Ⅱ魔術師と盗賊 4. 魔術師の町と異種族の旅人
エルシウェルドは魔力を扱う者にとって神秘的な場所だった。町には魔力が満ち、新しい魔術や魔法を覚えることに適していた。西大陸の中でも魔力を持った領主の子弟が遠くから魔術師学校に籍を置き、寄宿舎で互いに学び合っていた。また、異種族の者もよく集まっていた。それゆえ、異種族の者にしか伝わっていない魔術や薬の調合などの技術を求める旅人も多かった。エルシウェルドは西大陸でも五本の指に数えられる有名な町だった。
クオがエルシウェルドに着いたのは、正午過ぎだった。町では丁度教会に人が集まって、チェスの参加者についての情報が語られている頃合だった。魔術師の町らしく、辺りは黒いローブに立派な杖を持った青年や老人が街道を歩き、クオの姿は目立たなかった。クオは町の人に紛れて、大きな教会に入っていった。
教会の中では期待に目を輝かせた町の人たちが整然と並ぶ茶色の長椅子に腰を掛けて、朗々と話す中年の僧侶の話をじっくりと聴き入っていた。クオは後ろの末席にこっそり腰を下ろした。
「八月一日チェス第一日目。今朝は多くのプレイヤーたちが旅立ちました。ここエルシウェルドでは赤のポーン半ドリヤードのオリーブがクロスを受け取って出立いたしました。盗賊の町ウィンデラでは白のポーンの魔術師クオ・ブレインと、赤のポーンのシーフのクレア・フローが出発しました。エルシウェルドの隣町では赤のポーンの魔弓使いピコット・ミルや魔剣使いフーガが、北東の町では白の騎士ロッドが、北西の町では赤のナイトのメルローズ卿が、カーレインでは赤のナイトのウェイ・グリンスリー卿がクロスを受け取りました。今年は領主フロム様がカーレインで団体馬上試合を行います。プレイヤーたちもそこに現れるでしょう。
それでは観戦者用クロスを未だ受け取っていない者は、静かにこちらに来て下さい」
ぞろぞろと僧侶の元に町の人たちが集まって行った。僧侶の話では、この町の周りにはプレイヤーが集まっており、この先も赤のポーンに会う確率が高いということだった。クオは聞きたいことが終わると、そっと教会を去った。
クオは町中を歩いた。いつもより騎士や商人などの旅人が多かった。馬上試合のあるカーレインへ向かう人達だった。
そしてクオは街道から一本外れた所にある一件の食堂に入って昼食にした。そこはクオがこの町に訪れた時の行きつけの店だった。店は古くからあり、祖先は子どもの頃のリン・アーデンと昵懇だったという由緒ある店だった。そこで安い食事をとると、クオはエルシウェルドを後にした。
リン・アーデンの生家はエルシウェルドから出た所にあった。そこはすでに人はいないが大魔術師の記念碑として残されていた。小さなあばら家だった。大魔術師にしては質素であった。クオはあこがれの魔術師の家で一度足を止めた。リン・アーデンは旅の途中でも残された母アンに土産を送ることを忘れなかったらしい。出発の決意を胸に、クオは再び歩を進めた。
エルシウェルドの先も山道だった。クオは静かな旅の道を一人で楽しんでいた。それから街道は森へ入った。
森の中を歩いていたクオは一瞬、空間に違和感のある“音”を感じた。それは異空間魔術などの大きな魔力が起こる音だった。クオは瞬時にその場を離れた。道に木の葉の嵐が通って行った。それは強い風が吹き抜けるような感覚だった。葉は刃物のように鋭利で、もしクオがその場にいたままだったら、小傷を負っていた所だった。クオはそれは風のせいではなく、木の葉に魔法が掛けられているのだと見破った。クオは森の影から道に戻った。
クオは空間が揺れる音を聞いた。それは人一人分が空間から現れる音だった。瞬間移動の音は魔術師のクオには慣れていた。目の前に人の姿が現れた。女性だった。その姿は異種族のものだった。緑色の髪に長くウェーブがかかり、所々葉を付けており、耳は長かった。ドリヤードのようだった。クオは今回の参加者リストに赤のポーンでドリヤードと人間のハーフがいたことを思い出した。姿を現した相手は、クオの杖と黒いローブ姿を見て、魔術師だと認めたようだった。
