Ⅻ-ii “お休み”の日 (8月29日) 2. 青年王のチェス
鏡の中の異界の女学生たちが部屋を去り、暖炉の上の鏡は暗い部屋のみが映っていた。一旦暖炉の前に集まっていた客人たちと城主は、再び席に戻った。
城主は客人たちの杯を消し、新しい茶を現した。
「リン、私はまた会えたらやりたいことがあったのです」
青年王はにこやかにリン・アーデンの顔を見た。そして部屋の奥にあるテーブルを指さした。
「私はもともとチェスの闘争心が苦手で好きではなかったのですが、リンが去った後、チェスを指すようになって強くなったんですよ。今一戦どうでしょう?」
魔術師は目を細めた。それは自分が庇護した王の成長を喜んだようだ、と青年王は受け止めた。魔術師は手を打った。
「そうですか。それでは一戦願いましょうか」
二人はチェスボードのあるテーブルへ移動した。新しく注がれたお茶が空間を浮かびながら二人に付いてきた。ラベルは二人のゲームを観戦しにテーブルの横に行った。辿り着くとその場に新たに椅子が現れた。リアは動かずゆったりとお茶を飲んでいた。
「いつもは私が白を持たせて貰っていましたが、どうぞ、今日はリンが白を持って下さい」
青年王は黒い駒の席に座ると、魔術師に先手を譲った。
「久しぶりですね。アーサ様」
リン・アーデンは一手目を指した。青年王はすっとポーンを出した。二人はテンポよく盤上に駒を拡げた。
「リンが“チェス”を創ってくれたおかげで、紛争が抑制されていると思います。それに私もチェスに参加した時は、久しぶりに冒険もできました」
青年王がにこやかに語った。たまにお茶を飲みながら、長考せず、ゲームが進められた。
「お強くなられましたね、アーサ様」
リン・アーデンは穏やかに、しかし攻撃の手は緩めずささやいた。
「こうして会うことを知っていて、魔術でチェスを創ったのですね」
その後も攻防は続き、青年王は最終盤面で相手の王を詰んだ。ラベルはゲームの結果を見て驚いた。誰もリン・アーデンにチェスで勝った者はいないと伝説では伝えられていたからだった。青年王は一礼すると言った。
「これでやっと私も一勝ですね」
リン・アーデンは微笑んだ。
「今度また訪れた時もお相手をお願いします、アーサ様」
プロミーとラベルとリアはそれぞれ客室を与えられ、その夜聖杯城に泊まった。
リアは寝台から目が覚めると、枕元に城主が立っていた。
「昨夜は遅くまで昔話に付き合ってくれてありがとうございます、リン。途中で眠ってしまってすみませんでした」
リアは旧友に礼を言った。
「目覚めましたか、リア」
リン・アーデンは優しく挨拶を返した。リアは起き上がった。
「食事ができています。支度が整ったら食堂へ一緒に行きましょう」
「はい、ありがとうございます。広いお城ですね」
リアは他愛なく呟いた。リン・アーデンはもてなすように言った。
「この城を維持するエネルギーは聖杯を使っています。あのリアとクエストした時に得た異界の宝物です。今度は一人でまた好きな時に遊びに来て下さい。一度この城に足を踏み入れたので、次は空間を渡って来られるでしょう」
「リンを懐かしむ友達はどうするのですか? 詩人のルイなんかは、僕のようにリンを探しているようでした」
「今度チェスが終わって落ち着いたら招待します。私は最初に私の隠れ家を見付けるのはお師匠だと思っていましたよ」
リアが支度を済ませると、城主は食堂へ案内した。その途中のことだった。
「プロミーさんを宜しくお願いします、リア」
リン・アーデンは旧友に一言頼んだ。
「彼女は私の元にアーサ様を連れて来て下さいました。私からは何もできないので、リアにお願いします。プロミーさんを赤の城の王の間まで連れて行って下さい」
リアはにこりと頷いた。
「はい、分かりました、リン。そう言うと思っていました。僕にできることなら戦いも引き受けましょう」
客人たちは朝食が終わり、旅の支度を整えた。出発の時だった。聖杯城の入り口で、プロミーとラベルとリアは、城主リン・アーデンに暇乞いを告げた。
「お世話になりました、魔術師リン・アーデン。本当はロッドがここへ来るべきだったのが心惜しいことです」
ラベルは魔術師に礼をして言った。城の前の湖には小船が一艘浮かんでいた。
「私は……誰なのでしょう」
別れ際、プロミーが魔術師に問うた。その言葉は心細く、消え入りそうだった。
「アーサ様を連れてきて下さってありがとうございました。プロミーさん」
魔術師は膝を折り、プロミーに言った。
「名無しの森でも忘れなかった、それがあなたのお名前です。
“時間に嫌われし者”の私には、あなたを助ける手立てがありません。しかし、きっとプレイヤーの中に、助けの手を差し伸べて下さる人がいるでしょう。これは、魔術師の予言ですよ」
魔術師は優しい笑顔で旅立つ少女を見送った。旅人達は舟に乗った。舟は来た時と同じように漕ぐ者がいないまま岸を去るように動き出した。城主は小船が霧の中に消えるまで湖岸で見送った。
しばらく湖の上を流れるように小船が進むと、岸にたどり着いた。そこは元来た道であり、白馬と小鹿が草を食んで森の中で待っていた。旅人達は舟から降りると、ラベルは愛馬の背を撫で、プロミーは小鹿の首に手を当て一夜待たせたことを詫びた。辺りは霧が濃くなり、湖があった場所は草原へと変わっていった。湖が見えなくなると、草原から人が三人旅人達の元に現れた。
「ああ! リアさんにプロミーさん!」
パズルが駆け寄って再会を喜んだ。
「探し人に会えたようだな、リア」
エンドはリアに言った。リアは強く頷いた。
プロミーは前を仰いだ。霧は晴れ、湖に浮かぶ幻の古城の跡は無かった。