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The Chess  作者: 今日のジャム
Ⅸ-ii 白の王さま
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Ⅸ-ii 白の王さま (8月9日~8月12日) 1. 夜の音楽室1

 つつじ女子大付属高校吹奏楽部は毎年夏から開催される全国吹奏楽コンクールには出場しなかった。多くの高校の吹奏楽部は主に夏休みの間、コンクールに参加する。高校生たちは時間をかけて練習に取り組み、金銀銅と三種類ある演奏の審査結果と上位大会への出場権に一喜一憂しながら熱烈な思い出を作る。


 しかし、つつじ女子大付属高校はそんな大会には縁が無かった。理由はコンクールの競争主義を厭うからだと言われていた。音楽を評価し甲乙を付けることは難しい。それが分かっていても、大会では演奏結果に『勝った』『負けた』という感情が発生することが多い。その歪みを回避する為ということだった。しかし大会に参加しないのが昔から続く伝統になっており、部員も顧問も誰もあえて変えようとはしなかった。


 そんなつつじ女子大付属高校吹奏楽部が夏休みの間に取り組むのは、八月末に行われる定期演奏会だった。定期演奏会は昼の部と夜の部の二日間行われ、大図書館四番街九階から十二階のコンサートホールにて昼の部夜の部それぞれ二時間程度の演奏会が催された。毎年約八百席のホールは満員御礼で客入りは良く、赤字にはならなかった。


「プログラムのパート紹介の写真と原稿がやっと揃ったよー」


 黒いグランドピアノの上に写真がクリップ止めされたプログラムの原稿が一枚づつ並べられた。定期演奏会で観客に配るプログラムの作成係を担当する早瀬生穂は、同じ係りの遠藤こがねから出来上がった原稿の確認を頼まれた。生穂が壁に掛けられた時計を見ると夜の二十時を回っていた。この夏休みは毎日合奏が十八時に終わり、その後は二時間体育館でマーチングの練習をしていた。それゆえ定期演奏会の運営についての会議は夜になってやっと時間を持つことができた。つつじ女子高校の音楽室では他にも定期演奏会の準備をしている部員たちがそれぞれの役割をこなすため残っていた。


「お疲れ様、こがね。今年はそれぞれのパートがつつじ市の観光名所まで楽器を持って行って写真を撮ったから、カメラマンのこがねは大変だったでしょ」


 生穂はホルンパートの友人こがねに労いの言葉を掛けた。パーカッション担当の生穂とは高校二年生で同学年だった。こがねは吹奏楽部に入部して以来約一年半の仲で、学校でのクラスは違ったが、部内では昼食を一緒に食べたり、よく同じバスに乗って帰宅したり、部活の苦労を相談し合う深い間柄だった。


「大変さでは生穂もお互い様だよねー。学校が終わった後、夕方から夜八時までチケット売りでご新規さんを開拓してたでしょ。夜になっても頑張ってたよね」


 こがねが笑顔で言葉を返した。定期演奏会では市内の見知らぬ一般市民の自宅を回ってチケットの訪問販売をする。初めてそれに参加する時は勇気が必要だが、一度慣れるとノルマを果たすようで面白くなる。訪問販売には他にもプログラムに載せる広告を町の商店主から募るものもある。それは1/8ページで千五百円から始まり一ページ丸ごとで一万円まで種類がある。生穂はこちらの広告取りでも首尾よくお店を回っていた。


「あれは定演二年目だから結構コツを掴めて面白かったよ、ははは」


 生穂は六月のチケット販売を思い出した。その時はオーボエの快活な後輩と二人一組で回り、二人は人好きのする笑顔で多くの入場券を売り上げた。


 生穂は目の前に並べられた原稿に添付された写真を一枚づつ手に取って、じっくり眺めてみた。それぞれのパートの撮影場所はくじ引きで決められていた。



“夜の部”


フルート

 灰色の石造りの建物の前で、五人のフルート奏者と一人のピッコロ奏者の合計六人が並んでポーズを取っていた。手前には交差点が映っており、建物は左右を上り坂に挟まれていた。


クラリネット

 街中を横切る茶色い石が敷かれた鉄道の線路跡に、クラリネット合計八人が縦に並んで楽器を吹いていた。


ダブルリード

 ダブルリードパートは大図書館横のマリーナで海を背景にリコーダーを構えて椅子に座っている姿だった。背景では白いクルーザーが規則正しく海の上に並び、遠方ではヨットが浮かんでいた。

 オーボエ二人とファゴット二人の合計四人である。


サックス

 撮影場所は小じゃれたカフェホールだった。サックスを持った学生たちは生演奏をしているような様子だった。薄暗い中、カフェのテーブルに置かれたガラスランプが幻想的な雰囲気を醸し出していた。

