表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
The Chess  作者: 今日のジャム
Ⅸ ミドルゲーム
139/259

Ⅸ ミドルゲーム 3. 白い手の乙女 2

 白の都と赤の都の中央より南側に位置する小都ナハシュは、荒野を渡った先にある。町は小さく、街道には露店と独特の複雑な文様が織り込まれた旗を入り口にかけた白い天幕が静かに並ぶ、ささやかな商人町だった。この街中に並ぶ天幕では、町の領主が調薬した“白い手の乙女”の薬を商っていた。町を彩る天幕の旗の鮮やかな文様には、領主の紋章とともに、そこに置く薬の種類が示されていた。この町には薬を西大陸中に売り歩く商人を始め、勇ましき冒険に身を置く者たちが、己の身を守る良薬を携えるため、ひととき立ち寄った。


 “白い手の乙女”の調合を修めようと町へ来る者もしばしばいた。彼らは領主の快い許しを得て、小さな町からさらに離れた高台にある古びた城に滞在した。おもに客は、手先の器用な異種族の者たちが多かった。


 この町は二千年前の青年王時代より、さらに昔から在った。優れた調合の技を持つ城の主が、その薬を商う行商人を冬の間その領地に保護したことから、この町は興ったとされる。薬売りたちは、毎年この地へ戻るうち、野宿用の天幕で店をかまえて、この地に通年住まうようになった。ナハシュの町に並ぶ白い天幕は、その名残だとされる。


 この町の領主は古より金の輪を頭に戴いていた。その髪飾りは西大陸では城守りの証である。遠い昔、城主と石の精の城守りが婚姻を交わし、その子孫が城の主となったためである。それは、石の城の多い西大陸でも珍しいことであった。ゆえにこの古城には、領主の影のように寄り添うルークの姿はいなかった。


 現在の領主イズーが祖父より城の跡を継ぐ前から、この古き城はあまたの旅人たちが集う所だった。客は人の世を渡る騎士や吟遊詩人よりも、耳の長き者、長き髪の先に葉をつけた者、人の子くらいの小さき者など、人の世とは異なる世界に暮らす者たちが多かった。城の主は代々、彼らが城を仮屋とする時、客人みなが寛げるよう気を配ることに長けていた。夜の城の大広間では、種族をたがう者たちが寄り集まって、にぎやかな宴の席を催し、主はそこで客人がもたらす異国の話に耳を傾けた。旅人が城に泊まらぬ日は、古城は城主一人きりであった。城主はそのような日はひねもす庭の薬草園で、珍しき草花の世話をして過ごした。



 のどかな日の夕暮れ時、町では人々が教会でチェスの話を僧侶にせがんでいる頃、ナハシュの城に、一羽の青い鳥が、夕支度をしていた城の主の元に姿を現した。イズーはすぐにその鳥が、この城にたびたび訪れる旅人リアの左肩に付き添う大鳥だとわかった。しかし今まで、かの旅人がこの城に、青い鳥の使いを寄越したことは一度もなかった。旅人が前にこの城に立ち寄ったのは、巨人の病を癒す薬を頼みに来たおよそ一月前、それほど遠くない日のことであった。そのときリアは、今年のチェスに参加する話を城主に告げていた。


 イズーはこの鳥が、特に伝言の紙を携えてきたわけではないことを確認すると、鳥自身がイズーをどこかに導くためにここに現れた、と理解した。それは悪い知らせのようであった。青い鳥は元気がなく、その瑠璃色の羽は砂と埃で色あせるがままだった。イズーは暗い予感を抱き、急いで地下の薬草室へ降り、どんな状況にも対応できるような薬を選んで荷の用意をした。


 空はまだ夕日の残りで橙色に染まっていたが、これから青い鳥が案内する先が遠いところであれば、夜になるかもしれない。支度が整うと、イズーはローブを一枚羽織り、薬の類とランタンを携え、本来の大きな姿に戻った使いの鳥の広い背に乗り、暮れなずむ夏の空を飛び立った。


 リアはナハシュの町の北に広がる荒野にいた。空から見たとき、イズーは遮るものがほとんどない荒野の中で、疲れ切った獅子が、それでも誰かを守るように、静かにその場でじっと伏せている姿が目に留まった。地上へ降り、獅子にそっと近づくと、その腹を枕にして、リアが目を閉じて横たわっていた。そのそばでは、小さな姿のもう一羽の双子鳥と、いつもリアをその背に乗せている鹿とが、首を垂れてリアを見守っていた。


 リアの様子が、ただの眠りとは違うことは、すぐにわかった。イズーは胸が凍った。診たところ、リアは全身に小傷を負っていた。が、それは、己の身に実際に降りかかった傷の跡ではなく、リアの職業の召喚士特有の傷であった。


 召喚士は、魔法陣から獣を喚び出し、己の代わりに戦ってもらう者である。その間、かの者は、契約の魔術を媒介として、その獣が戦いやすいように、獣に己の魔力を伝える。例えば、その獣が傷ついても、すぐに治るよう回復魔術を伝えたり、もしくはそれより上級ならば、傷つく前から守護魔術を編んでおく。


 戦いが長引けば、それだけ魔力を消耗する。魔力が不足してくると、魔術は不完全なものになる。契約の魔術を介しながら不完全な魔術を続けると、魔術は逆流し、召喚士は己の身に小さな傷となってその代償が現れてくる。傷は多ければ多いほど、消耗が激しいことを示す。魔力は無理をして引き出すと、命も危うくなる。リアの傷の具合は、そのようなものであった。


 イズーは素早く持物の中から魔力を含んだ果実を漬けた薬酒を取り出すと、リアの口に含ませた。それから無数にある傷口の一つ一つを清潔な布で丁寧にふき、癒しの魔力を帯びた草で編んだ薄緑の帯で包んでいった。この種の傷では血は出ない。しかし傷口から魔力が少しずつ放散していく。ゆえに傷を負う者は魔力を補給し、薬草の包帯で傷口から魔力が減じるのを防がなくてはならない。ひどい傷では緑の包帯は癒しの魔力が薄れて、血がこびりついたような枯れ色になる。手当ては延々と続き、手元が暗くなると、ランタンを灯した。


 ひと通りの応急処置が終わると、次に、イズーはリアのそばに付き添っていた生き物たちに、それぞれに合った体力回復の薬草や果実を与えていった。たぶん召喚主の元気な姿を見ない限り、この生き者たちの気持ちは、ずっと沈んだままなのであろうが。イズーは獅子に手を触れて、これからリアを己の城へ運ぶための手伝いをして欲しい旨を伝えた。できるだけ急いだほうが良い。獅子はゆるりと立ち上がり、肯った。イズーは獅子の了解を得ると、己の羽織っていたローブでリアを包んでしっかと抱きかかえ、獅子の背に乗り、夜闇の中を、生き物たちとともに古城へと戻った。


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