XⅣ 僧侶と魔女 3. 運び屋ルーマ
ルーマは不思議な雰囲気の人だった。戦いを挑んだが好戦的な様子はなく、夕日色の瞳はどこまでも理知的で、礼儀正しかった。ルーマは続けて語った。
「リュージェさんの戦い方は魔法本で読ませて頂きました。わたくしはあなたの資料本の幻影を破ることができます。ぜひ戦いたいと思ってここまで参りました。どうぞわたくしを本の世界に連れて行って下さい。わたくしはあなたに試合を申し込みたいと思います」
リュージェは相手の物柔らかな態度とはうらはらに、戦い強者の貫録を感じた。リュージェは試合を申し込まれては回避することができなかった。リュージェは答えた。
「あの、それでは戦いは私の資料本の中に入って、一時間以内に私の分身を見付けて捕まえること、ということでいいでしょうか……?」
ルーマは頷いた。
「はい、結構です。本の中に入る時、私は一つこの甕を持っていくことは出来ますでしょうか?」
リュージェは認めた。
「はい。大丈夫です。ルーマさんの持ち物はすべて本の中でも使えます」
「それは良いですね」
ルーマは首に掛けていた銀色のクロスを外した。
「宣誓をしますが宜しいでしょうか?」
リュージェもクロスをポケットから出して前へ掲げた。ルーマは宣誓の言葉を放った。
「わたくし運び屋ルーマ・ルイゼは、運び屋ギルドの名に賭けて、白の者、資料本製作者のリュージェさんに試合を挑ませて頂きます。
勝負はリュージェさんの本の中でのかくれんぼです。
わたくしが本の中のリュージェさんの分身を見つけて捕まえて、本の中から出られたら勝ちとします。
逆に一時間以内にリュージェさんの分身を見つけられず、本の中から出られなかったら負けとします」
リュージェは納得して宣誓した。
「私、白のポーンリュージェは古より言葉を残してきた歴史家たちの名に賭けて、赤のポーンルーマさんの挑戦を受けて立ちます」
リュージェは藤色の表紙の本を開いて、ルーマに見せた。
「この本は夢の粱の話の時代から遡る事百二十年前に書かれた本です。著者の若い頃の都の様子が書き留められた本です。カショの夢物語と言います。この本の中に入る時は意識が本の中にいくので、ルーマさんはお座りになってドラゴンにもたれかかりながらこの本に触るといいと思います」
「はい、ご親切にどうも」
ルーマは本の主に言われた通りに、ドラゴンを引き寄せ、その腹にもたれかかって座った。そして甕を抱えたまま本に触れた。ルーマが眠りに就き、本の世界に入ったことを確かめると、リュージェもそのページに手を当てた。
ルーマはふっと意識を失った記憶があった。しかしそれは一瞬のことのようで、気が付くのも早かった。ルーマは道端で座っていた。辺りは東大陸の服装を着た人々が行き来していた。ルーマは夢の中に入ったことを知り、手に甕を抱えていることを確認した。空を見上げた。フーガの時のように銀色の魚が浮かんでいることは無さそうだった。
ルーマは辺りを観察した。ここは東大陸の大きな“寺”の境内のようだった。東大陸の話は、流通業を営むルーマには少しばかり知識があった。東大陸に行ったことは無かったが、西大陸とは違う文化の話は耳にしていた。ルーマは歩き出し、大山門をくぐった。
そこでは市が開かれていた。小鳥や犬や猫が売り買いされており、中には珍しい鳥や変わった動物などがいた。
「古の人達も犬や猫を可愛がっていたのですね」
ルーマはにこりと微笑み、店の人の中にリュージェがいないかを確認してから、次の山門へゆったりと歩いた。
次の市は家具や道具類だった。境内には色とりどりのテントを張った露店や模擬店が出来ていた。ござ、屏風、カーテン、洗面用具などの品々を売っていた。ルーマは再び店の人にリュージェがいないか確認して、先へ進んだ。
仏殿の近くまで来た。東大陸の冠や、筆や墨や、蜜付け果物の店が出ていた。先に進むと、尼さんが色々な品物を売っていた。刺繍細工、造花、宝石細工、首飾りなどである。その店の中に尼僧姿のリュージェがいた。