 アルトサックス三人、テナーサックス三人、バリトンサックス一人の合計七人である。


トランペット

緑が煙る山のふもとから青い海に向かってトランペットを持った六人がベルを高々とかかげていた。背後にはロープウェイ乗り場が小さく映っている。爽やかな光景だった。


トロンボーン

 水族館の入り口を前にして六人がスライドを上にあげてポーズを取っていた。


ホルン

 市内を流れる運河沿いの桜の木の前で、パートリーダーが人力車に乗り、その下で他の五人の部員たちがそれぞれ好き好きにポーズを取っていた。賑やかな光景だった。


バスパート

 バスパートは楽器を持たず、緑色の運河の上を小舟に乗って並んで手を振っていた。小舟はちょうど橋の下をくぐった所だった。写真は運河の川岸から撮ったものである。

 ユーフォ二人、チューバ二人、弦バス二人の合計六人である。


パーカッション

 青い海に浮かぶ屋形船の中で、カスタネットとタンバリンと百円で買える小さなドラムを持った七人が楽しそうに並んでいた。舟の中央には低くて長い茶色のテーブルがあり、まるで宴席のようであった。



 パートごとの写真では、皆学生服の上に白いローブを羽織っていた。


 パートメンバーの紹介は各人学年と氏名をフルネームで記載されていた。パート紹介の各ページの下には、チェスの一手詰みのプロブレムがひょっこり載せていた。駒の動きの説明はプログラムの最初のページにあり、答えは最後のページにあった。


 定期演奏会は昼の部と夜の部の二回公演するが、プログラムもそれぞれ異なった。


 昼の部では主に大図書館に来る子ども連れの親子を客として、毎年子どもをテーマにした曲を奏でていた。途中では踊り付きの演奏で座興を行ったり、ビンゴ大会を催したりもする。その時の景品は、ガラス細工の風鈴や木のからくりおもちゃなどを用意していた。第二部ではマーチングを行い、観客を飽きさせないよう演奏した。第三部では子どもが喜ぶマーチを奏でた。演奏帰りの小さな客には部員たちがホワイエに並んで風船を配った。昼の部のプログラムのパート紹介の下の欄には吹奏楽に関係するなぞなぞが記載されていた。


 もう一つ夜の部では中学・高校生向けにクラシック曲を多めにしていた。


 それぞれ昼の部のプログラムは表紙が青いので“青本”と、夜の部は赤いので“赤本”と部内では呼ばれていた。生穂は昼の部の方のプログラムのパート紹介の原稿を確認した。昼の部ではそれぞれ学校の中で制服姿で写真を撮っていた。白いローブは羽織っていない。


 生穂は全部の確認が終わると、並べられた原稿を一つにまとめて紙の封筒にしまった。


「これでプログラムの原稿は終わったね。明日は印刷所に依頼ができるね。完成は十日後だから八月二十日の予定だね。さて次は厚紙を用意してサンクスカードを皆に書いて貰わないと」


「そうだね」


 こがねが頷いた。サンクスカードとは、白い厚紙の小さな紙切れに、色紙からハートや星形や楽器の形などの型を抜いたものを貼り付けて飾り、部員が一人ひとり足を運んでくれた観客に向けてお礼のメッセージを書いたものだった。文字は手書きであり、それを全部のプログラムに挟む。サンクスカードの中には数枚『当たり』があり、プレゼントの箱のシールが貼ってあるカードが当たった人には、景品としてオルゴールを渡す。曲は恩田せつ作曲『ガウェインの歌』。


「今日はこのくらいにして久しぶりに早く帰ろうか。大丈夫、こがね?」


「うん、今日は大丈夫だよ。久しぶりによく寝たいし」


 こがねが了解すると、二人はグランドピアノから離れて鞄の置いてある音楽準備室へ向かった。音楽準備室の狭い小部屋に入ると、こがねは今年のプログラムの演目の話題を生穂に話した。


「今年の定期演奏会の選曲って、“The Chess”の世界みたいじゃない?」


 こがねは“The Chess”の観戦者用クロスを借りていた。夢の主は白の城の教会の僧侶だということだった。


 この吹奏楽部の中に“The Chess”を知っている人はちらほらいた。パートの先輩から聞いたり、本が好きで大図書館に通って新刊本をチェックする人などである。その中には、観戦者用クロスを借りる人は幾人かいるようだった。しかし“The Chess”は知らない人には説明しづらい話なので、あまり大勢の中では話題にできなかった。


「『アルメニアンダンス Part1』は『あんずの木』が白の王様登場って感じで、『やまうずらの歌』はプロミーとロッドの和やかな旅。『オーイ、ぼくのナザン』はクオとフローの旅。『アラギャズ山』は白の国で、Gna,Gnaはフローの“チェック”の様子というふうに。


『「アルルの女」よりファランドール』は『三人の王の行列』は厳めしい赤の王様で、『馬のダンス』は軽快な赤の女王様だね」


 こがねは尋ねるように言った。生穂は「そうだね」と答えた。


「『軽騎兵序曲』は騎士たちの馬上試合の世界。『Simple Gifts』は平穏で素朴な西大陸そのもの。……これを選曲したのって、生穂だよね」


 こがねの問いに生穂は曖昧に笑って答えた。


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