XⅢ-ii 余韻と休息 (8月29日) 2. 祭りの後の朝
八月二十九日の朝だった。えんじは七時に目を覚まして隣で眠る豊を見た。肌が白く、綺麗だった。えんじは携帯端末を見た。今朝は“The Chess”が更新されていなかった。
昨夜はえんじの家に豊とらすこが泊まった。夜中の零時半に大図書館から出た三人は、豊の車に乗り、えんじの家へ行った。
「川端さんは、これからえんじの家で語るエネルギーある?」
豊が少し大人しいらすこに楽しそうに聞いた。
「はい。私なら徹夜でも大丈夫です」
「お酒は?」
豊が重ねて問うた。らすこは短く答えた。
「強い方です」
「じゃ、いつものコンビニ寄って、お酒を調達しよう!」
「川端さんは、無理しなくてもいいさね」
えんじが心配して一言付け加えた。
えんじの家に着いた時一時十五分を回っていた。それから三時まで語り合った。主にらすこが探していた本であるアーサー王伝説の話であった。えんじは自分の知らなかった“The Chess”との共通点を説明されて、このらすこの探している本も、きっと大図書館のどこかにあるだろうと思った。大図書館には、たぶん自分たちが行ったことのないスペースがまだ他にもたくさんあるのだろう。
「今度は司書のくりさんも含めて飲み会したいね、えんじ」
豊はリキュールの缶を一つ空けて、二つ目を喉に流した。酔ってはいなかった。らすこは焼酎をストレートで飲んでいた。
「まだ“The Chess”には分からないことがたくさんあります。だから私は大図書館の司書になりたいと思っています」
「なれるよ、きっと!」
豊が明るくらすこを励ました。らすこは「そうだといいんですが……」と言って微笑んだ。
「えんじは鏡の館でエンドに会いたかった?」
豊がえんじに話を振った。えんじはカルーアミルクを飲みながら答えた。
「そうさね……。会わなくても大丈夫かな」
えんじはエンドのことを考えた。何故かクロスが無くても心が通じるように思った。エンドもきっと、えんじに会いたいかと尋ねられたら、首を横に振るような気がした。
「くりさんは毎年リアなんだよね。私も来年もパズルの冒険を見たいな。来年は新しい工房だね。持ち前の明るさで周囲に馴染んでいる所が見たいな」
「来年のチェスでもエンドと試合を見ている所が浮かぶさね」
「そうだね。……そろそろ寝ようか、えんじに川端さん」
豊は時計を見て、切り上げの言葉を放った。
「布団は……」
えんじは豊の顔を見た。いつも豊がえんじの家に泊まる時は、客人用の布団を使っていた。
「私はえんじと一緒のベッドでいいよ、えんじが良ければ。川端さんは、もう一つの布団を使って」
「お邪魔でしたら私は朝まで起きていて、それから帰っても大丈夫ですが……」
らすこが迷惑を気にして遠慮した。
「うーん、でも朝起きてからも話したいし。えんじは?」
「大丈夫さね。豊がいいなら。川端さんは遠慮はいらないさね」
らすこは納得し、三人は休憩を挟むように眠った。
えんじの目覚めと同じ時間に、らすこが目を覚ました。
「七時ですね」
「豊を起こさないようにするさね」
えんじは静かにベッドから離れた。
「あの、つかぬ事をお伺いしてもいいですか?」
らすこが遠慮気味に小声でえんじに尋ねた。
「何かな?」
「……お二人は付き合っているのですか?」
えんじは質問に驚いて少しの間唖然とした。
「え……。違うさね」
えんじは動揺した。そして落ち着いて答えた、つもりだった。らすこは空気を読んだ。
「すみません。お二人の距離感が近いような気がしてお尋ねしました」
「エンドにも言われたな……」
えんじは呟いた。
「顔に出てた、かな……」
えんじは小さな声でらすこに聞いた。らすこはどっちともつかない答えをした。
「あの、そんなことはありませんよ。大学の友達にも似たような人がいて、ちょっと気が付いただけですから。大丈夫です、秘密にします」
「そんなに気にしなくていいさね」
えんじは却って動揺してしまったらすこを落ち着かせるように、落ち着いて言った。
「大丈夫さね。豊はどう思っていても、それを聞いて怒るような人じゃないさね」
らすこの軽い質問にえんじは真面目に答えた。らすこは改めてえんじと豊の距離感を理解した。
えんじは一言付け足した。
「豊とは付き合いが長いから」
それからえんじは身支度をした後、三人分の朝食を用意した。トーストと目玉焼きとサラダとコーヒーだった。えんじは机で食事をし、客人の豊とらすこは食卓で食事をした。えんじは二人に言った。
「今日はこの魔法本を見せたい人がいるんだけど、呼んでもいいかな?」
「え、誰のこと? 私はいいよ」
豊が即答した。らすこが遠慮気味に答えた。
「私も構いませんが、一緒にいてもいいですか?」
えんじはらすこの問いに頷き、話した。
「川端さんも会ったらいいと思う。“The Chess 情報倉庫”の管理人の秀さんさね」
「あのチェスのサイトの管理人さんとお知り合いだったのですか?」
らすこは驚き、えんじを見た。らすこも件のサイトはよく知っていたし、参考にしていた。
「この魔法本にぴったりの人だね!」
豊が納得して言った。らすこは顔が明るくなった。
「ぜひお会いしてみたいですね。とても“The Chess”について調べている方でしたから」
「秀さんは私と豊と同じゼミ生さね。ネットには書かないことを約束して、昨夜あったことを話してもいいかな」
「たぶん、川端さんも面白い話が聞けるよ!」
「そうですね」
豊とらすこの了解を得て、えんじは秀にメールを入れた。
「ところでまだ川端さんの連絡先を聞いてないよね」
豊がテーブルに置いてあった携帯端末を取ってらすこに尋ねた。らすこも携帯端末を手にした。二人はメールアドレスを交換し、その中にえんじも混ざった。
「これで“The Chess”の情報交換ができるね。川端さんなら、また何か新しいことを発見しそうだね」
豊はらすこのメール着信音を“謎解き友達からのメールです”に登録した。
食事が終わり、使った皿を豊とらすこが洗った後、らすこが二人に断った。
「そういえば、昨日のことを知らせたい友達がいるので、ちょっとメールを打つ時間を下さい」
「いいさね」
「どうぞ、どうぞ」
らすこは壁にもたれかかり、真に昨夜のことをメールした。真はきっと生穂から話を聞いているだろう、とらすこは思った。それゆえ詳しい話は今度会った時に話すことにして、今は新しい友人の話をメールで語った。
「この魔法本はくりさんは好きなだけえんじが持っていていいって言ってたけど、これからどうするの、えんじ?」
豊は再び魔法本を開いて、えんじに尋ねた。
「私が卒業する時、くりさんに返そうと思ってる。それまでは“The Chess”を読んでいたいさね」
「いいね」
豊は笑った。