Ⅺ 女王の昔話 7. 王さまと半獣の血を引く王女 2
エーデルは私室の窓から外を眺めた。スターチスの野原が広がっていた。ポーン達はこの野原を越えて、赤の王都へ旅立った。
エーデルはスターチス王の国とデンファーレ王の国がチェスでゲームを戦うのを見るのは初めてではなかった。百年程前のチェスでも同じように、王城へ集まったポーン達はこのスターチスの草原を後にして、戦いに行った。
その時もルークはブリックリヒトとブラッカリヒトだった。彼らは何度かこの百年おきのゲームに参加している。
他にもポーンの一人、リアはルークよりも多くチェスに参加している。エーデルはスターチス王から、スターチス王の国には毎回チェスに参加するポーンが一人いると伝え聞いた。かの者は異界の者であり、探し人がいるためチェスに参加していると。王家の者にとっては常連の客人であり、チェスに参加していない時も、客人として城に泊まる顔馴染だった。
王城では本を大切にする。新しい本を収集したり、古い本を譲り受けたりした。その気風はこの旅人と相性が良かった。エーデルはこの旅人の旅の目的を聞いて知っている。今年はその旅人の友人との約束が果たされるような流れであり、心から良かったと思った。
エーデルは半獣の血筋を持つ由緒正しい王家の女性だった。半獣の中でも魔力ある猫が人に姿を変えた者と、人との間にできた子だった。西大陸の酒場や食堂ではよく猫耳の給仕がいるが、この者達は半獣の血筋だった。しかしエーデルは半獣の血は遠い祖先のものなので、猫耳ではなかった。半獣の血ゆえ、エーデルは人間より長く生きることができた。現在の年齢も百才を越えていた。
エーデルの生まれた家は、小国ながらも歴史のある国だった。周りの国は大国ばかりだったが、誰もがこの国に一目置いて、むげにされることはなかった。二千年前の青年王の伴侶である猫耳の女王の生まれた国と近く、かの女王を助けていたという逸話がある。
西大陸の王家の女性は魔法を学び、剣技も修める者が多い。エーデルも例外ではなく、成人した頃には立派な魔法使いであり、剣士であった。エーデルは祖先の半獣の血で魔力は強かった。さすがに戦闘に特化したルークには敵わないが、多くの者を一度に相手するほどの強さと勇気があった。
あるチェスの時、エーデルは団体馬上試合を見に行った。そして祝祭が終わると、その夜はその城に泊まった。城での労いの会の時、同じく賓客だった若い王がエーデルに言葉を掛けた。
「いい試合でしたね」
振り向くと、金の髪を頬の辺りでカールした気品のある青年が白ワインの杯を片手にエーデルに微笑みかけていた。エーデルは微笑み返した。社交の場で男女問わず話し掛けられることには慣れていた。
「どちらもよく戦いました。お祭りが終わってしまって惜しいことですね」
「私はエーデル様も参加されるかと、少し思っていました」
エーデルは少し困った顔をした。確か、この青年はスターチス王だった気がするが、話すのは初めてなので、うろ覚えなことを言い、失礼になってはいけないと思った。
「ええ、私がチェスの試合に参加すると、邪魔してしまうでしょう」
エーデルは取り留めもない言葉で返した。
「私はあなたのご活躍する姿をいつも楽しみにしておりました」
青年は明るく朗らかに言った。エーデルは青年の王冠の飾り石に刻まれた紋章をちらりと見た。スターチスの紋章だった。
「その言葉、ありがとうございます。スターチス王?」
エーデルはよく馬上試合に参加するので、西大陸の王家や騎士の人々に顔を知られていた。応援の言葉を受け取ることも多く、今夜もその一つ、だと思った。
「エーデルワイス王家の王女様。応援や形見の品などは多いのでしょう。私はご挨拶が遅くなりましたが、今夜はご一緒させてくれませんか? 私は喜んでこのご縁を繋ぎ留めたいと思います。
申し遅れましたが、私はアーサ・クエスト・スターチスと申します」
