Ⅺ 女王の昔話 4. 矛盾を抱える女王 1
アキレスは厩で赤いペガサスを撫でながら、物思いにふけっていた。一人になりたい時、アキレスはいつも厩舎へ来る。八月二十六日のもうすぐ昼を回る頃のことだった。日差しを遮る馬小屋は涼しかった。寡黙な戦友は黙しながらアキレスの回想を聞いていた。
「王よ! 不正を行う魔剣使いをポーンに引き入れるとはどういうことですか!」
女王アキレスは玉座に座るデンファーレ王に詰め寄った。このポーンは先のチェスでプレイヤー達から宣誓なしでクロスを奪っていたという。そんなやり方で戦うことにアキレスは賛同できなかった。デンファーレ王は女王の勢いに動じず答えた。
「これはスターチスと話をして取り決めたことだ。私達の戦いゆえに、この決定は覆す気はない」
「この決定を受け入れなければならないのですか!」
「アキレスよ、これは私の戦い方だ」
デンファーレ王は不敵な笑みを見せて言った。薄紫色の眼は動じぬ心を表していた。言葉にはアキレスを説得する心が込められていた。アキレスは一歩下がった。
「私は魔剣使いがゲームの早いうちにクロスを失うことを祈っております」
「仕方がない」
デンファーレ王は呟いた。
アキレスはふうっと息を吐くと、シーフのクレア・フローの泊まる部屋へ行った。
「フローを見送って来たのですね、女王陛下」
王城の回廊を歩いていると、ビショップのアルペジオに出会った。アルペジオは黒い髪をドレッドヘアにし、その上に僧侶の筒型の帽子を乗せる、変わった風貌の僧侶だった。腰には短剣を帯びるが、元々騎士の家の次男で長男ではないので家を継げず僧侶になったという経歴のせいだった。その剣は騎士の家の者を示す家宝だった。性格は飄々として、情報に敏く耳が早い。が、我関せずという姿勢を保っていた。
アルペジオはアキレスの良く話す側近の一人だった。この僧侶はアキレスの立場を知って、難しい判断の時に声を掛けてくる。アキレスは短く答えた。
「そうだ」
「ほっとしたようですね、アキレス様」
アルペジオは鋭い言葉を放った。放ったというよりは贈ったと言った方が良いかも知れない。言葉は鋭く、温かかった。
「皆が不公平な試合を嫌悪すれば、私は楽なのだがな」
アキレスは王の間へ向かいながらアルペジオに話した。最低でも、アルペジオは不正を好む者達の味方ではないことは知っていた。
「明日の午前中にはナイトに昇格したバスクが王城へ到着するようです」
アルペジオは最新の情報をアキレスに伝えた。
「それは頼もしい」
アキレスはバスクもフローと同じくゲームの勝敗を気にする者ではないことを承知していた。堅苦しいことを嫌うので、もしかしたら夜の御前会議にさえ出席しないかも知れない。しかし強い者であることは確かであり、城に着くことを楽しみにした。
アキレスとアルペジオは王の間へ着いた。王の間では眠れる王と、ルークのアフェランドラとスクアローサがいた。ブラックベリは日中は礼拝堂で情報収集をしている。メルローズは二十四日の夕方に王城に帰還しており、正午過ぎに王の間へ現れる。
アフェランドラが言った。
「シーフが旅立った。見送りはいかがだったか?」
アフェランドラは、デンファーレ王や女王アキレスよりももっと前からこの城を守ってきた王城守護魔術師である。アキレスも王もこの重臣に一目置いていた。アキレスはアフェランドラの声に黙認を責める色は感じられなかった。
「挨拶はしてきた。チェスでは戦う者を選ぶのはプレイヤーの自由だ」
「さよう。これで良かったと我は思う」
アフェランドラはアキレスの行いに同意した。アキレスの重荷が少し軽くなった。
「シーフは元々一度チェックをかけ、後はその場に合わせて自由にするというのが選考時の約束だった。しっかり約束を果たしたのだから、こちらも約束を反故にはできまい。王もシーフが本気を出さないことは織り込み済みであろう」
アキレスは思い出した。フローが白のルークブリックリヒトの異空間魔術を破ったことで、ブリックリヒトはタージェル遺跡のクエストに参加する気になったのだろう。ルークを王城から戦いの場に引き出したことは手がらだった。
そこへメルローズと従者のガーネットが王の間に入って来た。メルローズはアルペジオからフローの件を聞くと、考え深げに遠くを見た。その様子を見て、アキレスはこの女騎士もゲームに囚われず自由な判断を下す覚悟だな、と感じた。メルローズはブラックベリが隠した白のポーンのクロスを追っている。自分もナイトなら同じことをしただろう、とアキレスは思った。
「ノラの町では白のポーンプロミーが白のナイトボースト卿と合流したようデス」
アルペジオが王の間へ情報を届けに来た伝書鳩に触れ、最新の情報をその場の者達に伝えた。
「プロミーか……」
メルローズは短く呟き従者と顔を合わせた。その短い言葉には安堵が含まれていることをアキレスは感じた。この城の中の者で、プロミーを草原より前で足止めしようという考えの者はいなかった。
「もし赤の城に到達した時は、我が相手になろう」
アフェランドラは静かに言った。声には好敵手を愉しみにしている様子が浮かんでいた。
話し合いが一段落すると、皆は解散となった。