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The Chess  作者: 今日のジャム
Ⅰ-ii 大きな図書館
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Ⅰ-ii 大きな図書館(8月1日、8月2日)  3. 紅雲楼

 豊の部屋には、中世ヨーロッパの騎士の甲冑がある。この部屋は広くはないので、その古き者の存在感は大きい。この部屋に訪れる者は、部屋の主が夜ベッドで眠る時なんかは、見下ろされて不気味ではないかと、必ず思う。本人はあっさりと、『この長い世を生きた甲冑が、どんな者を守ることができて、どんな者を守れなかったかを語るのに耳を傾けるのが楽しいんだ』と言って笑う。


 豊は古い動画を見つけるのも好きだった。昔のCMや昔人気だったクイズ番組などである。珍しい動画を見つけたら、必ずえんじに喜んで報告する。えんじはその物の良さがいつもよく分からなかった。が、豊がとても楽しげなので適当に相槌を打っていた。


 えんじが豊の家に上がると二階の豊の私室へ入った。


 部屋の主はベッドに腰掛け、えんじはその下の茶色のクッションに座った。二人はいつもの定位置で落ち着くと、携帯端末から“The Chess”の物語をカードに保存して交換した。お互い読み比べてみると、えんじは闇の森から始まっていて、豊は魔法アイテム工房から始まっていた。


「夢で見た部分のみ配信されてるさね」

 えんじは持参した白いボトルに入ったコーヒーを口にしながら呟いた。もし駒のクロスの読者が全員物語を交換したら、“The Chess”の世界全部を知ることになるのか、とえんじはぼうっと考えた。それは王の夢かも知れない。


 えんじは昨年駒のクロスを借りた後から、“The Chess”について調べていた。夢の中で駒のクロスを三日目にして“盗まれた”後、もうエンドが主人公になる夢は見られなかった。それは不思議なことだった。物語が予め決まっているのなら、このような理不尽な現象は起きないであろう。えんじは頭の中で引っかかっていた。この事件は、何かのシステムのバグのようだとうっすらと感じた。夢の中の主人公の物語の方で問題が起こり、それが“こちら側”にも波及した、と思えた。それは夢の中の物語が“在る”と仮定することだった。それをどうやって証明するか分からなかった。それゆええんじはとにかく数少ないこの“本”の情報を集めていた。


 そこでヒントになったのが、“The Chess”の物語と関わりが深そうな本だった。鏡の国のアリスという有名な本である。“The Chess”の中にアリスと呼ばれる人が重要であるのは今年もアラネスの情報屋メイヤーの酒場で聞いたし、昨年も同じように話題になっていた。眠ったままの王様の話は、鏡の国のアリスにもある逸話である。


 えんじは鏡の国のアリスについて、大図書館で探そうとした。ところが、蔵書検索をしても不明な状態となっていた。というのも、本は洋書が一冊だけ所蔵されているのだが、蔵書場所が“不明”で“持ち出し禁止”と表示されている。どういうことかカウンターの司書に尋ねてみたら、この図書館の中にはそういう本がいくつかあるそうだった。そういった表示がされる本は、図書館の中でどこか関係のない棚に紛失してしまったものらしい。えんじは奇妙な話に引っ掛かりを覚えた。図書館では毎年一回整理点検日が設けられている。一定期間休館して図書館内の蔵書が紛失していたり、痛みがあったりしないか点検する。それでも紛失したまま“謎”になっている本があるということだ。えんじは自分でこの本を探すことにした。


 この図書館は広大だったが、えんじは一人で本を探した。しかし全く見つからなかった。謎解きのやり方を変えようか悩んだ時、えんじは図書館の中で探していない場所があることを知った。それは一般人が立ち入ることができない地下の書庫だった。地下の書庫は地上階には置けなかった本を仕舞っている。その中で本が紛失しているかも知れなかった。


 地下の書庫は一般人は入れない。それゆええんじはアルバイトという形で図書館で働くことにした。図書館のアルバイトは、夕方の六時から八時までで、主に蔵書整理をする仕事だった。求人はつつじ女子大学の学生限定であった。学生には人気の仕事なので求人倍率は高く採用は抽選だったが、運よく夏休み期間限定で採用された。アルバイトには豊も誘った。


