Ⅺ-ii 定期演奏会 (8月27日、8月28日) 2. 昼の部 3
余興が去ると、数分間をおいてから、第二部を知らせるチャイムが鳴った。辺りは再び静かになった。客席の照明が落とされた後、ゆっくり幕が開いた。ステージは暗かった。
ステージ上では楽器を持った二年生と三年生が楽器ごとに直立して並んでいた。椅子や譜面台は無かった。
高らかなファンファーレが鳴り響いた。そこから始まった音楽は舞台の色を変えた。耳になじみやすい軽やかな旋律がセピア色のおとぎ話のような世界に観客を誘う。曲は『ラコッツィ行進曲』。奏者は皆笑顔で行進曲に合わせてきりりと足踏みしていた。
次は『歌劇「トゥーランドット」より 誰も寝てはならぬ」』。音楽は夜明け前のように静かに始まった。有名な美しい旋律を繰り返しながら、最後は華麗に盛り上がる。奏者たちは、変幻自在に隊形を変えて動きながら、音楽を支えた。曲が終わると、今日最高の拍手が湧き上がった。
拍手が終わると、ここで司会者が現れ、次のプログラムの説明をした。
「それでは次は皆さまお待ちかねの、ビンゴ大会を行いたいと思います。景品はガラス工房様からご提供頂いたガラス細工の風鈴と、おもちゃ工房様からご提供頂いた木のおもちゃなどです。ビンゴ大会はすぐ始まりますので、皆さまそのままでお待ち下さいませ」
幕が閉じ、観客席は再び明るくなった。辺りは待ってましたとばかりざわめいた。真はプログラムからビンゴカードを取り出した。去年も昼の部のビンゴに参加したが、何も当たらなかった。ステージでは、ホワイトボードと、数字の書いたボールが入った箱と台が運び込まれた。真はビンゴカードの真ん中を折り曲げて準備をした。ステージでは用意が整うと、マイクを持った学生がゲームの開始を告げた。
ビンゴゲームは淡々と進んだ。一つ一つ箱からボールを取り出し、それを読み上げながらホワイトボードに数字を書き込んでいった。ホワイトボードに四つの数字が並んだ時、初めて会場から「ビンゴ!」という声が響き、小さな女の子を連れた父親がステージに上った。それからもゲームは続き、用意された景品が尽きた時終了となった。真はとうとう一つも当たらなかったが、大して気にすることもなく、穴の開いたビンゴカードを鞄に仕舞った。
休憩が終わり席から離れていた観客が戻った頃、第三部が始まるチャイムが鳴った。藤色の幕がゆっくり上がり、客席が再び暗くなっていった。観客たちは次の演奏を息を飲んで待つ。奏者たちが座るステージは明るかった。服装は皆第一部と同じブレザーだった。幕が半分ほど上がった時、すでに指揮台にスタンバイしていた指揮者が勢いよく棒を振り上げた。アップテンポで楽しげな曲が始まった。生穂を探すと、ホイッスルで音楽を盛り上げていた。
音楽が終わると、ホルンパートの中の一人が席を離れ、舞台前面のマイクの前に立った。
奏者は一礼してから会場の観客に挨拶をした。
「皆さま、本日はつつじ女子大付属高等学校吹奏楽部 定期演奏会 昼の部にお越し頂き誠にありがとうございました。私は部長の藤井始と申します。この会はたくさんの方のご協力で開催することができました。この場でお礼申し上げます」
部長は再び深く礼をした。
「第三部一曲目は顧問の恩田せつ作曲『マーチ 風力0』でした。学校祭などで機会があったり、特別の機会が無くても演奏する定番の曲です。仲間で盛り上がれるノリの良い所が好まれています」
部長の隣に指揮者が並んだ。ステージが明るくなった。
「ここで本日の指揮者の紹介をしたいと思います。私たち吹奏楽部の顧問の先生で、恩田せつです。担当教科は音楽です。恩田先生の姉の恩田律さんはプロのフルート奏者です。
恩田先生は普段は作曲まで手掛ける魔術師です。一月に行われるアンサンブルコンクールでは、市内の他校の生徒たちに自分の作ったアンサンブル曲を提供しています。会場の皆さまの中には、恩田先生の曲を演奏したことがある方もいらっしゃるのではないでしょうか」
