Ⅸ ミドルゲーム 3. 白い手の乙女 4
「ここでひとまずお別れですね……。せっかくリアさんとお会いできたのに、小マイクロフトのランタンを闇の中で照らす所を見る機会がなくて、本当に残念でした!」
白の都をめぐる城壁の門の前で、パズルは白い旅装束に大きな水滴型の弦楽器を腰に下げた、あたかも吟遊詩人のような装いで、自分たちとは別の道を旅立つリアを見上げて、惜別の言葉を贈った。街道の脇では草原が広がり、そこでは王家の花々がほのかな明かりを灯していた。青、薄紫、桃色、黄色。濃緑の草原に浮かぶ淡い色たちの中では、白い星型の小さな小さな花々が、ぽつぽつとささやかにほころんでいた。
白の者たちが都に集い、王の間で会議をした翌日の昼下がり、リアはアルビノの魔術師の後裔レンが示した赤の王都への道へと向けて出立するため、王城に残る学者リュージェや、同じ日に旅立つ騎士エンドと魔法アイテム職人パズルと、城門前で別れの挨拶を交わしあった。チェス開始から九日目のことであった。
「リュージェさんにもお世話になりました。口が重いエンドの分までお礼を言いますよ!リュージェさんの史料本も、ぜひいつか製作している所を拝見してみたいです! すでに滅びたと言われていた魔書作りの技を持つ方と会えるなんて思いもしませんでした! 本当にチェスは驚きの連続ですよ!!」
パズルは藤色の大きな本を胸に抱えて穏やかに微笑むリュージェに、敬意と賞賛を込めて感謝の気持ちを伝えた。リアもリュージェに一言挨拶を告げた。
「僕も時間があれば、史料本の古の世界をゆっくり歩いてみたかったです」
学者はにこやかに二人を見交わした。
「どうぞ本ばかりの散らかった家ですが、いつでも遊びにいらして下さい。史料本に興味のある方は特に大歓迎ですよ」
「きぅきぅ」
会話を聞きつけたネズミのワインが、リュージェのロングスカートのポケットから小さな顔をひょっこり出して、歓迎の意を込めて愛想良く一声鳴いた。
パズルの横でエンドがリアに向き直った。
「お互いここで道は分かれるが、旅の途中で古い友人に会えると良いな、リア」
「ええ、エンドも」
リアの肩の鳥サイトが「ご武運お祈りしていますよ」と伝えるように、羽を広げてポーンの騎士に「きゅるるっ」と鳴いた。
「お気を付けて下さい、リアさん。銀魚に乗った空の旅はとても楽しかったです。途中でご馳走していただいたうなぎを蒲焼にしたお料理を、今度また宜しくお願いしますね」
リュージェは一人旅を始める者にお礼の言葉を贈った。リアはにこりと微笑んだ。パズルは、その珍しい料理の話に飛びついた。
「え? うなぎの蒲焼ってどんな料理ですか?! チェスが終わったら、ぜひ僕にもその調理法を教えてくれませんか!? 料理は結構得意なんですよ!」
「私も興味あるな」
「では今度、秘伝のタレをパズルさんにもお裾分けします」
「ヴァイオリンもお得意ですし、リアさんって多芸ですよね」
リュージェの言葉に、リアは少し肩をすくめて答えた。
「たぶん僕は器用貧乏なんだと思います」
それからリアは、懐から魔法石の入った小さな皮の巾着袋を取り出して、留別の言葉とともに、リュージェにその石を託した。
「チェスが終わったら、銀魚のラムネをお貸しします、リュージェさん。“塔の町”探しのお手伝になると思います。ゲームが終わってサランに戻られたら、お好きな時に、ラムネを召喚した小川にこの石を落としてもらえますか? そこで水面にできた波紋が魔法陣の代わりをします」
リュージェは透き通った魔法石の入った小袋を受け取ると、リアの奇妙な申し出に首を傾げて問うた。
「リアさんは、ゲームが終わったら、もうこちらには戻られないのですか……?」
リアは少し申し訳なさそうに頷いた。
「僕はいつもチェスが終わる頃に帰郷するので、今回もそのまま行くつもりです」
「そういえば、リアさんの故郷ってどこか聞いていませんでしたよね」
リュージェは尋ねた。リアは肩をすくめた。
「ここからだと、ちょっと行きづらい遠い所です。だから、里帰りも毎回チェスが終わった後と心に決めておかないと、郷里で暮らしている仲間に顔を見せるのをすっかり忘れてしまいそうになるんです」
リュージェは意外な答えに顔を曇らせた。
「もうお会いになれないのですか?」
その答えにリアは明るい表情で微笑んだ。
「リュージェさんが今のお仕事を続けられている限り、またお会いすることもあると思います」
二人の会話が一段落したのを見はからうと、パズルが言った。
「じゃあ、チェスが終わったら、皆それぞれ別々の道に旅立つことになるんですね。リアさんは遠い故郷に帰るし、リュージェさんは“塔の町”探し、僕は遍歴修行で職人町を歴訪するし……。エンドはどうするんですか?」
「私もまた西大陸を遍歴するだろうな」
「それじゃあ、行くことにしましょうか!」
パズルの一声に、皆は互いに見交わした。リュージェは小豆色の瞳で一同を見渡して、旅立つ者たちに見送りの言葉をささやいた。その声は励ますような、祈るような、温かな声だった。
「皆さん、どうぞご無事で」
パズルは明るく「はい、リュージェさんも!」と応え、エンドは「互いにな」と頷き、二人は小フロストとともに東の道に足を向けた。リアも「それでは」とにこりと笑い、鹿ココアに横向きに飛び乗り南の道にゆるりと踏み出した。
別れの間際、エンドは振り返ってリアに一言告げた。
「また赤の王城で会おう、リア」
リアはこくりと頷いた。