XV-ii 赤いドレス (9月31日) 2. 祝杯 2
「甲府さん、先日は誕生日記念におごって下さってありがとうございました」
凛が大図書館の事務のアルバイトから帰宅しようとした時、職場の後輩からお礼の言葉を受け取った。九月三十一日。今日は大学の創立記念日で講義はすべて休講だった。凛は大学が休みの日はアルバイトの勤務シフトを入れていた。
「気にしないで。私もお世話になっているし」
凛はお礼の挨拶に軽く言葉を返した。後輩はもう一度礼をすると、「また明日」と短く返し、帰宅した。
凛が今日も大図書館二階東側エントランス付近のインフォメーションボードの前に立ち寄り、今日の予定を見上げていると、凛の帰宅を待っていたかのようなタイミングで滝が現れた。
「珍しいわね、この時間に滝が大図書館にいるなんて」
滝は飄々と答えた。
「今日はバイトは休みで、ちょっと友達と会って、これからゼミの圷先生の元に行く所。凛もこの時間は大図書館かなと思って、待ってたわけ。せっかくだから、ちょっとここで話していかない?」
凛は今日はこの後予定が無いので、滝の誘いに乗った。
「いいわよ」
二人は一階噴水広場まで歩き、噴水の縁に腰掛けた。
滝は明るく意外な話を切り出した。
「白の王さまって、高校生だったんだね」
凛は自分では白の王様の一件は滝には話していなかった。凛が不審な顔をすると、滝が説明した。
「私の友達の紫陽花が“よろずやブンガクサークル”に入っているから、そこから聞いたよ。この話は、“The Chess”を借りた他の友達には話していないけど」
相変わらず滝は情報通だった。凛は滝が全て知っている様子なので、自分も話した。
「あれから杜田先生から聞いたんだけど、後期の講義が始まってから、佐々木さんにはきつく注意したそうよ。杜田先生のことだから、長時間お説教したでしょうね。反省文のレポート提出を課したって話だったわ。その後杜田先生から聞いた話なんだけど、先生も観戦者用クロスを借りたことがあるんだそうよ」
「あの、杜田先生が相手じゃ、佐々木さんも懲りるだろね。ところで、もう一つ、クロスの盗難の件は、凛、知ってる?」
凛は驚き、それからあきれた。
「この他にもまだトラブルがあったの?」
滝は肩をすくめた。
「高校生が、同じクラスの学生の駒のクロスを盗んだって話。どうなったのかなって思って」
凛はため息をついた。“The Chess”は意外とトラブルが多いのか、クロスを盗んだ人がいるなんて信じられなかった。
「凛の所には情報が届いてないんだね。盗まれたクロスは白のポーンだったらしいけど」
「私たちがオフ会みたいなことをしたのは、白の王様の一件だけよ。その時は、大学生だけで集まっていたから、そんな話は出てこなかったわ」
滝は残念そうに言った。
「そっか。また風の噂でも飛んでこないかね」
凛が滝と並んで噴水の縁に座っていると、顔のよく似た双子が通り過ぎた。
「あ、甲府さんだ。こんにちは」
「あ、甲府さんだ。こんにちは」
小柳雲と霜だった。二人は凛を見ると、同じ声でハモるように挨拶をした。凛と小柳姉妹は、大学や大図書館で会うと挨拶をする仲になっていた。凛も会釈した。
「今日は伊藤さんはいないのですね」
雲が答えた。
「あさぎなら、午前中に白ねこ広場にいたよ。今日は早瀬さんと会うんだとか」
「凛、もしかして“The Chess”の読者?」
勘の鋭い滝が凛に尋ねた。凛は二人を紹介した。
「こちらは白のルークの読者で、小柳雲さんと小柳霜さん。こちらは赤のポーンで甲府滝。滝は私の従姉妹です」
凛の紹介に、小柳雲と霜は二人で輪唱するように呟いた。
「あ、“The Chess”の中で会ったことあるよ」
「あ、“The Chess”の中で会ったことあるよ」
滝は不思議な反応にきょとんとしたが、一息置くと、「ああ」と呟いた。
「ブリックリヒトとブラッカリヒトか……」
そこで凛は、先ほどのクロスの盗難の件について小柳姉妹に尋ねてみた。
「夏休み中にクロスの盗難があったそうですが、何か知っていますか?」
小柳霜が答えた。
「うん。その話は知っているよ。あさぎとたまに“よろずやブンガクサークル”に遊びに行くことがあるから、そこでひいちゃんから聞いたよ。この大図書館の館長自ら動いていて、二十九日に館長も紛失したクロスを見つけたって。三十日に館長に会って教えてくれたんだって」
「盗んだ人がどうなったか知ってますか?」
滝が知りたいことを尋ねた。雲と霜が答えた。
「うーん。それは知らない。ごめんね」
「もし分かったら、甲府さんに伝えるよ」
「そうですか……。ありがとうございます、雲さんと霜さん」
凛は二人にお礼を言った。
「じゃ、また」
「じゃ、また」
小柳姉妹は挨拶をしてその場を去った。凛は滝に言った。
「それじゃあ、私たちも帰りましょうか」
「そだね。バス停まで一緒に行くよ」