XV-ii 赤いドレス (9月31日) 6. 赤の城の宴と旅立ち 1
秋の空は高く、空気はまるで水の中のようだった。赤い厚手の僧服を纏ったアルペジオは、赤の王城のそばの野原で、空に浮かぶ筋状の雲をのんびりと見つめていた。そばには大きな赤い色の鳩が付き添っていた。手元には赤い袋に入ったカタツムリ型のスナック菓子があった。僧侶はたまにその甘いお菓子をつまんでいた。その菓子は、アルペジオの好物だった。
チェスが終わり、アルペジオは大僧正に昇格した。同じ赤の僧侶ブラックベリも、昇格していた。ブラックベリの昇格は、裏で偉い人に賄賂を渡した、という噂があった。
新しい大僧正の仕事は、チェスの運営についてだった。そこでは、駒のクロスや観戦者用クロスを各町の教会から王城に集め、来年のチェス開催国が決まる十二月まで、西大陸の北にある異空間魔術の掛けられた島“幻の島”まで持っていき、クロスを預かって貰う役目だった。要は、雑用だった。大僧正になっても、上には上の偉い人がいる。教会の役職者の中で若い大僧正は一番下で、雑用係だった。アルペジオは、新しい仕事を抜け出し、サボっていたのだった。
アルペジオは組織に潰される働き方からは離れていた。来年のチェスでは、運営側として仕事が多く入ってくるのだろうが、その期間有給休暇を取ろうと考えていた。チェスが終わってから、白のビショップたちとは同期となり同じ仕事をしていた。マーブルとはクロス集めの時、緩衝都市の教会で会ったが、あの真面目な性格では出世もするだろうが、自分も潰していくだろうと思った。誠実とは美徳だが、アルペジオの人生には遠い所ということで構わなかった。
チェスが終了した後、赤の王城ではプレイヤーを労う宴があった。そこでは主にポーンが労われた。負けたとはいえゲームで戦った者たちには賞金も与えられた。その席ではチェスの間に仲良くなったプレイヤー同士の意外なカップルも目に付いた。アルペジオは宴を回想した。
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宴の席で、ウェイは同じ赤のナイトだったメルローズに、新しくできた恋人を紹介した。
「私たちは宴が終わったら、これから一緒に旅に出ようと思っている」
ウェイの隣にいたのは、赤のポーンの暗殺者ジャスミン・ルフェだった。ジャスミンはぺこりとお辞儀をした。
「言葉を交わすのは初めてですよね、えぇと、メルローズさん。チェスではご一緒して戦うことはありませんでしたが、楽しい戦いでしたよね」
メルローズは改まった挨拶に驚いた。新しい恋人たちは美男美女の組み合わせだった。ガーネットが言った。
「……お似合いではありませんか、メルローズ様」
メルローズは一呼吸置くと、答えた。
「そうだな。おめでとう二人とも」
ウェイがそれを受け、いきさつを説明した。
「私たちはチェスの間、王城で顔を合わせているうちに互いに話すようになった。何というか……テンポが合ったんだ。暗殺者稼業の話もなかなか興味深かった」
ウェイは笑顔を見せた。ジャスミンがにこやかに続けた。
「ウェイさんとは、これから私の故郷へ一緒に行って貰うんですよ」
メルローズは、ウェイが幸せそうなのを見て、ふっと笑った。新たな恋人たちは、挨拶が済むと、宴席に戻った。その後姿を見送った後、ガーネットがぽそりと言った。
「私はメルローズ様がいい人と出会ったら、……たぶん認めるよう努力すると思いますよ」
ガーネットは最後は苦い顔で言った。その言葉は裏返しなのだ、と主人は察した。メルローズはガーネットの肩を抱いた。
「無理をしなくて良い、ガーネット。私はガーネットが大人になるまで待つだろう」
ガーネットは元気に答えた。
「はい、メルローズ様。大人になるまで待たせず一人前になります! それで……一緒に旅をしましょう」
***
「お疲れ様、オリーブ! 白のポーンとの試合は圧勝だったわね!」
ピコットは宴の席で赤ワインを手にオリーブに話し掛けた。オリーブは微笑んだ。
「ありがとう。良い試合でしたわ」
ピコットとオリーブは乾杯した。
「ところで魔剣使いのフーガはどうしたかしら?」
オリーブはここにはいないポーンのことをピコットに問うた。ピコットは明るく答えた。
「フーガは旅に出て、ティルスで新しい武器を物色しているそうよ!」
「そう。旅をしているのですね」
オリーブは思い出したようにピコットに尋ねた。
「ところで、ここで一つ聞いてもいいかしら?」
「何?」
「あなたの矢って六種類あるという話だけど、地、石、炎、風、雷、で、あと一種類は何なのかしら?」
オリーブの問いにピコットは笑って答えた。
「最後の一つは凍の矢よ。薄青の羽なの。水辺で刺したら、その水が氷るのよ。今回は使う機会がなかったけど」
「そうだったの。メンテナンスはイリュイトでするのかしら?」
「そうよ! たまにイリュイトの魔法アイテム職人の元へ行くわ」
ピコットはオリーブに尋ねた。
「あなたは宴の後はどうするの?」
オリーブはワインを一口飲んだ。
「私は旅ですね。故郷の森に戻って同じ仲間にチェスの土産話をしようと思っているわ。あなたはこれから何か予定があるのかしら?」
ピコットは問いに眼を光らせた。
「来年のチェスは海戦だという話だから、私もそこに参加できるよう西海岸へ行くわ!」
***
連日続いた宴が終わると、ジークは旅支度を整え、王城を出た。ルーマとは、宴でそれぞれの武勇譚を話し、すでに別れを済ませていた。外は晴れており、旅立ち日和だった。後ろから馬の歩く音がした。後ろを振り返ると、大きな赤い馬を連れたバスクが同じように出立する所だった。バスクはチェスの前半赤の王城にいなかったので、話したことが無かった。
「お前も今日出発するのか、ジーク」
バスクは同じ赤のポーンとして戦った戦友に声を掛けた。ジークは丁寧に一礼した。
「ええ、これからティルスへ行って宣伝をした謝礼を受け取りに行く所ですよ」
バスクはジークの横に並んだ。
「宣伝人の戦いは王城で聞いた。俺は初めて知ったが、お前は強いのだな」
ジークはそっと騎士を見た。ここで戦う、という様子ではなかった。
「この相棒の傘は魔法アイテムの中では強い方のようですね」
バスクは灰色の傘を眺め見た。そして言った。
「その傘なら、嵐の中でも雨風から身を守れそうだな」
ジークは首を横に振って一言言った。
「いいえ、残念ですが傘はひっくり返りますよ」
予想外の答えにバスクは明るく笑った。
「そうか! 頼もしい相棒かと思えば、弱点もあったのだな」
ジークはこの裏表のない爽快な騎士の性格に、少し親近感を持った。
「ところで、白の騎士との一騎打ちは立派でしたね」
バスクはにっと強気の笑みを浮かべた。
「エンドワイズとは、またどこかで勝負をしたい」
「これからのご予定は?」
ジークはバスクの紺碧の瞳を見た。意外と旅の友には悪くない相手だった。バスクは答えた。
「俺もティルスでこの武器のメンテナンスをしに行こうと思っている」
「同じ道、ですね」
ジークは尋ねるようにバスクを見た。
「久しぶりに友を連れた旅もいいのではないかと俺は思う、がお前はどうだ?」
ジークはふっと笑った。
「そうですね。私も同じですね」
ジークは歩き出した。