はガーラと目が合うと小さな声で尋ねた。ガーラは安心させるように答えた。
「そうよ。私は行商人のガーラ。あなたは多分、白のポーンよね」
少年は頷いた。
「僕はレン・アーデンです。あなたは白のポーンのガーラさん、ですよね?」
少年はガーラの首元のクロスを見て尋ねた。ガーラは「そうよ」と答えた。
「ここに他に人は来ませんでしたか?」
少年は心配そうにガーラを見つめた。ガーラは首を横に振った。
「大丈夫よ」
「そうですか。僕はあなたを探していました」
白髪の少年レンは起き上がろうとした。熱の冷めない体は、少し揺れた。ガーラは病人の背を支えた。
「無理しない方がいいわ、レン。冒険のストレスで体が弱っていたのかしら。熱冷ましの薬があるからそれを飲んで、もう少し眠っていたらいいわ」
ガーラはリュックのポケットから常備していた粉薬を取り出し、冷えた水の杯と一緒にレンに渡した。レンは受け取ると静かに飲み干した。
「ありがとうございます、ガーラさん。今、赤のポーンの一人が僕を追っています。キルシュ公クラムディアで会ったポーンの騎士です。僕が眠っている間に彼が来たら、たぶんガーラさんに勝負を挑むと思いますが、気を付けて下さい……」
ガーラは自信に満ちた笑顔を見せた。
「安心して。誰が来ても私なら大丈夫よ」
レンはガーラの強気な面持ちを見て取るとかすかに笑んだ。
「ガーラさんは、この砂漠に入って何日目ですか……?」
「チェスの初日に砂漠に迷い込んで今日で五日目の朝のはずよ。何なのかしら、この砂漠は」
「この砂漠は西大陸では“さかさま砂漠”と呼ばれています。三つ頸の翼竜が住処として背負う砂漠です。町や森が砂漠に覆われ、旅人を惑わします。元の町や森は消えることは無いのですが、その空間の上に砂漠が重なり、旅をしている人が砂漠に迷い込むと、抜け出すためには翼竜がその場を離れるか、旅人が翼竜が空に飛び立った所にできる砂の中の影に入らないといけないのです。僕は白のポーンのガーラさんが砂漠に迷い込んだようだと知り、ここまで来ました」
レンはそこまで言うと、休むように言葉を止めた。
「ありがとう、レン。それじゃ、三つ頸の翼竜を探せばいいのね。レンの熱が下がったら、一緒に絨毯で空から探しましょう」
レンは「はい」と答えると床で再び横になった。ガーラはレンが眠りに就くのを見守ると、リュックから西大陸の百科事典を取り出した。そこで“三つ頸の翼竜”の項目を探した。西大陸の百科事典は、一冊で魔術で出来た異空間や自然の中の魔法や有名なモンスターなど森羅万象多くのことを網羅していた。調べる人は、目次でキーワードを探すが、目次のページにその言葉が無ければページを下から上に引き上げるように指でスクロールする。すると文字が下から上に流れていく。それからキーワードを見付けると、そのページを探す。百科事典のページ数は見た目と違う。パラパラめくるとページ数がどんどん増えていき、一万ページにも百万ページにもなる。その中でガーラは三つ頸の翼竜のページを探して開いた。それは“さかさま砂漠”というタイトルだった。そこには古い詩が記されていた。
窓の外は砂砂漠。
月は煌々と砂の影を照らす。
「昼も夜もさかさまで、西も東もあべこべの、この砂漠の名はいかに」
小さき主は従者に尋ねた。
「この砂漠は地図になし」
従者答えて曰く
「地図なき砂漠は魔物が背負いし棲処なり。かは三頚の翼竜」
「どこを歩けば出口に至るか?」
主の問いに従者曰く
「魔物の影に入るのみ」
そのページの下には三つ頸の翼竜と、それを前にして剣を振るう勇者の図が描写されていた。その下には説明が書かれていた。
“三つ頸の翼竜は空間を渡って現れる。三つ頸の翼竜の住処は砂漠であり、竜自体が砂漠を背負っている。西大陸でも珍しい攻撃的なモンスターである。
砂漠は東西南北が逆になる。元の方角のまま進んでも果てが無く、件の翼竜は見付けられない。時間も昼夜逆転する。
好きな物は生き物の肉、魔法石など。嫌いなものは鉱物辛子。食べると動揺する。
砂漠に巻き込まれた者は、件の竜を探し、砂の上に蹲る竜を空の上に羽ばたかせその影の上へ行くと、その竜の下敷きになっている場所に戻れる――”
ガーラはそのページに一枚紙を挟んで栞とすると、小さなあくびをした。そばにいたお付きの大蛇がガーラの顔を見た。「少し眠られてはいかがですか」と目で伝えていた。ガーラは軽く伸びをした。
「待ってね。赤のポーンがこちらに来るというし……」
そこでガーラは再び外で馬の嘶きのような音を聞いた。
「お客さん、のようね」
ガーラと大蛇は見つめ合うとドアへと向かった。館の主は呪文でレンの眠る暖炉の部屋に壁を作って玄関と区切った。
ドアを開けると、大きな赤い馬に寄り添った背の高い厳つい騎士が立っていた。その太い首元には赤石の嵌め込まれた銀色のクロスが輝いていた。




