Ⅶ-ii 赤の城(8月8日) 4. 赤の城 4
「ところでさ……」
滝が窓側の下座に顔を向けた。そこには蛍が座っていた。
「宵宮さんはビショップってことは、クロスの盗難の件も知ってるの?」
「ああ、甲府さん……は知っているのですか?」
蛍はびくっとしながら、おそるおそる滝に聞き返した。滝は軽い調子で答えた。
「うん。今この図書館の館長が探しているらしいって」
「そうなんですか。もう大図書館の人は知っているのですね」
蛍は話を聞いて少し安堵した。
「で、ビショップだったら、隠した場所とか分かるの?」
滝の目が光った。蛍は慌てて首を横に振った。
「え……私は持っていませんよ! ブラックベリがチェスが開催されている六十四都市の教会のどこかに隠したことしか知りませんよっ。実際に隠したのは配下ですし。でも……」
蛍と滝の話にちこが中に入ってきた。
「クロスの盗難って何のこと?」
滝はその場の人に簡単に説明をした。高校生が白のポーンの駒のクロスを盗んだこと、その翌日窃盗者はそのクロスが朝起きたらなくなっていたこと、物語の中では赤のビショップがそのクロスを隠してしまったことなどである。
「わぁ、そんなことがあったんだ」
ちこが驚いて呟いた。空気がざわめいた。
「酷いことをする人もいるものだな」
ほむらが怒りを表した。
「でも、不思議ですね。どうしてブラックベリは盗難を知って宿屋の主の元に辿り着けたのでしょうか」
要が疑問を投げかけた。蛍が口ごもりながら答えた。
「それはその、もしかしたら、だけど……私がアルバイト先でその窃盗した高校生の話を聞いたから……じゃないかって……」
「それは、夢のキャラが自分の生活を見ているってこと?」
滝が軽い口調でずばりと訊いた。目が楽しそうだった。蛍はその場で頷く勇気が起こらず、言葉を返せなかった。正気を疑われることを蛍は恐れ、口を閉ざした。
「そうだったらすごいわね。でも、まさかね!」
ちこが静まった場に一言投げ、明るく簡単に打ち消した。
「これはただのゲームですよ」
燎が一緒に否定した。
「そう、ですよね。……多分ブラックベリが情報通だったからですよね」
蛍が否定を受けて言葉を濁しながら周りを見た。
「でも、私も分かりますよぉ」
冴が場の空気に合わない明るい声で話に入った。
「私、紅茶を飲むんですけど、最近、淹れる時にこうしたら美味しく仕上がるって、誰かが教えてくれるみたいになる時あるんですよ。それが夢の中のジャスミンだと思うんですよね」
朝日が思い出したように話題に加わった。
「あの、騎士たちの集いで言ってたんですが、向こうでは夏の夜チェスの期間中、夢の中で“女神たちに見守られる”と言われているそうですけど、それがもしかして私たちのことじゃないかなって思っていました。何らかの方法で物語の中に私たちの情報が交錯しているのかなってね」
「夢の中の主人公と記憶を共有しているっていう感じなら、私も少しだけなら分かりますよ」
小春が小声でささやいた。蛍が小さく訴えた。
「え、でも、それは怖いです。自分ではない人が知らないうちに自分の行動を見ているなんて……」
「でも、いくら臨場感のあるゲームでも、登場人物が“生きている”証拠はないと思いますが」
早夜芽が冷静に断言した。
夾子が場を纏めるように高らかに声を上げた。
「まぁ、皆さま、夢の中の登場人物と同期する感覚って、“The Chess”特有の愉しみですわ。それでもこれはゲームでしてよ」
「僕もお姉さまに同意です」
笙子が短く追随した。
「でも、不思議ですよね。クロスを盗んだ人の手からクロスが消えてしまったなんて。どんな理由でしょうか」
小春が小さく呟いた。