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The Chess  作者: 今日のジャム
Ⅲ-ii 王様ふたり
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Ⅲ-ii 王様ふたり (8月1日) 1. 集中講義3

 バスは普段と違って、あまり人が乗っていなかった。普通の講義のある平日なら、Ⅰ講目にある必修科目を受ける一年生で、このバスは必ず満員になっている。


 二人はクーラーのきいた涼しい車内に落ち着くと、大学の名物先生のことや授業のことなど他愛もない世間話を始めた。バスは駅前第一ビルの前をゆっくりと右に曲がった。窓の外では国道沿いのビル街の風景がまっすぐ流れてゆく。


「康さんって、去年全員必修だった家政論の杜田先生の講義を、今年も受けてるんだよね? 去年は厳しすぎて一年生皆気を張り詰めて大変だったよね。やっぱり今年も先生の厳しさは変わってないの?」


「うん、そう。変わってないです。今年の講義は杜田先生の個人的な育児体験を語っていました。ところで早瀬さんは前期試験のレポートは全部提出した?」


「ううん、圷先生の日本経済論を受講してるんだけど、そのレポートが一つ残ってるよ。集中講義が終わった後にやらなくては」


「レポートの提出期日が、筆記試験期間が終わった後なのは助かるんだよね」


「うん、そうだよね。……あ、またちょっとゴメンね」


 真の鞄の中で、ブルルと今日二度目の携帯端末の振動音が鳴った。それは、高校時代に一番親しかった友達からの、今夜約束していた飲み会を確認するメールであった。真は、短い返事を素早く返すと、携帯端末を鞄に仕舞った。


「何回もごめんね。今日久しぶりに会う友達からメールが来たんだ。高校時代の親友で、今は同じ大学の文学部に行ってるんだけど、その友達に変わった“本”を勧められたんだ。そうだ、康さんならもしかしたら知ってるかも。大図書館にしかない本で“The Chess”っていうタイトルの……」


「え……? 早瀬さんもクロス借りてるの? それなら……ちょっと待ってね」


 康は一瞬驚き、少し慌てた様子で膝の上に乗せていた白いリュックサックの中から、ごそごそと何かを探し始めた。真はその反応から、もしかしたら駒のクロスかも知れない、と予想したが、少しばかり待った。


 真はその間、何気なく車窓の外を眺めると、坂道を上り下りしながら、ちょうどつつじ市の観光名所であるヨーロッパ風の木組み造りのガラス工房のある十字路をバスが通過するところだった。


 隣の康は少し手間取っていたが、しばらくすると、リュックサックから小さな銀色のネックレスを取り出した。顔に喜色が浮かんでいた。


「コレ、私も借りてたんだ。一緒に借りてたなんて偶然だね。夢では冒険はなかったんだけど、世界観がホンモノで壮大だったよ。早瀬さんの方はどう?」


 康が示したクロスは、白石の中に、小さな十字架の乗った三角屋根の家の形の透かし模様が入っていた。真は、朝からずっと首に提げたままだった馬の模様が透かして見える白石のクロスを外して見せた。


「それじゃ、康さんも“The Chess”を読んでたんだね。私は白のナイトなんだけど、今日の夢は騎馬戦やら祝宴やらで、目が覚めた時少しくたびれていたよ。……それにしても、私のまわりで“The Chess”を読んでいる友達本当に多いな。駒のクロスを持ってる人は康さんで七人目だよ。他にはナイトが三人 と、白のクイーン。あと直接の知り合いではないんだけど白のルークが二人。意外と“王様探し”ができるかも知れない。ところで、康さんのクロスって、もしかしてビショップ?」


 康はにこやかに頷いた。


「うん、そう。私が見た主人公の名前は……」


 康の言葉の途中で真は突然、青くて猫のような目の青年のイメージが目の前に浮かんだ。その青年のイメージが、ちょうど隣の康とぴったり重なり、真はなぜかその青年の名前を思い出した、というようにふっと口について出た。


「マーブル?」


 真が名前を当ててしまったことに康は驚いた。自分で教えない限り、誰がどの登場人物を担当しているかは分からないはずだった。


「……当たり。だけど、どうして分かったの?」


 康は目を丸くして真に尋ねた。だが真は急に呆然となって「……何でわかったんだろう」と呟き、すっかり考え込んでしまった。どうして言い当てられたか、真自身全くわからなかった。少しばかり沈黙が流れた。


