Ⅺ 女王の昔話 6. 宣告
夏の終わり、去年のチェスが終わった頃のことである。
「フェネルの町の直轄領の契約を解消させたのはあなたですね、デンファーレ!」
スターチス王は、書簡で約束した日時にスウェルトの王城へペガサスで行き、王の間でデンファーレ王に詰問した。女王アキレスは不在だった。
「あの町は王家に献上する什器を作ることで産業を守ってきた町です。あなたの領地にも同じ産業があるでしょう? それを私の国との絆を解消してしまっては、職人の技が失われ、町が細るでしょう。あなたはあの町を支えるとは思えません。
あなたは自治領の市議会議員に賄賂を贈り、自分の思い通りの町にしていることも知っています。自治を守りたい町の人達とあなたの国のお金が流れている人達の間で争いになっていても、あなたは気にしない人だからです」
デンファーレ王は相手の怒りに関心を示さず言った。
「ああ、そうだ。あの町は僧侶の道が交差する要衝の町カーレインから二日の距離でシエララントからも近い。地理的にも栄えた町に囲まれていて、押さえておくにはいい場所だった」
「そこで働く職人たちはどうするのですか?」
「陶器に良い土が採れる。王家に献上するよりは質が落ちるかも知れないが、什器ならどこでも売れるだろう」
「あの町が創る什器は芸の細かい美術品です。それを二束三文で売ってしまっては職人たちは貧するだけです。王家に献上する什器はどこの国にもお抱えの町があり、他の町と競合する力はあの町にはありません。あなたは見て見ぬふりをするのですか?」
「ほう。職人を代弁しに来たのだな、スターチスよ」
デンファーレ王は言った。挑発が含まれていた。
「町を守るのが王の務めですよ、デンファーレ」
スターチス王は挑発を軽くいなして答えた。
「まぁ、スターチスよ、久しぶりに会ったのだ。チェスでも指さないか?」
デンファーレ王はゆったりとして動じることなく、スターチス王を見た。薄紫色の眼は冷たく、鋭かった。スターチス王は言葉を飲み込み、一言答えた。
「いいでしょう」
従者がテーブルと椅子を置き、チェスの用意をした。紅白のチェス盤に駒が並べられ、スターチス王は白の駒の方を、デンファーレ王は赤の駒の席に座った。二人は馬上試合の観戦で顔を合わせることがあると、始まる前の時間をチェスで戦うことが度々あった。
「今年のチェスは面白い戦いであったな」
デンファーレ王は言葉を放った。スターチス王が否定した。
「今年のチェスは酷かったです。赤のポーンがプレイヤーからクロスを盗むことを繰り返し、白の国は負けてしまいました」
「赤の王は勝つことを選んでクロスを盗むことを認めた。チェスではクロスを盗む者もいて、それで戦いのバランスを左右し、それを勘案したうえで賭けが盛り上がる。盗まれる方が悪いとは、暗黙の了解だ。それを王が公認しても良いだろう?」
「盗まれる方が悪いとはただの悪人の暴言です、デンファーレ。それを繰り返すと、誰もチェスには興味がなくなり、プレイヤーも真剣にゲームに参加しなくなります」
「勝つことが全てではないか、スターチスよ」
デンファーレ王は自信に満ちた眼で尋ねた。これは決まっていること、というふうに。スターチス王は驚き、デンファーレ王に問いただした。
「正気ですか、デンファーレ!? 不正で得た勝利で祝杯をあげることなどできないでしょう?」
デンファーレ王は笑った。
「しかしスターチスよ、勝った方が人々の記憶に残る。どんなに悔しい試合をしても、それを覚えているのは本人達だけではないか? 人々は最後には勝ち馬に乗りたがる。そして不正を気にせずにいた者だけが歴史書に残り、未来の者はその不正に寛容になる」
「私は否定します、デンファーレ。勝つこと以外の魅力がチェスにはあると思います。それをプレイヤーと観戦する人々が大事にしたから、今の平和的なチェスがあるのだと思います」
スターチス王はきっぱりと言った。デンファーレ王は答えた。
「そうかも知れない。しかし私は王だ。不確かな公平精神で勝ちを譲る気はないし、負けた者に構う気もない」
デンファーレ王は不敵な眼でスターチス王を見た。直轄領を奪われた者の話など耳を貸さない、というふうに。スターチス王は辛抱強く返した。
「王であるならプレイヤーが快く戦いやすいように道筋を立てるのが務めではないですか? あなたは不正に遭った者や、その行為を見て不正を正そうと援ける者や、不正を見て心を咎める者のことを軽く見ていますが、その者達は強いですよ」
「私は弱者の遠吠えのように聞こえる。その者達がいても、私は勝ちを譲らないだろう」
睨みあいとなった。盤上のチェスではデンファーレ王が白の王を追い詰めた。
「もう一戦いこうか?」
デンファーレ王は言った。スターチス王は手を止めたままだった。
スターチス王は宣告した。
「デンファーレ、あなたに“チェス”を挑みます」