ドリヤードは玲瓏な声で挨拶をした。
「さすがチェスに参加する魔術師ですね。私は赤のポーンで名前はオリーブ。あなたは白のポーン、クオ・ブレインでしょう?」
クオは杖を握りしめ、警戒を解かぬまま答えた。
「すごい挨拶だったな。異種族の者と戦うのは初めてだ」
オリーブは相手が肯定したのを見て言った。
「これから馬上試合を観に行く所だったけれど、ちょうど魔術師と会えると聞いてここに来たの。騎士の馬上試合の前に、ここでお手合わせはどうかしら?」
旅の道の前に立つ者は、引こうという気配はないまま、クオに挑戦した。クオは肩をすくめた。
「人間の魔術師が異種族の者と互角に戦えるわけはないだろ。まぁ、お手柔らかに頼む」
クオの言葉を謙遜と捉えて、オリーブは微笑んだ。
「結構。“今は”攻撃でいいわ、魔術師さん」
オリーブの含みのある言葉にクオはやれやれと思った。“今は”ということは、チェスの間に“試合”を申し込まれるかも知れないということだった。クオはいきなり大変な者に目を付けられたものだと思った。
「買い被りすぎだな」
オリーブはその言葉に再び微かに笑みをこぼした。そして、すっと消えた。クオは身構えた。相手は木々を使って攻撃をする。そのエネルギーは人間には到底及ばない。長期戦は不利だった。
辺りの木々がざわめいた。クオは次はどこから攻撃を受けるか、耳を澄ませて魔力の音を聞いた。右手の空間が揺らいだ。
そして何もない所から木の枝が現れクオ目指して突き刺して来た。クオは杖で攻撃物を払った。枝の攻撃は二度三度と繰り返された。
その間、クオは枝を払いながら、魔法の主はどこにいるか気配を探った。木の枝の攻撃は一度に二、三か所から現れ、クオを狙った。クオは杖で地を叩いた。火の壁がクオを囲った。木の枝は炎に当たると燃えてなくなった。
クオは再び耳を澄ませた。魔法の主が後ろへ回る気配がした。空間が魔力で力強く揺さぶられる。クオはさっとその場を離れ道の脇に寄った。木の葉や枝を掻き上げた強い風が後ろから流れ過ぎた。辺りは土ぼこりが舞った。
「派手な攻撃だな」
クオは一人ごち、空を見上げた。そこにはオリーブが宙に浮かび魔術師を見下ろしていた。オリーブはクオと目が合うと、にっこりほほ笑んだ。
「あら、ご名答」
クオは杖を空に向け、雷を放った。オリーブはその一瞬前に消えた。クオは逃げられるのは予想していたというふうに、すかさず前方にもう一度雷を放った。オリーブの空間を渡る音に耳が馴染んで、流れが読めていた。森の先にオリーブが現れ、凍った枝が絡まった塊を盾にして雷を防いでいた。そのまま攻守交代とばかりにクオは炎の矢をオリーブ目掛けて打った。再びオリーブは姿を消した。辺りがしーんとなった。空間の揺らぎの音は無くなった。
「これからが本番っていうことか」
オリーブの気配が失われていた。クオは再び空を見上げた。空は静かだった。
と、風が吹き始めた。辺りで木々が揺れた。クオが構えていると嵐となった。その嵐はこの辺り一帯の森を揺らし、そこで流れる木の葉は刃物のように鋭く小枝を切り付け、折れた枝は縦横無尽に木々を傷付けていった。クオは逃げ場のない嵐に舌打ちし、守護魔術で防御した。この規模の嵐を収めるには、膨大な魔力を要する。ここで魔力を使い切れば、これからの旅先でまた赤の者にぶつかった時、向き合うことができなかった。
「やっぱり異種族の者と相対するのは俺の力ではキツい」
そう言うと、クオは防御の魔術で身を守りながら、呪文を唱え魔術を組み始めた。しばし時間を要したが、呪文を唱え終わると、ポンと一つ杖で地を叩いた。すると、クオの姿が忽然と消えた。
クオは晴れた空が広がる森の中にいた。そこは先程の対戦していた場所から離れた所だった。空間を渡ったのだった。オリーブは追ってくる気配はなかった。
クオは再び旅の途に就くと、肩をすくめて言った。
「やれやれ」