 “The Chess”の情報は数少なかった。司書にクロスの仕組みを問うても答えは無かった。それゆえこの不思議な“本”について謎に思う者はえんじの他にもいた。“The Chess 情報倉庫”という名前のウェブサイトの主である。そのサイトの主は去年で通算五回観戦者用クロスを借りていた。観戦者用クロスは夢の物語が文字に書き起こされないが、そのサイトでは夢の中の物語を自分で覚えている限り書き留めていた。そして自分の考察を文字で語っていた。匿名なのでどこの学部の何者かは分からなかったが、“The Chess”に対する熱量は高かった。えんじは去年そのサイトの更新を欠かさず読んで謎解きの参考にしていた。交流したことは無いが、えんじはサイトの主に敬意と仲間意識を持っていた。


 “The Chess 情報倉庫”には“The Chess”の不思議な話が書かれており、例えばこんな話がある。夜眠る時に、クロスを着けてサイトに接続して眠ることと説明を受けるが、サイトに接続していなくても西大陸の夢を見ることができるらしい。昔、携帯端末が世の中に無かった時代でも“The Chess”の貸し出しを行っていて、その当時は、クロスを着けるだけで夢が見られたそうだった。当時の学生は、クロスのことは最先端技術だと語る人もいたし、魔法のクロスだと理解する人もいたらしい。


 豊がえんじの分の長い物語を読んでいる間、えんじは豊の物語を読み、それが終わると再度自分の物語をゆっくり読み返した。一時間半が経過し豊は物語を読み終わると、保存用の小さなカードをえんじに返した。


「“The Chess”読んだよ、えんじ。今年も魔剣使いはペナルティーなしで活動しているんだね。今年は理不尽に遭わなければいいけどね……。ところで白のポーンはみんな一度お城に集まるんだよね? “こちら側”ではどうかな」

「紅雲楼を確認するさね」

 えんじはコーヒーを一口飲むと、目元に笑みを浮かべて言った。二人は携帯端末で大学図書館の専用サイトに入った。


 大学図書館でのインターネットサービスは総称して“紅雲楼”と呼ばれる。

 紅雲楼では、図書館にまつわる情報を見ることができた。蔵書検索を始め、施設内の“読み聞かせ”“映画会”などの催し物の日程などである。


 また、パスワードを設定すれば、貸出履歴の閲覧や施設利用の予約ができた。その他メールボックスも利用できるようになる。パスワードはつつじ女子大、付属高校、大学院の学生は全員学校から付与され、学生は皆アカウントを持つことになる。


 この紅雲楼の特長の一つは、貸出履歴の閲覧の他に、インターネット上に自分の書庫を自由に作れることであった。その“書庫”は空の本棚の表示であり、未読既読関わらず任意の本を登録すると、本が本棚にしまっている表示になる。背表紙にはタイトルが記され、その本をクリックすると著者名や出版社などの本の詳細情報を読むことができた。本棚は、自由にいくつも創設できる。個人の蔵書管理や、読みたい本のリストなど本棚の内容を自由に作成できる。


 朝の六時に配信される“The Chess”の物語は、新しい本棚が自動で作成されていて、その本棚の片隅に新しい本として表示される。その本をクリックすると、物語のあるページへ飛ぶ。本は日付ごとに章分けされて表示される。


 物語のあるページの上部には“プロフィール”というタブがあり、それをクリックすると、他の駒のクロスの読者との交流用のサイトへと移る。交流サイトには、読者個人専用の小型掲示板や、紅白別に書き込みもできる共有掲示板などがある。プロフィール画面にはID表示がされるため、それをアドレスとして他の読者にメッセージを送り合う機能もある。また任意でニックネームを登録する欄があり、そこで自分が呼ばれたいあだ名を示すこともできる。“The Chess”では、読者同士の交流する場も用意されていた。


 えんじは交流サイトに目を通した。まだ書き込みは二つしかなかったが、その中で大きく目を引くものがあった。


【ID】015WP

【ニックネーム】 The Chess 情報倉庫

【コメント】

[8/1 7:30]


 夢の主人公はポーンの資料本製作者のリュージェさんでした!

 キタ━(゜∀゜)━( ゜∀)━( ゜)━( )━(゜ )━(∀゜ )━(゜∀゜)━ !!!!

