Ⅺ-ii 定期演奏会 (8月27日、8月28日) 3. 夜の部 4
第三部を知らせるチャイムが鳴った。しばらくしてから会場が静まると、幕の内側から太鼓が踊りの拍子をとる音がした。何か劇が始まりそうな音楽だった。上品ながら情熱的な音楽。幕が開き、明るいステージでは生穂が太鼓をベルトで結わえながら、踊るようにリズムを乗せていた。
曲が終わると、ホルンの部長がステージのマイクの前に立った。ステージの奏者たちは二部で着ていた白いローブは羽織っていなかった。
「本日は、つつじ女子大付属高等学校吹奏楽部 定期演奏会 夜の部で、音楽に耳を預けて下さり誠にありがとうございました。私たちは、音楽を大事にして下さる観客の皆さまも演奏者の一員であると思っております。
音楽は不思議です。聴いただけで聴く人を遠い世界の果てまで連れて行きます。本日はいかがだったでしょうか? あと残す所二曲になりましたが、どうか最後までお付き合い下さい。
次の曲は当吹奏楽部顧問恩田せつ作曲『ガウェインの歌』です。恩田のトランペットソロをお楽しみ下さい」
部長は礼儀正しく一礼し、席に戻った。落ち着いたドレスに着替えた恩田先生は用意していた金色のトランペットを構え、ステージ横に立った。スポットライトが当たった。バリトンサックスの奏者が指揮台に乗り、演奏が始まった。
トランペットの音色が柔らかな曲だった。晴れやかで、優しく語りかけるようなソロだった。緊張や衒いのない演奏が、奏者の性格を思わせた。真は耳を澄ますと、“The Chess”の知らない昔話を聞けるように感じた。演奏が終わると、温かな拍手が流れた。
再び部長がステージの前に来た。
「それでは次の曲は、バレエ音楽「くるみ割り人形」より『花のワルツ』です」
美しく上品な音色が始まった。音楽は緩やかな川の流れのように進んだ。真は西大陸を思った。花で満ちた広場で町の人々が祭りで踊っている姿が目に浮かんだ。真は音楽の中に沈み、ひと時“The Chess”の中にいた。今日最後の演目は終わった。
曲が終わると、観客席では大きな拍手が鳴り響いた。それがいつの間にか、手拍子に広がった。幕は下がらなかった。
指揮者の恩田先生が挨拶をした。
「皆さまどうもありがとうございました。夏の夜の短い演奏会の最後の曲は、バルトーク作曲『ルーマニア民族舞曲』より、3踏み踊りと、5ルーマニア風ポルカ、6速い踊りです」
指揮者は礼をすると、ゆっくり指揮台に上った。棒を振る。
ひっそりとした世界がやって来た。砂漠の夜を思わせた。空間を渡る孤独な翼竜が背負う幻想的な砂漠。音楽で異界に心が飛ぶのもこれで終わりかと思い、真は大事に音楽を聴いた。
1曲目が終わると、打って変わって、速いペースの楽しげな音楽に変わった。会場は一体感を持って音楽が歌う“異界”に浸った。
音楽が終わると、ステージの奏者は全員立ち上がり、幕がゆっくりと惜しむように降りていった。拍手は尽きない。幕が下り切って少しすると、アナウンスが流れた。
「これでつつじ女子大付属高等学校吹奏楽部 定期演奏会 夜の部を終了いたします」
真はアナウンスが流れ、片付けの準備をしている間も音楽の余韻の中にいた。不思議な演奏会だった。終わってしまうと物足りなく、まだ聞いていたい気持ちだった。真は鞄からアンケート用紙を取り出し“とても良かった”と感想を書いた。ホワイエでは今夜も生穂が観客に挨拶をしていることを思い、真はホールを出た。
ホワイエの出口では、今日も吹奏楽部員が一列に並び来場者に礼をしていた。その中から生穂を見つけて、足早にそばへ行った。
「今日もありがとう、お姉ちゃん。今夜は遅くなるよ」
生穂は祭りの後の晴れやかな表情で真に言った。
「そうだね。あんまり遅すぎないようにって言っても無駄だよね。今日は“不思議”な祭りだったね。つい“遠くの世界”を行き来してしまったよ、生穂」
「うん、今夜はなんか神秘的に盛り上がった。じゃ、またね」
生穂は再び来場者に「ありがとうございました」と礼を言い、真はホールを出た。
夜の空気は興奮が冷めぬ者に暖かかった。真はそばまで来た“不思議”を離さぬようにゆっくりと一人帰路に就いた。