XV-ii 赤いドレス (9月31日) 4. 僧侶と少年 2
「これが噂の魔・法・本!」
よろずやブンガクサークルの会長、海老名会長は赤表紙の厚い本を両手で頭の上にかざして、そこにいるメンバーに見渡せるようにした。ここは大図書館三階円卓広場であり、今日もサークルのメンバーが十五人ほど集まっていた。その中にはひぃやたまゆら、琥珀、それにこの本を持ってきた秀と、秀から話を聞いて集まってきた康がいた。
「SNSや写真撮影は駄目だからね!」
海老名会長は周りを見渡し、口を酸っぱくして注意した。会長の同学年の一人が言った。
「ウチら今までひっそりと“The Chess”のこと語り合ってきたんだから、新しく秘密が出来ても誰にも言わないって」
まわりでは「そだねー」の声があがり、互いに笑い合った。
秀は八月二十九日の朝、えんじからメールが届き、“The Chess”について新しく分かったことがあったから家に来てほしいと連絡があった。そこで家を訪ねると、新しい仲間の文学部英文学科二年の川端らすこを紹介され、そしてこの魔法本のいきさつと鏡の館の話を説明されたのだった。秀は魔法本を“読んだ”。リュージェが白の王城にいる場面だった。秀は教えてくれたお礼をえんじと豊にすると、この魔法本を“The Chess”が終わってから借りたいと頼んだ。秀は八月十日の白の読者の会合の後、たまによろずやブンガクサークルに足を運び、仲間に入れてもらっていた。すっかりサークルの雰囲気に馴染み、意気投合していたので、その仲間達にも本を見せたいと思ったからだった。ちなみに康も同じくよろずやブンガクサークルに足を寄せていた。えんじは承諾した。しかしインターネットに投稿しないよう釘を刺した。
よろずやブンガクサークルは“The Chess”が終わった八月三十日の集まりを最後に、九月の残りの夏休みはお休みになった。そして、大学が始まって久しぶりの休講日である九月三十一日に会を設けた。秀はえんじから借り受けた本をサークルに持って来て、先に話しておいた海老名会長に本を渡した。海老名会長はさっそく本を開いてみた。幻の島の大僧正の長が老眼の眼を細めてクロスを数えている場面だった。
「こりゃすごいね!」
海老名会長は喜ぶと、秀にサークルの中でもここだけの話にすると約束した。そして会が始まり、海老名会長は本を皆に見せたのだった。
「それで、早く本を見せてよ!」
三年生のメンバーがせっつくように声を上げた。
「この本は、大勢の人が同時に読もうとするとどうなるんだい?」
海老名会長は秀に尋ねた。
「あちらの世界では、僧侶の一人が声を出して読んでくれていました」
琥珀が海老名会長に教えた。
「じゃあ、とりあえず、テーブルの真ん中に置いてみよう」
海老名会長が大きな本を適当に開いて丁重に円卓の上に置いた。文字は光っていたが、誰も読めなかった。
「読めないね、たまゆらちゃん」
「皆が読みたい物を統一しないと、皆で一斉に読むのは難しいんじゃないかな……」
「とりあえず、一人一人回して読もうか」
海老名会長は仕切り直して、隣にいた四年生に本を渡した。渡された者は、ページを適当に開き、じっと見つめた。時間が経つと、喜色を浮かべた。
「わぁ、読めたよ! ウィンデラにいるシーフのギルドの親方がフローの帰還を労っている所だったよ」
「紫陽花、次貸して!」
そのようにして本は時計回りに回されていった。そして康の順番が来た。皆と同じようにじっくり本を見つめた。
『マーブルは幻の島の僧侶の館で、来客たちにお茶を運んでいた。大僧正になったマーブルは、円卓会議が開かれチェスの運営を行っている幻の島の僧侶の館に勤めることになったが、そこで初めに任されたのが駒のクロスと観戦者用クロスの回収だった。それが無事終わると、今度は僧侶の館に訪れる身分の高い僧侶や城主などの来客にお茶を運ぶ仕事に回された。マーブルは大僧正となって自分の身の丈に合った役職なのだろうかと最初は不安だったが、再び下働きのような仕事に戻って、ほっとした――』
康は苦笑した。そして隣の琥珀に本を渡した。琥珀は本を読んでみた。ラルゴがマーブルと同じく幻の島の僧侶の館で、来客の受付と案内をしている場面だった。琥珀は康を見て、一緒に苦笑した。それからたまゆらに回した。たまゆらは少し読むとひぃに渡した。
「どんな話だった? たまゆらちゃん」
「レンがキール村に帰って、鶏舎の世話を見ていてくれたブレントにキルシュ公から貰った魔法石をお礼に渡している場面を読んだよ」
