XV-ii 赤いドレス (9月31日) 5. 秘伝のタレ 2
やはり今日もえんじと豊は、大図書館五階西側駐車場の海の見渡せる人気のない静かな場所で、フェンスの下に座り込んで話をしていた。くりは二人を見つけると、おしゃべりに加わった。
「ああ、くりさん。今はお昼休みですか? ちょうど、今日来た“The Chess”を見てたんですよ。パズルが帰郷したところを読んでたんです」
「やっぱりリアは律儀さね」
えんじは微笑した。
「くりさんの元にも“The Chess”のメールが届いたんですか?」
豊が話をせがむように尋ねた。くりは頷いた。
「私の夢のパートナーは、“チェス”に参加した後のこの時期には故郷へ戻るのよ」
「来年も“The Chess”を借りるんですか、くりさん?」
豊の問いにくりは笑った。
「ええ。また来年も同じ主人公で旅をするんだと思います」
***
いつもの店のいつものコーヒーの味が、今日は何だか不味かった。長かった夏休みも過ぎ九月も終わろうとしている週末、温は大図書館一階、中央エントランス横の行きつけの珈琲専門店で、れいしとチェスをしながら歓談していた。午前中冴と話している時、この秋の始まりに、冴は『夏バテじゃないですかぁ』と言っていた。
れいしは温かいコーヒーを一口口に含んだ。
「それでバスクはジークと旅立ったってわけ」
「意外な組み合わせね」
「だよね」
温は短く同意した。
「結局最後の“試合”は、どちらが勝ったの? 温」
温は一言呟いただけだった。
「……さぁね」
***
えんじと豊は駐車場から二階へ至り、吹き抜けになった噴水広場を囲む回廊を渡っていると、すらりとした艶麗な女学生と見目麗しいその女友達の二人連れと行き合った。大学構内では見かけぬ顔だった。文学部の生徒のようであった。
しかしえんじはひととき立ち止まった。
美女は気付くと会釈をした。
「えんじ……? 今の知り合い?」
隣にいた豊は、まるでフランス人形のような女学生が、ぺこりと頭を下げたので少し驚いた。えんじは一言答えた。
「……そうさね」
「え、そうなんだ……」
豊はえんじと深い縁がありそうな美女に意外に思い、気になった。
それから、えんじと豊は二階中央総合案内で借りていた本を返した後、三階のいつものよく行く部屋へ向かった。
「豊、聞いてもいいかな?」
えんじは脚が人の背丈ほどある一人掛け椅子に座りながら、隣の同じ高さのもう一脚の椅子に座る豊に声を掛けた。椅子には梯子が掛けられていて、それをよじ登って座れば、見通しが良かった。壁いっぱいを大きな丸い茶色の時計が覆っていた。ここは“巨人の部屋”と呼ばれる読書室だった。ここはいつも人がいず、今日もえんじと豊の貸し切り状態だった。
「何、改まって、えんじ?」
豊は小首を傾げた。
「夏休みも終わってあと半年で就職活動さね」
「そうだね」
「どこに住むか決めてる……かな?」
えんじは小声で尋ねた。豊はえんじの真剣さを解せぬまま朗らかに答えた。
「地元もいいけど、求人が多いのはやっぱり隣の市だよね。私はどっちでもいいと思ってるよ」
えんじは豊のいつもの明るい声を聞くと、やや置いてから小さく一言告げた。
「……卒業後のことなんだけど、一緒に住む、というのはどうかな?」
豊は一瞬きょとんとして、それから笑った。
「あぁ、えんじ……。OKだよ。私もえんじのそばがいいかな」