 康は自分の質問が逆に相手を困らせた様子なのを見て、自分で合理的な説明を考えてみた。


「一国にビショップは二人しかいないから、早瀬さんが昨日来た“今回の参加者”情報で白のビショップの名前を覚えていて、二分の一の確立で当てたのかもしれないね。あぁ、そういえば、早瀬さんの方は白のナイトで、騎馬戦やら祝宴やらだって言ってたよね? ということは、“試合”をしたロッドだったの? もう一人のナイトは王城にいたはずなんだから……」


 不思議な既視感による困惑を振り払って、今度は真の方がにっこり頷いた。


「そうだよ。楽しかったけど、おかげで少し寝坊してしまったのさ」


「お疲れさまです。王城の魔法本でロッドの馬上試合は観戦していたよ。ウェイとの一騎打ちは、どちらともかっこ良かった! ナイトって華やかだよね」


 康は英雄の勲を賞賛するように顔を輝かせた。夢の余韻を楽しんでいる友人に、真は遠慮気味に肩をすくめて見せた。


「うーん、でも疲れるよ。ビショップってどんなことしていたの?」


 質問に康は苦笑して短く「鳩の餌やり」と即答した。


「『王城の礼拝堂で、マーブルは何十羽という数の淡い虹色の俊敏な小鳩の世話をしていた』です。美しいんだけど鳩だらけ。『そしてその聖所を激しく出入りする光の鳩の一羽一羽は、それぞれひとときこの青い目の若き僧侶の手に乗り、または肩に休み、僧侶の担当する町の情報を逐一知らせていた。僧侶はその鳥たちが話す知らせの中から、プレイヤーの誰がどこに向かっているか、その動きは何を意味するか、または紅白の勝負の行方を、観客たちすなわち西大陸の人々がどう予想しているかについての情勢を探っていた』要は一日中、情報専門の裏方仕事をしていました」


 康は朝から何度か読んですっかり暗記してしまった“The Chess”の冒頭を真に暗唱して聞かせながら、ところどころ味も素っ気もないコメントを挟んだ。


 それから二人が二つ三つこの物語の話で盛り上がっているうちに、バスは大図書館前を通り過ぎ、あと五分くらいで終点にたどり着く所だった。


 二人が降車の準備をしている間、真は康にさらりと尋ねた。


「……ところで康さんって、夏休みはなにかアルバイトとかボランティアとか他の集中講義とかの予定ある?」


 康は首を横に振った。


「この集中講義が終わったら、とりあえずヒマだよ。大図書館から長編小説を借りてきて読もうかと思っているくらいです。暑いのは苦手だから外で遊びまわる気にはなれなくてね。でも、“The Chess”のプレイヤーの読者同士の交流会があったら参加したいな」


「それじゃあ、一緒に“王様探し”しない?」


 真は突然、康をゲームに誘った。康は一瞬意外そうに驚いた。


“王様探し”とは、大図書館の紅雲楼システムを使って、このゲームに参加したプレイヤーたちとインターネット上でやりとりをしたり、または直接会ったりして、相手のキングのクロスを持つ者を探す、生徒の間で始まった自由参加の遊びだった。これはゲームというよりは、どちらかというと、プレイヤー限定のオフ会に近かった。


 読者のほとんどは同じ大学の学生である。“The Chess”自体あまり知られていないので、世間は狭く、読者同士が情報交換をすれば、キングを見つけられることもあった。たいてい“The Chess”を借りる人は、誰か紹介者がいるもので、一人二人と交流すれば芋づる式にプレイヤーが見つかることが多かった。


 “王様探し”を一人で始めるには心細いものだが、プレイヤーの知り合いが多い人が、ゲームの中心になってオフ会の幹事になるのが毎年自然の流れであった。王様探しは、参加や退場は自由だった。


 また“王様探し”にはもう一つ特徴があった。それは交流サイトで“王様探しをする”という項目をオンにすると、大図書館の中限定で、駒のクロスを持つ人が半径1m以内に入ると携帯端末が震え、お互いの学年学科と氏名がIDと紐づけて交わされるのだった。その機能は最初はオフにされている。強制参加ではないので、ずっとオフにし続けたり、互いに知らない者同士で待ち合わせをした時など必要な時だけオンにする読者も多い。


 この“王様探し”をする人は夏休み中に会って活動する。たいてい、普段から一緒に行動する仲の良い友達を誘うものだった。


 予想外の申し出に、康はその場で承知した。


「えっ!? ……あ、うん。いいよ」


 真は笑顔で言った。


「じゃ、今日の講義が終わったら、大図書館で紅雲楼に行ってみよう」

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