Ⅸ ミドルゲーム 3. 白い手の乙女 16
「四つ羽風車を表に備えた家が並ぶ風の町で
羽の一つ欠けた風車の小屋がありました。
町外れのその小屋は、
ずっと空き家となっていました。
明かりのつかないその小屋は
町の人から忘れられ
羽を重たく揺らしていました。
ある時深い夜の中で
その小屋に誰かが身を寄せました。
その人影は暗いまま
闇夜の中で気持ちよく眠りました。
古びたマントに身を包み
小柄な体を小さく丸めて
破れ風車に現れたのは
まだ子どもくらいの少年でした。
ふと立ち寄った少年は
居心地よいそこを棲みかとしました。
昼は小川で魚釣り
夜は壁にもたれて腕を組み
じっと耳を澄ませていました。
静かに誰かを待つように。
空き家の風車にひっそりと
人が住み着き始めたことに
町の人たちは気付きませんでした。
それからしばらく経ちました。
新月昇る夜の中、
三つ羽風車の軒先に
誰かの姿がありました。
細い高い人影でした。
人影は扉に佇むと
音なく荒れ家に上がります。
それは少年の待ち人でした。
その人影は挨拶すると
夜明け前には姿を消しました。
町外れの風車には
その日を境に人影たちが
そおっと行き来しておりました。
霧がただよう朝方に
訪う者もありました。
ある来訪人は夕暮れの
斜陽を浴びた小屋を背に
帰る事もありました。
それでも町の人たちは、
新たな住人がいることに
全く気付きませんでした。
客人たちが慎重に、
隠れて訪ねて来たからです。
帰る時もこっそりと。
ある春の近い冬の日に、
少年は町へ行きました。
その姿は旅人風で、
通りを行き交う誰も皆、
同じ町人だと気付きません。
少年は教会へ足を寄せ、
チェスの参加を申請しました。
そうしてその日の帰り道、
四つ羽風車の町並みで、
一人の少女が振り向きました。
古びた風車の厚壁の石の匂いがしたからです。
少女はそっと追いました。
町外れの風車小屋、
そこが少年の家でした。
少女は扉をノックしました。
小屋の主は窓を開け
少女を見ると呟きました。
「そろそろここもいられない」
お客は驚き言いました。
「私は誰にも話しません。
だから去らずにいて下さい」
少女の誓いを受け止めて
少年は扉を開けました。
明かりのつかない小屋の中。
止まった時計と朽ちた暦が
壁に掛けてありました。
剣と魚籠と釣竿が、
部屋の隅にありました。
少女は聞きました。
「私は粉屋の娘です。
あなたはどこから来たのですか」
主は首を振りました。
「それは答えができぬこと。
今は地図にはない場所ゆえに……」
少女は名前を問いました。
けれど答えは同じです。
「それは教えることはできん。
古い名前は捨てたゆえ」
少女は言葉に困ります。
主は静かに言いました。
「古い名前は花の名で、
祖から継いだものなれど
今ではその名を呼ぶ者は
ここを訪なう仲間のみ。
今年のチェスの参加者の
名前の中に花の名が
あればそのうちいずれかは
我のことだと思うべし」
風がカタリと鳴りました。
空き家の風車の少年は
突然少女に告げました。
「仲間がここに来るゆえに、
早く家へ帰るべし」
少女は一言尋ねます。
「これから先もこの小屋に、
足を寄せてもいいですか?」
少女の問いに少年は、
渋い顔で答えました。
「くれぐれも、こっそりと」
少女はこくりと頷いて、
小屋の主に言いました。
「それではチェスが始まるまで
私はパンを届けましょう」
少女は毎日出かけては
三つ羽風車に行きました。
朝まだきに川沿いで
せせらぎの中釣りをする
少年の隣にちょこんと座り
籠のパンを分け合いました。
またある曇り日の宵の口
年寄り風車の石壁に
家の主と肩を並べて
風車の羽が揺れる音に
長い間耳を澄ませていたのでした。
少女が帰ると人影たちは
そおっと荒れ家に現れました。
それから夏になりました。
少女は不安になりました。
今年のチェスが始まると
少年は旅立ってしまいます。
もしかすると少年は
そのまま風の町には戻らぬと
そんな思いがよぎるのです。
夏の日のチェスの朝、
少女は教会へ行きました。
クロスを貰った少年を
見送るためでした。
しかし僧侶は言いました。
少年は教会を去った後と。
少女は急いで町外れの風車小屋へと駆けました。
だけどやっぱり少年は
すでに発った後でした。
そしてその日の昼過ぎに、
教会に人が集まりました。
チェスの発表を聞くために、
町人たちが来たからです。
少女もそこにおりました。
チェス参加者の名前の中に
花の名前は三つだけでした。
二人の王とポーンの一人。
その名前を心に留めて、
少女は小屋へと行きました。
それからも少女は人知れず、
町外れの三つ羽風車に通いました。
もし少年が現れたなら、
すぐに迎えられるように。
だけどチェスが終わっても、
少年は帰ってきませんでした。
しばらく時間が経ちました。
少女は少年を探しました。
風の町を通る旅人に、
少年を知らぬか聞きました。
またある時は再会願う者集う
アラネスの町の二重川に
祈りを捧げに行きました。
今でも風の町の町外れの風車小屋には
少女が一人こっそりと
風の音に耳を傾けて
少年を待っているそうです」