スターチス王は、若々しくエーデルを口説いた。エーデルはにこりと微笑んだ。好感を持ち、じっくり話したいと思った。そしてそろそろ自分にも伴侶を持つ年頃なのか、と感じた。
スターチス王は二十才だった。十五才の時に戴冠したということだった。若い王は自分でも団体馬上試合に参加することがあり、またよく観戦しに行き、そこでエーデルのことを知ったということだった。
「あなたのお話は小耳に挟んでおります。半獣の血をお持ちで、体の成長が遅いので少女の姿で団体馬上試合に挑み、多くの騎士を落馬させ、剣技で破ったと。その姿は戦いの女神が宿った、と言われていたそうですね」
「よくご存じですね」
エーデルは昔の武勇伝をこそばゆく思った。この隣で話す王は、本当に憧れて敬意を持っているようだった。
「私もそのご様子を拝見したかったです。しかし私はこれからのエーデル様を見守れるので良しとします。私はそれ以上を望んでもいいですか?」
スターチス王は穏やかに尋ねた。しかしエーデルを覗き込む碧い眼は熱を帯びているようだった。
「まぁ、嬉しいことですね」
エーデルは当たり障りのない答えを返した。しかしこの若い王といる時間は楽しかった。
宴の会は人が少なくなっていた。スターチス王は答えを躱されても気にせず、次の言葉を放った。
「今日は星がきれいです。少し見に行かれませんか?」
「ええ、ご一緒します」
エーデルはにこりと微笑んだ。
夏の星空は綺麗だった。たまに吹く風は心地よく、しばらく語り合うのもいいな、とエーデルは思った。
「今年のチェスは小国同士で見ていて和みますね」
エーデルは取り留めのない話をした。
「プレイヤーが全員家族の様で、まるで私の国を見ているようです」
スターチス王はエーデルの語りに耳を傾けていた。
「私の国は高い山に囲まれた国で、雪が降ります。その地形ゆえにチェスに参加する条件に当てはまらず、チェスに参加したことはありません。私自身も王家の者ゆえ、他の王家のポーンになることは遠慮しました。でも、チェスに参加してみたら楽しそうですね」
エーデルは少し憧れがあった。もし自分がチェスに参加したら、ナイトになって力を試してみたいと。その気持ちを推し量ってか、スターチス王が思わぬことを言った。
「では、私の国でご活躍される心持ちはありませんか?」
「どういうことでしょう?」
「私はあなたをクイーンとしてお迎えしたいと願っています」
「まぁ、それは大胆なお言葉で」
エーデルは再びにこりと笑った。スターチス王は言った。
「私はいずれチェスに参加することになります。どうか一緒に戦って頂けませんか?」
エーデルは確認した。
「それは求婚なのですね?」
「ええ」
スターチス王はにっこり笑った。温かい笑みだった。
「まぁ。でも私はあなたより年上ですよ?」
エーデルは訊いた。試すように、確認するように。
「もちろん存じております」
スターチス王は答えた。その答えは安心させる不思議な力があった。
エーデルは意地悪を言った。
「私はあなたより長い時を生きますので、あなたが寿命でお亡くなりになられた時、私は長い間一人になりますね」
若い王は爽やかに笑って言った。
「私の国では王は亡くなると、その遺体を宇宙へ送り、魂は空の上から見守っているのですよ。寂しい思いをさせてしまうかも知れませんが、私はずっとあなたを見守っています」
エーデルは言葉を飲んだ。この王に信頼が芽生えた。スターチス王は言った。
「もう夜が遅いですね。あなたの客室までお送りしても宜しいでしょうか?」
「私の答えはどうしましょうか、スターチス王?」
「あなたが参加される次の馬上試合に、私は観戦に行きます。その時、気が向いたら私を訪ねて下さい」
「ええ、分かりました」
エーデルは城の客室まで送ってもらうと、にこやかにスターチス王を見送った。
スターチス王の評判は良いものだった。青年王の血筋でよく国を治め、騎士を大切にし僧侶と良好な関係を築いていると。エーデルは好青年なのだな、と思った。この縁を大切に育ててみるとどうなるか、とエーデルは興味を持った。