Ⅺ 女王の昔話 4. 矛盾を抱える女王 4
アキレスの私室にメルローズが現れた。
「フローを見送ったのは女王陛下でしたか」
メルローズは考え深げに尋ねた。アキレスは肯った。
「ああ。私は祝福して送り出しておいた」
「アキレス様にはアキレス様のお考えがあるようなので私は遠慮をしておりました。が、私がフローと同じ道を行くかもしれないとだけお伝えします」
アキレスは笑った。
「それもチェスの楽しみの一つではないか! メルローズ卿よ、気に病むことはない。チェスが終わったら皆で集うだろう。フローは去ってしまったが、メルローズ卿は気にせず王城へ戻ってきてほしい」
「ここにガーネットがいたら『さすがはアキレス様ですね!』と言ってそうだな」
メルローズは小さく呟いた。
「良い従者を持ったようだな、メルローズ卿」
アキレスはメルローズの軽口に楽しんで答えた。メルローズは再び深刻な顔をした。
「赤のポーンが王と女王に対して根拠のないことを話しておりましたが、お気になさいますな」
アキレスはジャスミンのことを言った。ジャスミンがティーパーティで言った言葉は西大陸中に広がり、新聞にも記載されていた。
「私達のことは大丈夫だ。元々城にいた者ならそんな噂は気にしないだろう」
メルローズはアキレスが気に留めていない所を見て、納得したようだった。
「王とアキレス様には不思議な絆があると思います。私としてはアキレス様が主体的に不正を暴いて頂ければと思いますが、もともと政治的には一歩下がっているアキレス様のお立場を変えようとは思いません」
ブラックベリの件については、これは自分で責任を取る、と騎士は強い決意を表した。
「それでは、失礼します」
メルローズはアキレスの私室を去った。アキレスは心の中で、「メルローズ卿、重い荷物を背負わせてすまないな」と思った。
アキレスはデンファーレ王の私室にいた。デンファーレ王は今宵もチェス盤を睨みながら考え事をしていた。アキレスは魔法本で過去のチェスの試合を読んでいた。
「アキレスよ、私はチェスで勝てると思うか?」
アキレスは冷静に答えた。
「赤も白も互いに王城を攻めている。どちらが先にチェックを掛けるかはまだ読めないだろう」
「そうか、勝ちが見えないか」
デンファーレ王はふふと笑った。
「スターチスも良くやる」
王は強気の眼差しで遠くを見た。ゲームに熱中する王は一人愉しみに浸っていた。その顔立ちは美しい、とアキレスは見惚れた。勝気な王はその視線に気付くと表情を緩めた。アキレスはさっと本の辺りに目を泳がせた。
「私は爽快な試合ができた方が快いが……」
「そうだな。アキレスは己の思う戦い方をすれば良い。私は止めないし、認めよう」
王の先程の好戦的な炎の陰は、落ち着いた風格のものになった。
「アキレスはよく城を纏めている。私の代わりにプレイヤー達の世話をし、客人達を満足させている」
「王よ、私は王の代わりはできない。くれぐれも無理をされないようにしてほしい」
アキレスは心配だった。夢使いは魔力を使う。多くの戦いが同時に起こったら、それを夢見るのも魔力を多く使うらしいと聞いていた。そもそも日中眠ったままとは不健康なことである。
王は目を細めた。そして言った。
「心配することはない、アキレスよ。私は無理をすることはない」
デンファーレ王はアキレスを見つめ、アキレスの愛情に応えた。デンファーレ王はアキレスにキスをした。深く、長い会話だった。アキレスとデンファーレ王が愛情を交わすのは珍しいことではないが、アキレスは新妻のように、初恋に焦がれる娘のように、王の気持ちに聴き入った。深夜を回った。王はアキレスの背を愛撫し、ささやいた。
「私は眠る。夢で会おう」
アキレスは紅潮しながら王の温かさが離れるのを名残惜しんだ。
「夢は疲れるでしょう。ゆっくりお休みなさいませ」
今宵もアキレスはデンファーレ王が眠りに就くまで見守った。