指揮者はここで礼をし、会場は拍手で溢れた。舞台の下手から花束を持った司会者が現れ、指揮者に花束を手渡した。再び拍手が盛り上がった。
それから静かになると、部長は最後の曲を紹介した。
「本日最後の曲は、ロッシーニ作曲『ウィリアム・テル序曲』です。楽しい音楽をどうぞお楽み下さい」
部長が席に着き、指揮者が指揮台に上った。そして指揮棒を振り上げた。軽快なファンファーレが舞台に広がる。前の席にいた高校生の一団の中の一人が、隣の友達に静かな声で「これ演奏したことある」と懐かしそうに喋った。明るい音楽に会場は盛り上がった。
盛り上がりが最高になり、曲が終わると、今までで一番の拍手が起こった。「ブラボー」と叫ぶ気のいい男性もいた。ステージでは奏者全員が立ち上がり、拍手に包まれた。そのまましばらくすると、ゆっくりと幕が下りた。幕が下りても、観客は拍手を止めなかった。
そのうち拍手は手拍子に収束した。会場は無言で「アンコール」を求めていた。
しばらくすると幕が開いた。奏者たちは座った。指揮者がマイクの前に立ち、礼を言った。
「ありがとうございます。それでは、最後に童謡『This Old Man』を演奏させていただきます」
惜しみない拍手が送られた。指揮者は指揮台に立つと、軽く棒を振った。
和やかなゆっくりした曲だった。パーカッションの伴奏の中でフルート、クラリネット、オーボエ、ファゴット、サックス、ホルン、トランペット、トロンボーン、ユーフォニアムとチューバと弦バス、……と同じ旋律を楽器が代わる代わる交代しながら繰り返していった。それぞれ自分の番の時、立ち上がって演奏した。十番目には奏者全員が演奏して曲をしめた。
音楽が終わると再び奏者全員が立ち上がった。本日最後の拍手が会場を埋めた。再び幕が下りた。拍手が止まなかった。その中で無情なアナウンスが流れた。
「これでつつじ女子大付属高等学校吹奏楽部 定期演奏会 昼の部を終了いたします」
拍手はやっと静まった。
演奏会は定時の十六時に終わった。真の周りでは、椅子を戻してこの場から去る人たちで混み合った。真は鞄からプログラムに挟まっていたアンケート用紙とクリップペンシルを取り出し、手早く質問に答えていった。アンケート用紙の収集は会場の出口付近にある。
それが終わると真は立ち上がり、人の列を崩さぬよう気を付けながらホールの外に出た。真の前では、小学生の少年が『This Old Man』をハミングしていた。
真はホワイエに出ると、ガラス扉の出口の前で来場者たちに挨拶をしている白いブレザーの一団を見つけた。つつじ女子高校の吹奏楽部の生徒たちだった。皆、帰る観客たちに「ありがとうございました!」とお辞儀をしていた。手に風船を持ち、子ども客には風船を渡していた。その中に、妹の生穂がいた。アンケート用紙とクリップペンシルを所定の回収ボックスに入れると、真は妹の所に行った。そのそばには康が同じく吹奏楽部員と話し込んでいた。おそらく後輩と話しているのだろう。
真は生穂に話し掛けた。
「お疲れさま。今年も満員だったね。良かったよ。お母さんも来てるけど、見た?」
生穂は家族の声に顔を上げると笑顔を向けた。作り笑顔ではなく、やり遂げた笑顔だった。
「お母さんなら、さっき帰っていったよ。明日もあるんだから今日は早く帰ってきなさいって言われちゃった。お姉ちゃんも来てくれてありがとう」
「でもまた友達と小打ち上げして今日も遅くなるんでしょ」
生穂は真の言葉を笑ってゆるりと受け流した。真は最後に励ますように言葉を贈った。
「明日も聴きに来るよ」
「うん。またね」
生穂が頷いた。照れと喜色が混ざっていた。真はその場を離れ、コンサートホールを後にした。大図書館から外に出ると辺りは夕暮れに染まっていた。真は余韻を心に残したまま帰途に就いた。