 今日は動きは無かったです。

 駒のクロスを教会から受け取っただけでした。

 ちなみに私は自己サイト“The Chess 情報倉庫”を持っています。

 自分の“The Chess”の経歴をまとめていますので、こちらの方もどうぞ参考にして下さい。


「今年は情報倉庫の中の人は駒のクロスを借りたようさね」

 えんじは派手な顔文字のコメントを読んで喜色を浮かべた。“The Chess”の秘密を知りたい者が同じ色のポーンなのは、話し掛けやすかった。

 二人はもう一人のコメントを見た。素っ気ないコメントが書いてあるだけだった。


【ID】013RP

【ニックネーム】 再参加のポーン

【コメント】

[8/1 9:01]

 今年もバスクだった。


「バスクの中の人は今年も同じのようさね。向こうでも連続参加したら、こちらでも同じ人がなりやすいのかな」

 えんじが呟いた。

 ちなみにこのプロフィールページは、夢の中で駒のクロスをとられても、“本”の貸出期間は継続して利用ができる。去年、途中退場したえんじも、クロスを返すまで更新されるページを読んでいた。


 交流サイトは紅白ともまだ盛り上がっていなかった。えんじと豊はさっそく自分たちもネット上で挨拶を書き込んだ。


【ID】010WP

【ニックネーム】 ポーンの騎士(白)

【コメント】

[8/1 10:46]

 私はポーンの騎士エンドワイズでした。

 アラネスから旅立ってイリュイトにいます。


【ID】011WP

【ニックネーム】 探偵助手

【コメント】

[8/1 10:48]

 ポーンの魔法アイテム職人のパズルでした。

 クロスを借りるのは今年初めてです。


 簡単な書き込みが終わると、えんじは豊に言った。

「まずは情報倉庫の人に挨拶してみるかな」

「うん。何か教えて貰えるといいね」

 豊が頷くと、えんじは手際よく情報倉庫のサイト主のIDにメッセージを入力して送信した。


『初めまして。私は今年駒のクロスを借りたのが二度目の大学三年生です。サイトには去年からよく足を運んで拝見していました。私は“The Chess”の仕組みについて気になっています』


「何か分かるといいけど、どうかな……」


 えんじが一人呟いた時、豊が思いついたように「そうだ!」と声をあげた。

 豊は携帯端末で交流サイトの全員のIDが表示されたページを開いた。そしてIDの一つ一つに通知音を割り当て、三十一人分のメッセージ着信音を個別に登録していった。


「えぇと、リュージェさんの中の人からは『情報屋からメッセージです』。キングのIDの人は、『王様からメッセージです』と。白の人からは『お仲間からメッセージです』。まだネットに浮上していない人は全員『謎の人からメッセージです』と」


 豊は変わった着信音を集めていた。ドアをノックする音や鉛筆が転がる音、鳩時計の音や馬が駆ける音などである。そして身内の着信にはたいてい『ご友人からメッセージです』『ご家族からメールです』など男性執事のような声の着信音を登録していた。インターネットの中には風変わりな着信音専用のダウンロードサイトがあり、豊はそこから個性的な音を集めていた。

 ちなみIDの末尾は白のキングなら『WK』、赤のナイトなら『RN』と記載されているので、IDだけで色と職業が分かる。


 豊が着信音の登録が終わった時、えんじの携帯端末に通知音が鳴り、情報倉庫のサイト主宛てのメッセージに返信が来た。

『やっぱり“The Chess”は不思議ですよね! 私のサイトの読者様がいてくれてサイトを作ったかいがありました。私も大学三年生です。

 同じ白のお仲間ですね! (・∀・) (・∀・) ナカーマ! 宜しく願いします!!』

 えんじは素早く返信した。

『こちらこそ宜しくお願いします』


 送信が終わると、えんじと豊は互いに目を合わせた。紅雲楼で出来ることは一通り終わったことを黙したまま確認すると、えんじは立ち上がった。

「それじゃ、卒論の文献探しもあるし大図書館に行くさね」

「今年は謎を解く手伝いをするよ、えんじ!」

 豊も合わせて立ち上がると明るい表情でえんじを見た。えんじはその言葉に微笑んだ。

 それからえんじは目を伏せて、協力者に静かに言った。

「探索が行き詰まることは分かってる。でも、始めてみることは譲れないさね」



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