たまゆらは夢の中の冒険を思い出し、余韻に浸った。レンはもうクロスを借りることはないだろう。もう夢で会うことはないと思うとたまゆらはすこし寂しくなった。クロスを借りたばかりの時は、のめり込んでいたひぃの心配をしていたが、たまゆらは自分も“The Chess”に入り込んでいたと今頃気付いた。逆にひぃは明るかった。
次はひぃの番だった。ひぃは、ガーラがフローとウィンデラの旅道具屋で買い物をしている場面だった。
そして本は一回りして、秀の元に戻った。海老名会長は秀にお礼を言った。
「ありがとう、上寺里さん! 本を貸してくれた森村さんにもお礼を言ってね!」
秀は頷いた。
「はい。皆さんも楽しめて良かったです」
「リュージェさんは無事塔の町へ行けたんですか?」
ひぃが秀に尋ねた。秀はにっこり笑った。
「リュージェさんの旅立ちは物語で見たけれど、それ以降はこの本にも載ってないんです。これは西大陸の魔法本のようですからね。でも、リアさんの助けもあったし、きっと行けたんじゃないでしょうか」
「西大陸の人が塔の町に行けるなら、私だって行けるさ! さぁ、塔の町を探そうぜ、皆さん!」
「えびちゃん、滑ってるよ」
部屋の中で笑いが起こった。
「でも、この大図書館の中で“The Chess”の世界の住人を直接見られるなんて驚きだったなぁ! “The Chess”は不思議な秘密があるとは歴代のサークル仲間達の間で言われていたけど、本当に大きな秘密を抱えていたんだね。司書の協力があったとはいえ、それを見つけた森村さんってすごい人だね。私も鏡の館に入ってみたいっ!!」
海老名会長が盛り上がって大きな声で言った。三年生の海老名会長の友達が茶々を入れた。
「えびちゃんなら、図書館から鍵を盗んで、夜まで見つからないように隠れて、開かない茶の扉を開けそう」
「へぇ、私のことが分かってるじゃないか!」
海老名会長が茶化し、部屋の中は笑いに包まれた。
「この図書館には七不思議があるよね。その一つが図書館の窓やウッドデッキから本を落としたら、その本はなぜか“消える”っていうのがあるよね。その本は館長が“遺失物”として回収して元に戻すとかいうの」
三年生の一人が怪談調に言った。
「館長って何者なのかな、たまゆらちゃん?」
「魔術師リン・アーデンの城と大図書館が繋がっているってことは、たぶん――」
そこで三年生の一人が周りを怖がらせる声で言った。
「もし、人が大図書館の窓から落ちたらどうなるんだろ……?」
部屋の空気がシーンとなった。そして、一人がぼそぼそと言った。
「消えちゃう、とか?」
「異界に連れて行かれたりしてね」
「えびちゃん、レッツ・ゴー!」
三年生の一人が再び茶化した。
「じゃあ、ウッドデッキテラスに行ってきますか~って、危ない危ない!」
海老名会長がドアへ行くふりをした。
「怖いんだか楽しいんだか分からないね」
「ところでえびちゃん、大僧正の長の権限で、来年のチェスの情報を教えてよ」
三年生の一人が、海老名会長に新たな話を振った。会長は弾んだ調子で喜んで答えた。
「ええ、いいよー。来年は、西大陸の西にある海辺の小国ストロベリーフィールド王の国と、その隣の大国スナップドラゴン王の国が招致活動をしていて、おそらくこの二国がチェスをするんじゃないかなぁという情勢だね。来年のチェスも楽しみだけど、再来年は西大陸の中でも超大国のバラ族がチェスをする流れだから、それを見られる後輩達がうらやましい限りだよ!」
海老名会長の友達の三年生がいつものように合いの手を入れた。
「えびちゃん、今から大学院のある福祉家政学部に転部して、再来年も観戦したらいいんじゃない?」
「おっ、それナイスアイディア! って、無理無理」
海老名会長は首をぶんぶん横に振った。
十一時を過ぎた頃、あさぎが円卓広場に現れた。
「あ、あさぎさんでゴザイマスネ!」
海老名会長が新たな客人を明るく出迎えた。
「今日はお誘い頂いて、どうもありがとうございました。ちょっと友人と会っていて遅くなりました」
あさぎはお辞儀をし、ひいの隣に座った。海老名会長はさっそく魔法本をあさぎの元に回した。あさぎは丁重に受け取り、そっと本を開いた。じっと読む。そしてくすっと笑った。
「あさぎさんは何が読めましたか?」
ひいがあさぎに尋ねた。あさぎはおどけて答えた。
「スターチス王とエーデル女王の話でしたが、これは大人の秘密で御座います」