Ⅺ 女王の昔話 3. 足止め 2
「いよっ! クオがお世話になった商人娘さん!」
赤のクイーン、フローがガーラの前に現れた。ガーラは怒気をはらんだ声で返した。お付きの蛇が舌を出して威嚇した。
「ロッドのクロスを盗ったのよね。私が試合をするわ!」
しかしフローは相手の掴みかかりそうな勢いに飄々と答えた。
「商人娘さん。オレは一回試合をしたから試合を挑まれたら避けられないけど、オレの運動能力と記憶力ではカジノ勝負では負けることはないよ」
「じゃあ、なぜここに来たのよ!?」
ガーラは疑い深い眼でフローを見た。シーフは答えた。
「ここで二人でお互いに足止めって形でいられたらいいかなと思ってさ。要は体のいい戦線離脱ってわけ」
「あなたはもう戦いたくないの?」
ガーラは直球の質問を投げた。フローは肩をすくめた。
「まぁ、白にはクオもいるしね。オレの目的は達成したから、ゲームの勝敗は関係ないしさ。何か先の試合でも借りが出来たような戦い方だったからね」
ガーラは赤の者の意外な言葉に少しの間悩んだ。フローは続けて言った。
「白の王城でガーラだけをここに留めたのは、オレのような離脱者が出ると王城で見越したんじゃない?」
その言葉にガーラはそうかも知れないと思った。レンは先を読むことが得意だった。
「まぁ、それは当たっていたわけだけどさ」
フローは呟くように言った。ガーラはこの目の前の怪しげなシーフの本音を信じることにした。クイーンを留めているのなら、ゲームの戦略としても有効だった。この最も王に会わせたくない者を足止めするということは悪くなかった。
ガーラは相手の申し出に応えた。
「いいわ! チェスが終わるまで私は相手をするわ」
「さすが姉御肌の商人だね!」
「褒めても何も出ないわよ」
ガーラはフローを軽く睨み、笑った。
ここは白の王都から歩いて四日の町ハイスだった。ハイスは白の国の同盟都市だった。ガーラは八月十一日の朝、白の王都からクオと旅立ち、このハイスの町に着くと赤の王都へ向かうクオと別れた。その後今日八月二十六日まで約二週間一人で赤のプレイヤーを待っていた。
その間、昼は町の食堂で賭けチェスを眺め、たまに賭けに参加し、夜は酒場で酔客とカジノで戦ったり情報集めをしたりしていた。時々町の旅人に向けて自分のリュックに入った商品を売り出してもいた。今日も食堂で南大陸産のコーヒーを売っていると、蜂蜜色の髪の青年がガーラに近寄ってきた。ガーラはすぐに赤のクイーン、シーフのクレア・フローだと分かった。白の王城でかの者が入城した時、その後姿を見ていたからだった。
フローはガーラとの取り決めが決まると、ひょいとガーラの向かいの席に座った。
「そのコーヒー一杯貰える?」
フローは銅貨をぽんとテーブルに置いた。ガーラはお付きの大蛇に目配せした。大蛇は女性の姿になり、コーヒーポットから陶製のカップにコーヒーを注ぎ、フローに丁寧に手渡した。フローは大蛇に「サンキュー」と言って、すっーと一杯飲んだ。
「私にも一杯くれる?」
ガーラは大蛇にコーヒーを所望した。大蛇は主人の分のコーヒーを用意して渡した。
「ところでさぁ、チェスが終わったら、その後はどうするの?」
「どういうこと?」
不意の質問に、ガーラは相手の意図を確かめるため聞き返した。チェスはまだ終わっていないのに、気の早い話であった。勝敗を気にしないフローにとっては、チェスの話はもう終わったことなのかも知れない、とガーラは思った。フローは言葉を繋げた。
「中央大陸に帰るの?」
ガーラは答えた。
「私はせっかくここまで来たのだから、しばらく西大陸で商売をしようと思っているわよ。クオの話でウィンデラにも行ってみたいし」
「それはいいね……」
その後も互いにコーヒーを飲みながら雑談が続いた。
「シャトランジって面白いの?」
フローが好奇心旺盛な眼でガーラを見た。その眼には未知のゲームに対する軽い挑戦が含まれていた。ガーラは応えた。
「やってみるかしら?」
「そだねー」
フローはお気に入りの玩具を与えられた子どものようにわくわくしながら答えた。ガーラはリュックからシャトランジの駒と盤を取り出した。
「黒が先手で、赤が後手よ。フローは初心者だから先手でいい?」
「OK!」
ガーラは白と黒の駒を並べた。
「駒は六種類で王、将、象、馬、戦車、兵士に分かれているのよ。王はキング、馬はナイト、戦車はルーク、兵士はポーンと同じよ。将は斜めに一マスだけ進めるの。象は斜めに二マス進めて、間にある駒は飛び越えられるの」
ガーラはリュックから百科事典を取り出して、シャトランジのページを開いてフローに見せた。
「あとのルールは、これを見て」
「サンキュー」
フローは本に目を通した。兵士はチェスのように初手で二歩進めない。兵士は敵陣の最終列で将に成る。キャスリングやアンパッサンといったルールはない。王の他に駒が無い状態を裸の王と言い、相手が裸の王で自分が次の指し手で裸の王にならなければ勝利となる。などである。
「了解! じゃ、始めようか」
ガーラとフローはゲームを始めた。
「これで三敗目だわ。どうして初めてのゲームでそんなに勝てるの?」
ガーラはあきれたようにフローを見た。周りには珍しいゲームに見入る食堂の客たちが集まっていた。フローはあっけらかんと言った。
「オレ、チェス系の勝負なら結構得意だからさ。もう一戦やる?」
「フローなら、シャンチーを教えたらそれでも負けなさそうね」
「ま、チェスでプロミーには勝てないだろうけど」
「いいわ。もう一戦願おうかしら!」
ガーラはいい勝負相手を見つけて勝負を愉しんだ。周りではコーヒー片手に「それでこそ勝負師の姐さんだぜ!」とはやし立てる声が上がった。