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The Chess  作者: 今日のジャム
Ⅲ-ii 王様ふたり
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Ⅲ-ii 王様ふたり (8月1日) 1. 集中講義5

 そんなことを話しているうちに、授業の始まる時間は数分過ぎて、教室に講義を担当する講師が現れた。大勢の学生が好奇心と緊張感で見守る中、教壇に立ったのは、ラフな服装の年配の女性だった。学生たちが内心、一日中続く講義が窮屈であろうと予想していたのとはうらはらに、講師はまるで世間話を始めるように衒いなく自己紹介を始めた。


 講師は海外に移住した者だった。名前は山根翠と言った。普段は海外で生活していて、毎年、夏休みに大学に招かれて講義をする客員講師だということだった。


 講義の内容は、自分の住んでいる国の生活や文化の話をしながら、異文化理解について考えてもらうということだった。


 明るく朗らかな講師は講義の進め方を軽く説明したあとで、場の緊張感をほぐすように、百人近くいる生徒たち全員に、趣味や特技などの軽い自己紹介を、一人づつ発表するように頼んだ。すると教室はざわついた。というのも、これまで同学年の学科生全員が、一人一人自己紹介をする機会などは一度もなかったからだった。


「何を言おうかな、私は」


 教室がざわめく中でほむらは呟いた。単純なようで考えると難しい課題だった。その場の百人に対して一人で自己紹介するのは勇気がいるし、意外と簡単には内容が浮かばなかった。周囲でも自分の時に何を言えばよいかと悩む声が、ちらほらとささやかれていた。


「ほむらは正義感が強いよね。……そうだ。高校まで剣道をやってたこと言うといいんじゃない? 小学生の時からずっと続けてたんだよね」


「サンキュー、真。そうしようかな」


 その隣で朝日が軽く肩肘ついて小考した。


「私はどうしようかな。『スポーツが好きで、中学高校とバスケ部に所属していました。大学に入ってからは、一年生の時から図書館ボランティアをしています。今年は二階の中央案内所で総合案内をしています。館内のお勧めスポットも紹介しますので、大図書館でみかけたら、皆さん良かったら気軽に声を掛けて下さい』かな」


 朝日はすらすらと口ずさんでみて、すぐまとまったようだった。しかし真は悩んだ。


「二人とも図書館ボランティアやってるもんね。うーん私は何て言おう。大学に入ってアルバイトもサークルもしてないし……」


 朝日が助け舟を出した。


「猫飼ってることは、真? よくまかと猫の話で盛り上がってるでしょ?」


「あ、それ、いいかも。でも本当は妹の猫なんだけどね、ガンダルヴァって。名付けたのも妹だし」


 生徒たちの自己紹介が始まると、教室は静かになった。生徒たちはお互い皆、講義の中では何度も顔を合わせたことはあっても、その多くは一度も話したことがない学生同士だった。それゆえ初めての同学年全員の自己紹介に、多くが興味を持って耳を澄ませて聞き入っていた。


 市民マラソンに毎年参加しているという者の珍しき話に辺りはじっくり耳を傾け、“生け花”、“中国茶”など意外な趣味を挙げる仲間がいたことに軽く驚きの声が広がった。親しい友人同士仲間内で同じ本に熱中していて、聴き手にも熱を込めて薦める者もいた。またはこれと言って自己紹介が思いつかず「趣味は寝ることです」と言う者もいた。講師は一人一人に、二言三言言葉を交わし、最後に親しみを込めて「宜しくね」と笑顔で挨拶をした。



 その生徒たちの自己紹介の間に、教壇横の扉から、白いワンピースの女学生がすらりと教室の中へ入ってきた。


 遅れて来た生徒は、ミュールの足音を立てないよう静かに歩きながら、中央列の友人たちのいる席へ向かった。友人は真に囁いた。


「おはよう、真」


 端に一つ残る座席の椅子を押し下げて、女生徒は静かに腰を下ろした。


「おはよう、まか。間に合ってよかったね」


 まかは真の隣の席に落ち着くと、籠型の手提げバックを膝に置き、中から携帯端末を取り出して、机の下で隠すようにそっとディスプレイに表示している写真を真に示した。


「真、見て見てみて」


 それは、公園のような所で、猫がこちらを振り向いている姿が写っていた。写真の主は右目が赤銅色、左目が青色の、オッドアイと呼ばれる珍しい種類の猫だった。


「え、すごい! どこで会ったの?」

「私の庭にたまに遊びに来る猫で、今朝、やっと写真撮れて」

「オッドアイって、招き猫みたいに幸運を呼ぶ猫なんだよね?」

「そうそう」


 まかはほころぶ口元に軽く手を当てて、切れ長の黒目を嬉しそうに静かに輝かせた。四人組の最後の一人花城まかは、入学式の日に講堂で真の隣の席に座ったことがきっかけで、真と話すようになった。


 まかは長いストレートの黒髪がよく似合う落ち着いた雰囲気の令嬢なのだが、猫のことになると我を忘れて、コーヒーのことになると熱くなる。


「ところで、今朝はどうしたの?」


 真は小声でささやいた。まかは陰りの見える表情で一言返した。


「ちょっと具合悪くて」


「大丈夫? そうだ。あとで、今日来た“The Chess”をまかに見せるね」


 真は友達を気遣うように言った。



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