Ⅺ 女王の昔話 2. 援けの手
マーブルは今日も礼拝堂の屋根裏部屋でチェスの情報を集めながら、赤の闇のビショップ、ブラックベリの情報を鳥たちから聞いていた。調べているうちに、クロスの隠し場所はおおよそ予想が付いた。チェス六十四都市内で、ブラックベリの力がかかりそうな都市は、赤の王城から近い赤の同盟都市ヒメネスだった。白のポーン達が集う草原から一日の場所だった。
ヒメネスは宗教都市で、大きな修道院と大聖堂がある。そこは観光都市でもあり、お土産に修道院で作ったチェスのことわざが書かれたクッキーが人気だった。赤の国の多くの寄付で成り立っており、赤の王城内に勤める僧侶とも深い関わりを持っていた。
しかし、予測ばかりで証拠は無かった。ニストの時のように、僧侶の懐に隠されて知らぬ存ぜぬを通されれば、打つ手が無かった。また、クロスが隠されているという噂を流すわけにもいかなかった。あまりどこでも噂が立ち上ると、人々はその噂を信じなくなる。それでは噂の効果が無かった。しかし、マーブルが噂を流さずとも、旅人の間ではヒメネスでクロスが隠されている、という噂は立っているようだった。いつか赤と白のビショップが会合すると。マーブルはじっとブラックベリが動く時を待つしかなかった。
八月二十八日の朝、ブラックベリが三十日の九時にヒメネスの町へ行くという情報を得た。これはまたニストとヌクエラの時ように陽動かも知れなかった。マーブルは情報が少ないのでヒメネスへ行ってブラックベリが来ることに賭けるしかなかったが、慎重になろうかと悩んだ。
昼過ぎ、白の光のビショップラルゴが礼拝堂の屋根裏部屋へ来た。ちなみに礼拝堂は王城に二つあり、東西に分かれていて、二人のビショップがそれぞれの礼拝堂を使って情報を集めていた。マーブルは西の礼拝堂だった。また、光の伝書鳩は僧侶がどこにいても追ってくるので、ビショップは礼拝堂ではなく王の間などで仕事をすることもできた。ただ、王の間にいる時は多くの伝書鳩を受け付ける訳にはいかないので、攻撃や試合の情報など重要な情報だけを選んで鳩に来て貰うのだった。
ラルゴは一羽の伝書鳩をマーブルに渡した。足には手紙が取り付けられていた。
「赤のナイト、メルローズ卿からです」
ラルゴはにっこり笑った。
「それと、レンさんからの言付けです。戦略的には厳しいですが、あなたの決断を支持します、と。それと赤のポーンのお一人にはお気を付け下さいとのことです」
「はい、分かっています。ここまでありがとうございました」
マーブルはラルゴに感謝を告げた。同じ王城にいても、ラルゴと話すことは少なかった。マーブルは常々余裕を保つラルゴをうらやましく思っていた。ラルゴはそんなことを思うマーブルに気付いてか、重ねて言った。
「マーブルさんは私に引け目を感じているようですが、私から見れば、ブラックベリと互角に情報戦をするマーブルさんは四人のビショップの中でも優れていると思いますよ」
「そんなことはありません」
マーブルは本心で否定した。ラルゴは続けた。
「そうですねぇ、例えばレンさんがさかさま砂漠でガーラさんを助けに行った件がありますが、マーブルさんならレンさんに付いて行って一緒にガーラさんを探しに行ったでしょう? その上で伝書鳩の仕事もこなしてしまうのではないでしょうか」
マーブルは困惑した。
「しかしあの件は、レンさんに参謀の資質があるか王城で試していたんだと思っていましたが……」
ラルゴは肩をすくめて人差し指を口の前に置いた。
「その話は内緒ですよ」
内緒話にも余裕を見せるラルゴに、マーブルは自分は顔に出るので真似が出来ないと思った。マーブルは心情を吐露した。
「私はラルゴさんが重要な王付き僧侶で私は二番手だと思ってビショップを引き受けたのです」
ラルゴは笑顔を見せた。
「しかしクラウン大僧正様はあなたの資質を見抜いていたのだと思いますよ。私の見立てではブラックベリは意外と食いついてくるマーブルさんにプレッシャーを感じていると思いますよ。私たちはそれぞれ役目が違いますが、お互い頑張りましょう」
ラルゴは礼拝堂を去った。最後まで余裕のある光の僧侶ラルゴをうらやましげに眺めながら見送り、マーブルは意外な人物からの手紙を読んだ。メルローズ卿がブラックベリの不正を知って調べていることはロッドから聞いていた。そこには昨日の夜にあったことが書かれていた。
「例のクロスは?」
ブラックベリが深夜に私室へ戻ろうとした時、紫の髪の王デンファーレが廊下の角で待っていた。
「王城の話は白の者が使う虹色の伝書鳩で聞かれる恐れがあります、王よ」
ブラックベリは金の瞳を伏せ、そっと嗜めた。
「では手短に話そう。白い象はどれくらい知っている?」
デンファーレ王は確認の為短く尋ねた。ブラックベリは首を振った。
「おそらく宗教都市と予想されているでしょう。私が三十日に再び場所を移動しましょう」
「三十日か……。もし象に会ったらどうするつもりか?」
ブラックベリは無機質に答えた。
「戦う用意はしておきましょう」
デンファーレ王は頷いた。ブラックベリは「それでは」と挨拶をし、その場を離れた。デンファーレ王は私室へ戻った。その場に人がいなくなると、密談を聞いていた者たちが、戸の影から現れた。
「宗教都市ってどこでしょう、メルローズ様?」
従者ガーネットが主人に尋ねた。
「チェス六十四都市内で宗教都市と言えば、ニストかヒメネスだ。ニストはビショップのマーブルが訪れたから、残ったヒメネスだろう」
メルローズは難しい顔をして答えた。
「この話は誰に伝えましょう?」
「やはり白のビショップ、マーブルだろう。明日、旅立とう。慎重になった方がいいので、旅の途中、光の僧侶の管轄する町で伝書鳩をマーブルへ送ろう」
「はい、分かりました、メルローズ様」
手紙を読むと、マーブルは新たな情報に心が熱くなった。メルローズは三十日ヒメネスでブラックベリを待つそうだった。ブラックベリが大聖堂で白の駒のクロスを受け取る所に居合わせれば、今度こそクロスを取り返すチャンスがある、とマーブルは思った。