Ⅺ 女王の昔話 4. 矛盾を抱える女王 3
アキレスとデンファーレ王はその後も度々会うことになった。町では噂が立ち、王都スウェルトではアキレスを歓迎する空気になった。
「デンファーレ王よ、あなたはペガサスに乗らないのか?」
ある時アキレスはデンファーレ王に尋ねた。デンファーレ王は答えた。
「私は愛馬でモカという羽なき天馬がいる。他の馬には乗ることはない」
「それでは、そうだな、高い所は大丈夫であろうか?」
デンファーレ王は「平気だ」と答えた。
「では私と一緒にペガサスに乗ってみないか?」
アキレスは思い切って聞いてみた。デンファーレ王は驚き、少し躊躇した。
「ペガサスは二人も乗れるものなのか?」
アキレスは微笑んだ。
「私のペガサスは私が気を許す者を認めてくれる。戦いでは強いが普段は温和しい性格だから、二人で乗っても空を駆けてくれる。普段は従者と乗ることもあるから心配いらない。どうだろう。あなたと空を散歩してみたい」
デンファーレ王はアキレスの申し出に戸惑ったが、アキレスの心から逃げることはしたくなかった。デンファーレ王は頷いた。
「空から見る景色を私も見てみよう」
「ではペガサスの後ろへ乗ってくれ。私は前に乗る」
デンファーレ王は言われた通りにペガサスに乗り、アキレスは手綱を握った。
「私に捕まって。では行くぞ!」
アキレスは天馬を駆けさせた。ペガサスは次第に地上から離れ、浮遊し、羽ばたきながらそのまま空へ駆けた。空は青く、雲が無かった。デンファーレ王は足元を見た。草原が風に揺れていた。
「どうかな、空の景色は」
「あの高い所にある白い月まで見てみたい」
デンファーレ王はアキレスの肩に掴みながら言った。
「ははは。月までは遠いな」
地上では西の方にニストの大聖堂が小さく見えた。それからウィンデラの大洞窟のある滝を後にし、エルシウェルドの鉱山を横切り、アラネスの交差した川を通り越した。
「シエララントに近付き過ぎると警戒されるから、ここで引き返そう」
帰りは鳥飼たちの村を通り越しながら、赤の王道の上空を飛んでいった。
再びスウェルトに戻ると、ペガサスはゆっくりと下降し、王城のそばの草原に辿り着いた。
「良い眺めであった」
デンファーレ王はペガサスから降りるとアキレスに礼を言った。
「また今度、違った道で天駆けしよう」
アキレスはデンファーレ王が喜んでいるのを見て、自分も喜んだ。二人は肩を並べて草原に座った。
「今日は楽しかった、アキレス」
「私もだ」
アキレスは空の旅でデンファーレ王に肩に手を掛けられた時の温もりが、まだ残っていた。もっと遠回りしておけば良かったか、とアキレスは思った。同じことを思ったのか、デンファーレ王が確かめるように尋ねた。
「肩に触れられるのは、嫌か?」
アキレスは「いいや」と短く答えた。デンファーレ王はアキレスの肩に手を掛けた。アキレスはデンファーレ王の肩に頭を預けた。
「この草原から見る夕日の空は美しい。アキレスも見て行けば良い」
「それではしばらくここにいよう」
小さな風が二人を祝福した。
「このような楽しいことを重ねる人生もいいものだな」
デンファーレ王は呟いた。
「今度天駆けする時は、私の国を見せたい。この辺りの町も色々な景色を見せてくれるが、私の国の周りも紹介したい町がたくさんある」
「それはいい。私は楽しみにしていよう」
空が橙色になってきた。それから時が経ち、橙色はピンク色に変わっていった。
デンファーレ王は言った。
「この夕暮れの時間を私の国では花の時間と呼ぶ。空の色がデンファーレの薄いピンク色に似ているから、昔からそう呼ばれている。国民はこの美しい空の色をゆっくり眺めて過ごすのが好きである。朝焼けでもこの色になる時があるが、朝は慌ただしいので、夕暮れが好まれている」
「よく覚えておこう」
アキレスは夕焼け空を眺めた。
「私がもしあなたと結婚したら、私は政治には口を出さないであろう。私は、私を見つけて好いてくれたあなたと生涯を共にしたい」
空はピンク色に濃い紫が交わっていった。それとともに辺りは暗くなっていった。
デンファーレ王は立ち上がって言った。
「そろそろ夜が迎えに来た。王城へ戻ろう」
ある日アキレスは王城へ来訪し、デンファーレ王と辺りを散策した。アキレスはデンファーレ王の影の部分を理解し始めていた。その影の部分を決して押し付けないことも話を交わす上で分かってきた。ただ一人で抱え込む所はもっと荷を下ろせば良いのに、と思った。いつの間にかアキレスはこの王といる時間を好むようになっていた。
「今年のチェスも爽快な試合で楽しいな」
「そうか。私は赤の国に賭けている。赤が勝てば良いのだが」
「王よ、試合は五分五分だ。どちらが勝つかはらはらしながら見守るのもチェスの愉しみではないか」
「そうだな」
アキレスとデンファーレ王は見つめ合い、口元をほころばせた。
「アキレスよ、来年の夏も一緒にチェスの話をしてくれるか?」
アキレスは頷いた。
「ああ。私で良ければ」
デンファーレ王は道端の花を詰み、アキレスに捧げた。一本の紫色のデンファーレだった。
「アキレス、女王として王家に招きたい」