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The Chess  作者: 今日のジャム
Ⅲ-ii 王様ふたり
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Ⅲ-ii 王様ふたり (8月1日) 1. 集中講義4

 二人は大学のロビーに入ると、休日で人気のないしぃんとした空間に迎えられた。普段なら誰かしら、玄関前のベンチで友達を待っていたり、壁の掲示物を眺めていたりと、たむろしている者がいる。二階まで吹抜けになっている高い天井を見上げてみても、互いに朝の挨拶を交わし合い、賑やかに教室へ向かう学生たちの通る気配はなかった。康は地下にあるロッカー室に寄って行くということで、大学に入館して間もなく、エントランス付近の階段の前で二人は別れた。真は事務室前の掲示板に足を向け、連絡事項がないかを確認すると、講義の行われる大教室のある新館二階へと向かった。


 校舎はロビーのある旧館と新館とがあり、大教室は入り組んだ連絡通路を渡った先の、構内でも少し奥まった場所にあった。教室までの長い回廊は、今朝はひっそりとしていた。廊下の片側に面する茶枠の窓からは爽やかな朝の光が注ぎ込まれ、新しく小ぎれいな床を照らした。窓の外では二つの校舎の間に挟まれた小さな中庭を見渡すことができた。この校舎をつなぐ連絡橋の真下では小道が流れていて、今は誰もいない中庭で白いベンチが静かに休日の午前を過ごしていた。


 真は大教室にたどり着くと、入り口の横に設置してある小さな銀色の機械に携帯端末をピッとかざした。それは出席を登録するためであった。携帯端末には学生証のデータが組み込まれており、教室の前に据え付けられた読み取り機にそれをかざすと、学内のコンピューターに出席の記録を送ることができた。


 大教室のドアは劇場のようにがっしりとしている。薄紫色の重たい扉を開けると、すでに階段状の広い教室内では、最前列を除いてほとんどの席が埋まっていた。そこでは学生たちの賑やかな声が、明るく小ぎれいな教室を満たしていた。ぱっと見渡すと、その中で真はふと、去年はよく同じ講義に居合わせていたが、今年度に入って見かけていなかった同級生の顔があちらこちらで目についた。


 このように、同じ学年の学生たちが一つの教室に顔を揃えて集まったさまは、一年生の時以来久しぶりであった。この福祉家政学科では、二年時の必修科目はこの一講義しかない。必修科目では、よくこの新館の大教室が使われた。去年は大学に入学したてで必修科目が多く、その中で同学年の者たちと一日中長時間の講義を共に過ごしていた。高校までと違う雰囲気に違和感を覚えて、緊張していた頃を思い出させて、真は少し新鮮な気持ちになった。


 その人ごみの中で、五人掛けの机が並ぶ中央席の真ん中辺りに、同じ講義を選択して時間割を組んでいる親友二人が、真の席を取っておいてくれていた。二人はいつも、市外から汽車で通学しているので、時刻表の都合上、真より先に大学に来て、広い教室内でその講義にあった居心地の良い席を確保してくれていた。例えば板書の文字が小さい先生なら中央より前の席を、話のつまらない先生なら隠れてこっそり別のことができるよう後ろの席を、というふうに。


 真は三人掛けの机が並ぶ右席と中央席の間の緩やかな階段を上り、友人たちの座る中央付近に着くと、映画館の客席のような狭い座席の列に入り込んだ。


「おはよ、真! 今朝、講義休みたくならなかった?」


 明るい声で真に話し掛けたのは、“The Chess”で、赤のナイトのクロスを借りている菅原朝日だった。朝日は大学に入学してできた友達であった。高校時代、学校は違ったが真と同じバスケ部だったこと、下の妹がいることなど共通点が多くて話が合い、学校の中でよく一緒にいる四人組の一人だった。


「おはよう。やっぱり朝日も? じゃあ、朝日の方がウェイだったの?」


 真は後ろの机に据え付けられた椅子を下ろして朝日の隣に座ると、トートバックを膝に置き、机の上に携帯端末を置いて、先ほど康にあげたアメを友人たちにも配った。


「そう。真はロッドだったでしょ? 向こうでも、会ったとき真じゃないかなと思ったよ」


「うん、そうだよ……?」


「やっぱり」


 朝日は貰ったアメを口に含み、快活に微笑んだ。真はああなるほどと思った。向こうでロッドが初めてウェイに会った時、初対面であるはずなのに、ウェイは妙にロッドのことを知っている様子なのが奇妙に思えていた。ということは、朝日は向こうで勇名馳せる騎士の姿を見て、真に気付いたことになる。そしてそれが夢の主人公に影響を与えたことになる。それも何だか不思議なことである。


 朝日は軽く首を回すそぶりをし、明るく言った。


「おかげで疲れた疲れた」


「何だか今朝起きた時、筋肉痛になった気がしてしまったよ」


 真は軽やかに友人に相槌を打った。


「そうそう!」


 肩で切りそろえた黒髪を揺らめかせて、朝日は大きく頷いた。


「アホイ、アホイ、チェック!」


 朝日が夢の中の騎士が連れる小リスの鳴き声の真似をして、二人は大笑いした。


「……じゃあ、朝日は“The Chess”を見れなくなるんだね」


 真は少し気まずい思いがしたが、朝日は首を振ってさっぱりと答えた。


「今日だけでずいぶん疲れたから、これから集中講義が終わった後、毎日大図書館でボランティアをする身には、あの夢は大変だから、かえって良かったと思うよ」


「ところで、まかがまだ来ないけど、遅刻するのかな? 真、何か聞いてる?」


 真と朝日の挨拶に場を譲って話を聞いていたもう一人の級友、村井ほむらが影を見せた話題の風向きを変えるように真に尋ねた。広く引き締まった肩をのぞかせた薄紅色のTシャツの上には、赤石の嵌め込まれた銀のクロスがアクセントをつけていた。胸元で鮮やかに輝く紅色の石の奥では、光の加減で馬の姿が浮かび上がった。ほむらも赤のナイトのクロスの持ち主だった。


 ほむらは朝日の高校時代からの親友で、二人は大学に入ってからも、金蘭の交わりを続けていた。朝日とほむらは一年生の時から一緒に図書館ボランティアを通年で行っていて、朝日は二階の総合案内係を、ほむらは三階の視聴覚コーナーの受付をしていた。朝日とほむらが“The Chess”を借りたのも、図書館ボランティアの友達から薦められたからだった。この場にいる三人が“The Chess”を知り、揃って駒のクロスを借りたのは実は偶然であった。ゆえに三人が駒のクロスを借りていることをお互いに知ったのは、七月に入ってからである。そもそも三人とも、友達に勧められて軽い気持ちで今年初めて借りてみただけだった。


 ほむらは名前のイメージ通りの、赤系に染めた腰まで波打つ髪を持ち、剣道で鍛えた引き締まった長身もあいまって、同学年でも見た目が際立つ学生だった。


 ほむらは心身ともに骨が剛い。それを表す一つのエピソードがある。毎年五月に大学内で行われる健康診断のうちの一つ骨密度検査で、四人組のうち他の三人が百パーセント未満、殊に真と朝日は五十代の骨密度と結果が出てショックを受けている中、ほむらは一人、学生内でも珍しく骨密度百二十パーセントだった。


「うん。バスに乗る時、ちょっと講義に遅れるってまかから連絡が来てたよ」


「珍しいね。まかって授業に遅刻したり休んだりしたことないのに。具合でも悪かったのかな」


 ほむらは少し心配そうに真の隣に空いているもう一つの席を見やった。

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