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The Chess  作者: 今日のジャム
Ⅲ-ii 王様ふたり
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Ⅲ-ii 王様ふたり (8月1日) 2. 王様探し1

 教室を出ると、大きな扉の前の廊下でちょうど友人と別れた後の康と会った。真は、汽車の時間があるため、いつものようにそのまま帰宅する朝日とほむら、用事のあるまかとここで別れて、康と合流した。


 外はすっかり日が傾いていた。大学前のバス停では、学生たちが賑やかに一日中続いた講義の疲れを語り合っていた。


 大学の帰り道に駅前にある大図書館に寄る時は、バスで一駅なので学生は歩いていくことが多かった。山の上にある校舎からの下りの道は、市街地から離れていて道行く人は少ない。通りは昼も夕もいつも閑散としている。背の低い戸建ての多い住宅地だが、どことなく人の住む気配が薄い。山の中だが寂しい感じはしなかった。


「長い一日だったね」


 真は隣を行く康に、袋に半分余ったキャンディーの一つを手渡した。


「一日お疲れさまでした。でも意外と面白かったよね」


 康は真から分けて貰ったアメを口に含みながら、明るく答えた。真は頷いた。


「うん。話が上手だったし、飽きなかったよね」


「そうだね。先生が移住した時の話も面白かったけど、国が移民で出来ているということで、移民をサポートする重層的な仕組みが勉強になりました。そこで支援を受けた移民が、今度は新しい移民の面倒を見るというシステムが面白かったよね。学校では差別を禁止する教育が徹底されていて驚いたよ」


 今日の講義は、よく考えさせられた。講義ではその国での多様な異文化を受け入れる教育について語られていた。学校でも色々な文化や宗教があるという教育を子どものうちから受け、差別はいけないと習うそうだった。


 そんな講義の中で記憶に残った逸話を真と康は二言三言話を交わした。


「うちの国でも先生の国みたいな異文化教育が導入されたらいいのに」


 康の真面目な言葉に教員を目指す者の顔がちらりと覗いた感じがした。


「そうだね」


 真は軽く頷き同意した。


「また明日も朝から講義だね。一日いっぱいの講義って疲れるんだけど、でも意外と楽しみな講義で良かったよね……」


 その時、康の背負うリュックサックの中から携帯端末の着信音が鳴った。


「……あ、綿さんからだ」


 それは変わったメロディーだった。クラシックに似ているが、どことなく雰囲気が異なる。勇ましくも哀愁のある旋律の底でパーカッションの刻みが耳に残った。康は背から鞄を下ろし、そのポケットから音源を取り出し、メールの受信を確かめた。真は何となく、一瞬流れたその音楽が、どこかで耳にしたことのある曲か、もしくはその雰囲気をどこかで聞いた覚えのあるもののように思えた。


 康は一通りメールを読むと、真に送り主の紹介をした。


「……あぁ、待たせてごめんね、早瀬さん。今のは、白のポーンのクロスを借りてる曾野井綿さんからでした。綿さんは同じ高校の部活の後輩で、たまに会って本を貸し合う読書仲間なんだ」


 康は同じ“本”を読む仲間の名前を真に教えた。


「あぁ、康さんはうちの大学の付属の高校で、吹奏楽をしてたんだよね?」


 真は以前一年生の時に康から聞いた話を思い出して尋ねた。康はやや苦笑した。


「まぁ、そうです。今は楽器から離れたんだけどね」


 康の答えは明瞭でさっぱりしていたが、少しの苦さがあった。部活の話は懐かしさと苦労が混ざり合って複雑な気持ちであるようだった。大学に入って高校でやっていたバスケットやスポーツ全般を続けていない真は少し康の気持ちが分かるような気がした。真はそのまま耳を傾けた。風が一筋通り抜け、林の匂いがした。この山の上の坂道には所々小さな林が残っている。康は一息置いて話を続けた。


「綿さんは今高校二年生で三才下の後輩なので、一緒に音楽を演奏する機会はなかったんだ。


 高校を卒業した後、何となく、ふっと部活に遊びに行ってみたくなった時があってね。吹奏楽部って、それぞれの楽器ごとに教室を借りてパート練習をするんだけど、卒業生が遊びに行った時は、自分の吹いていた楽器のパートに顔を出して、後輩に挨拶したりアドバイスをしたりするんだ。私の行った時は、たまたま新入生が一人しか来てなかったんだ。うちのパートって、大所帯で集まりがいい方なんだけど、その日は全滅でね。教室で一人でメトロノームの前で基礎練習をしていたのが綿さんだったんだ。綿さんとはその時初見知りだったから、私たちは軽く世間話をしたんだ。もともと私は指導をしようというような気も無かったし、綿さんの方はその日は合奏もなくて、時間が来たら帰るだけの中途半端な日だったし。その時たまたま帰りに綿さんが図書館に寄っていくって話を聞いてね。そこでどんな本を読んでいるか尋ねたんだ。すると海外の長編ファンタジーが好きだと聞いて、気が合うことが分かったんだ。


 “The Chess”は今年初めて借りたんだけど、ファンタジーが好物の綿さんを誘ってみたと言うわけです。私が知っているクロスを借りている人は、綿さんの一人だけだよ。高校生だから、あんまり王様探しに乗り気はないかもだけど」


 真は確か康の楽器はクラリネットだったと去年聞いたように思った。


 暮れかけた空で辺りは影色を帯びていた。急峻な坂道をふもとまで下り、あともう少し歩くとつつじ北駅前の市街地に出る所だった。今日の大図書館は一時間くらい過ごせそうだと真は思った。


「康さんのさっきの着信音って、珍しい音楽だったよね?」


 真は康が手に持ったままの青い携帯端末に視線を落として尋ねた。康は携帯端末を操作して先ほどの曲をもう一度流して真に聞かせた。


「コレ、コーディル作曲『吹奏楽のための民話』っていう曲なんだ。結構好きな曲です。実はこの着信音は自分で制作したんだ。個人で制作した着信音を投稿したり、ダウンロードしたりできるウェブサイトがあって、そこの住人やってます。


 結構、部活って続けていくのが大変な部分ってあるよね。部内対立が厳しかったりして。練習一つをとっても希望を持ってせっせとやる人と、上手くなる希望が持てずにテンションが低い人とが部内を分裂させてしまうとか。大学に入って、私は吹奏楽には卒業だと思ったわけです。うちの大学にはブラバンもないので。


 でも卒業しても音楽とは離れきれなくて、インターネットで音楽類を探しているうちに、そのサイトを見つけたんだ。着メロの作り手は、実際演奏したことある吹奏楽経験者も多くて、アレンジなんかも含めて作品はとても雰囲気がよく作り込まれているんだ。吹奏楽曲の二次創作みたいなものです。最初は自分が演奏したことがあって思い入れのある曲をたくさんダウンロードして集めていたんだけど、そのうちサイトにない曲でもあったらいいなと思って。大学に入って時間もあったし、自分で着メロを作って楽しむようになったんだ」


 康は携帯端末に保存している曲をいくつか真に紹介した。オーケストラのような壮大で重厚な曲もあれば、目覚ましアラームに丁度良さそうな少ない和音の音楽もある。軽やかなゲーム音風のものもある。電子音で成り立つその音楽は、本物の音と同じように愛情を持って作られていた。


 海の香りが鼻に流れた。歩いているうちに大図書館の前に辿り着いた。


「そういえば、早瀬さんの妹さんも吹奏楽をしてるんだよね?」


 康はさらりと問うた。先ほどの聞き覚えのある通知音がどこで聴いたものだったのか、真は思い出した。

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