「ようこそ、カショの夢の物語へ」
「人々が賑わっていて楽しそうですね」
ルーマは笑って答えた。
「私はもう少し見てから、あなたを捕まえたいと思いますね」
リュージェは物を言わず、人混みに隠れた。
ルーマは仏殿の後ろに廻った。門の前に出た。書籍、骨董、絵画が売られ、東大陸の各地から持ち寄られた物産や香料の類が店に出ていた。
「見ていて楽しいですが、私も時間がありませんので、そろそろ出ましょうか」
ルーマはここに居ぬ人に伝えると、手に持った甕を開けて呪文を唱えた。すると、するすると市の品物が甕の中に入っていった。辺りはざわざわとなった。
「何だい? 何だい?」
「盗人かい?」
店の人も客人もおどおどしていた。しかしルーマを止めようとはしなかった。市の人達は想定外の動きには反応できないようだった。ルーマは気にせず甕で店の物を吸い取っていった。
「お客さん、困るんですがね」
店の人が一人ルーマに近寄った。急いでプログラムを書き換えられたようだった。しかし乱暴なことはしなかった。ルーマは気にせず甕をその人に向けた。店の人は吸い込まれた。いつの間にか、ルーマの周りに人がいなくなっていた。世界を書き換え、人のデータを退避させたのだろう、とルーマは思った。ルーマはどんどん甕へ“世界”を吸い込んでいった。露店や模擬店が吸い込まれ、山門が吸い込まれ、仏殿まで消失した。辺りは空と地面だけが残った。
「全部吸い込んでしまっても宜しいでしょうか?」
ルーマは誰ともなしに訊いた。何もない所から、本を持ったリュージェが現れた。
「……驚きました。資料本の世界は、その甕の中に保存されているのですか?」
ルーマは答えた。
「はい。私が出た後は、きちんとお返し致します」
「それでは、これをどうぞ」
リュージェはポケットからクロスを取り出し、ルーマに渡した。
「元の世界に戻ってからも、クロスをお渡しします」
「分かりました」
ルーマは了解した。リュージェは手に持った本を閉じた。
ルーマは目を覚ました。ドラゴンの背にもたれかかっていた。リュージェは先に起きていて、ルーマに手を伸ばした。ルーマはその手を取り、起き上がった。
「これをお渡しします」
リュージェは幻ではない本物のクロスをルーマに渡した。ルーマはそれを受け取ると、ポケットにしまった。
「ありがとうございます。驚かせてしまいましたね。資料本の世界をお返ししますので、その本をこちらに向けて下さい」
ルーマはリュージェに優しく言った。リュージェは言われた通り、ルーマに藤色の本を開いて差し出した。ルーマは甕の蓋を開けて呪文を唱えた。甕の中から記号の羅列が流れ出し、それが本に吸い寄せられていった。全部が戻るのに、そう時間はかからなかった。ルーマはそれが終わると、リュージェに言った。
「この技は、ルークの異空間魔術でも使えます。この甕はどんな物で叩いても割れないように魔法がかかっています。この甕に入ったものは、私の呪文がないと出られません。この技で、キングにチェックを掛けようと思っております」
リュージェは顔が曇った。
「そうですか。私はルーマさんを止められませんね。この先を行くと、王城守護魔術師のブラッカリヒトさんが魔術を使って、ルーマさんをお城の中に引き寄せます。今王様以外で戦えるのはブラッカリヒトさんだけなので、白側にとっては厳しい戦いなのですね……」
ルーマはにこりと笑った。
「そんなに悲しい顔をされないで下さい。ゲームなので、私は楽しみたいと思っております」
「そうですか……」
リュージェの顔は晴れなかった。ルーマはドラゴンのことをリュージェに頼んだ。
「このドラゴンをここに残していきますが、大人しいのでそのままにしていて下さい」
「分かりました」
「リュージェさん、楽しい試合をありがとうございました。それでは私は行きますね」
ルーマは先へ進んだ。すっと姿が消えた。
[参考資料]
孟元老『東京夢華録 宋代の都市と生活』
入矢義高 梅原郁 訳注、平凡社、1996年