Ⅸ-ii 白の王さま (8月9日~8月12日) 5. まかの家
まかの家は坂を上った先にある。真は玄関先まで辿り着くと、ふと後ろを振り返った。そこからは青い海が見渡せた。
八月十二日。生穂の一件が終わると、真はまかの家を訪ねた。この家は町中から遠く、少し落ち着きたい客人にはちょうど良い場所にあった。真はチャイムを鳴らし、家の主に訪問を告げた。
「まか、久しぶりだね。元気?」
「あぁ、真。どうぞ」
家の女主人に迎えられると、真は広い庭を通って家へ入った。まかは今日も涼しそうな白いワンピースを着ていた。
まかは大きな家に一人暮らしをしていた。両親は仕事で海外で暮らしているそうだった。広い家には、三匹の猫が住んでいた。真が家に上がると、茶色い猫が一匹、まかの足元でじゃれついていた。
「ワッフル」
まかは猫の名前を呼ぶと優しく撫でて、真を縁側を出た先にある東屋へ招き入れた。そこは通りから外れ、落ち着いた場所だった。日差しは暑かったが、東屋の白い屋根が日陰を作り、夏の午後を楽しむのに好適地だった。
まかは真をその場所に案内すると、一度家へ戻り、友達のために用意していた水出ししたアイスコーヒーをグラスに二つ注いで運んできた。
「日焼けしたでしょ?」
まかは白い椅子に座ると、真に茶目っ気のある声で問うた。真は首を横に振った。
「そうかな。まかは肌が白いから、日焼けの跡が残らないんだと思うよ」
「そう?」
まかはテーブルに腕を置いて真の前で袖をまくって見せた。手の色より腕の色の方が白かった。
「本当だ。少し日焼けしたんだね」
真はまかの細くきれいな腕を見つめて答えた。左腕は腕時計の跡もはっきり覗いた。
「猫の保護活動って大変なの?」
真は冷たいコーヒーを飲みながらまかに尋ねた。まかは頷かずに曖昧な表情でちょっと考えてから答えた。
「隣町から来るボランティアさんの手伝いをしていたの。他頭飼育崩壊した家の猫を迎えに車の運転をしたり、サクラ耳ではない野良猫を待ち伏せして捕獲したりして。私は猫が好きだから、大変だとは思わなかった。でもボランティアさんは見ていて大変そうだった」
まかはにっこりほほ笑んだ。まかは猫と触れ合うことはどんなことでも好きなんだ、と真は思った。
きれいに刈り揃えられた庭の草が風に揺れた。庭には今にも野良猫が顔を見せそうだった。
「真は夏休み、どうだった?」
「あ、そうそう、“The Chess”見せるね」
真はまかの言葉に、思い出したように携帯端末を鞄から取り出して“The Chess”を保存用カードに複製し、まかに渡した。真は肩をすくめた。
「もう、“The Chess”終わっちゃったんだけどね」
「真、あのね、私は“The Chess”……」
「それがね、他にも大変なことがあってね、ここ二、三日忙しかったのさ」
真はまかに白の王様が生穂だったこと、その他ネット上のトラブルや白の読者が集まったことなどをまかに勢いよく話した。まかは一度言葉を飲み込み、目を細めながらじっくり真の話を聞いていた。
「真はもう王様探しはしないの?」
まかは静かに尋ねた。
「うーん、手がかりが何にもないから動けないんだ」
「それは、同じ学科の石塚さんも同じように思っているの?」
まかは真の眼を見た。真はその中に鋭さを感じた。
「……どうかな。曖昧なままうやむやにしているよ」
まかはそのまま静かに黙っていた。真はこの間をなぜか居心地悪く感じた。
「まかも音楽が好きだよね?」
真は話を代えた。真は妹の生穂に影響されて吹奏楽曲などを聞いているが、まかもクラシック音楽の曲を収集していた。まかのコレクションの中にはスッペ作曲軽騎兵の全曲がある。まかは頷いた。
「今月の二十七日と二十八日に妹の定期演奏会があるんだけど、まかは忙しい?」
「ごめん、真。その日はボランティアがあるから」
まかは目を伏せた。
「そうか。じゃ、定演終わった頃にまた来てもいい?」
真は明るく尋ねた。まかは笑んだ。その後、真はまかの家へ入り、午後のひと時を三匹の猫と戯れて過ごした。