Ⅸ ミドルゲーム 3. 白い手の乙女 1
リアはひっそりとした古城の客間で、寝台に横たわり、その身に帯びた数々の怪我が癒えるのを静かに待っていた。枕の上の横木では、瑠璃色の双子鳥サイトとカイヤが、休息者を守るようにじっと付き添い、瞳に憂いを潜めてリアを見つめていた。
リアは休養の無聊にかこつけて、首に提げたクロスを目の前にかざしてみた。これと同じクロスを持つ異界の女性の夢は、眠りに落ちるたびに訪れた。リアは戦いで怪我を負い、長く意識を失っていた。その間、異界の夢はずっと続いた。夢の中、あちらでのパートナーは、塔の町を模したような大きな図書館で、やっと見つけた仲間たちと、ひそやかな冒険を繰り広げていた。リアはにこりと笑った。そしてクロスを元に戻すと、ゆっくりと起き上がった。まだ体が痛むので、その動きはぎこちなかった。
――コンコン。
ドアが小さくノックされる音が、部屋の中に響いた。リアは「起きています。どうぞ」と来訪者を招き入れた。
「もうお一人で起き上がれるようになりましたのね。良かったです。でもご無理はされないで下さい、リアさん」
銀の盆に、ゆるい粥の鉢と水の杯、細かく砕いた胡桃のパイの小皿と、葉に包んだ粉薬を乗せ、美しい銅色の髪を背に垂らした女性が入室した。リアはわずかに頭を下げて礼を告げた。
「お世話になります。イズー」
この女性は、この城の主だった。薬草に精通し、その透き通るような白き手で調合する薬は、どんな種族の者でも癒すことができると言われ、“白い手の乙女”の薬と呼ばれていた。白い手の乙女の名は、西大陸中の薬市場で目にすることのできる、最も有名な良薬であった。
リアは、この古城の主とは古くからの付き合いであった。しばしばこの古城の書斎で冬を過ごすことや、召喚士の仕事で白い手の乙女イズーに助けを借りることも多かった。
イズーは寝台のそばに据えられたテーブルに銀の盆を置くと、匙と鉢をそおっとリアに手渡した。粥は元気の回復に効く若草の香りがした。リアが食事をこなし始めると、サイトとカイヤはテーブルに飛び移り、そこに置かれた木の皿のパイをついばんだ。
城の主は、客人が薬草粥を無理なく食べ始めた所を見届けると、澄んだ夜気が通る窓辺の椅子に腰掛けて、その回復の様子をゆっくり観察した。この不思議な旅人の回復力は、とても早かった。リアが荒野に倒れている所をこの城に運ばれたのは、一昨日のことであった。意識を失い、命が危なくなるほど魔力を使ったためだった。そうなると、普通の人間なら、少なくとも一月は安静にしていないと、魔力は戻ってこない。しかしリアは、昨日一昨日と二日間休息をとり、あとまた二日もすれば、ほぼ全快しそうな様子であった。
金の輪を髪の上に戴いた城の主は、透き通った声で旅人に具合を尋ねた。
「調子はいかがですか? 私の見立てでは、もう幾日かすれば、またチェスに復帰できそうなほどのご様子ですね」
リアは鉢の中身を空けてしまうと、それを先ほどの銀の盆の上に丁寧に返した。
「おかげさまです。荒野で気を失っていた僕を見つけてくれたのがイズーで、本当に良かったです。ごちそうさまでした」
リアは昔馴染みに、親しみを込めて感謝の気持ちを表した。イズーは顔をほころばせた。リアが早く元気になってゆくことを、不思議に思いながらも、イズーは心から喜んでいた。
しかし城主は細い眉を少しだけ寄せた。旅人はいまだ傷が残る痛々しい姿であった。
「お体が回復するためにも、この城でごゆるりとお休み下さい。休息が一番の営養ですから」
リアはこくりと頷いた。そして葉に包んだ粉薬を、すうっとのどに通した。
「ええ。まだ二、三日は動けそうにないようですので、イズーのお言葉に甘えさせて頂きます」
そう言うと、リアはふわりとあくびをした。体が回復の代償に休眠を求めているようだった。リアはイズーに挨拶をして、枕元に置かれた蝋燭を吹き消し、再び深い眠りについた。
白い手の乙女は、己の城でひととき憩う旅人を、慈しむようにしばらく見つめていた。