Ⅶ-ii 赤の城(8月8日) 2. 赤のポーン 4
燎の“The Chess”での主人公は魔剣を使ってクロスを盗む者だった。が、燎はそのやり方を否定していなかった。夢の主人公フーガは、去年も同じようにクロスを盗んでいたが、断罪されることは無かった。“The Chess”の世界には、フーガのやり方を公式に断罪する者はいないようだった。
燎は夢は夢、ゲームはゲームであると考えていた。ゲームの中で主人公がルール破りと呼ばれることをしても、燎に罪悪感は無かった。これは“ゲーム”なのだから、と安心して悪事を楽しんでいた。試合で魔剣を取られたのは残念だった。フーガの言い分については燎はチェスの歴史を知らないので判断できないが、フーガが思考の浅い人ではないとは思った。
佐々木燎はアルバイト先の大図書館一階フードコートの中の麺屋の店先で、高校時代の友人で福祉家政学部保育学科一年の井富ちことお喋りをしていた。福祉家政学部食物営養学科一年の燎とは、学科が違って大学で会うことは無かったが、よく大図書館の中ではちこと会って話をした。今は十四時。フードコートの客席には人がまばらに座っていたが、料理を注文する人はいなかった。
「今日だよね、赤の会合」
ちこは西洋ファンタジーの戦士として出てきそうな格好をしていた。保育学科のちこは大図書館に来た子どもたちが迷子になったり困ったりしたことが無いか巡回をするボランティアをしていた。その時の服装は、子ども受けがいいのと自分でも楽しいからと、RPGゲームに出てきそうなコスプレをしていた。ちこは夢の中では赤のポーンの弓使いのピコット・ミルだった。フーガとピコット・ミルはゲーム二日目にアラネスで会った。燎はその時の出会いを思い出した。
「私はピコット・ミル。あなた、去年もチェスに参加して、クロスを盗んでいたのよね?」
「そうだ。悪いか?」
「いいえ。クロスを盗むのもゲームのスキルのうちだと思うわ。それより、これから白のポーンに会うなら、私と組まない?」
「どういうことだ?」
「私が白のポーン達と戦うから、その間に隠れて機を見て魔剣でクロスを奪うといいわ。白のポーンの後を追えるように私の風の矢を貸してあげるわ」
フーガはふっと笑った。
「いいのか?」
「同じ赤の者だし、協力しなくちゃね。それにあなたには会ったことがあるような既視感があるわ。もしかしたら“あちらの世界”で知り合いなのかもね」
「赤の会合では、どれくらい集まるんだろうね」
燎は現実に戻り、興味があるような無いようなどちらともつかない声でちこに返事をした。燎はもう“The Chess”の夢を見ることは無くゲームを引退したようなものだった。ゲームの経過は紅雲楼の専用サイトで受け取っていた。
「行くでしょ?」
一歩距離を置いたような燎の答えに、念を押すようにちこは短く尋ねた。
「うん、もちろん」
燎ははっきりと言った。燎は同じ色のクロスを持つ読者と会うのを心待ちにしていた。人が集まれば、それだけ何かがある。ネットの中で大勢の人が集まっている“トレンド”を追うことが好きな燎には“祭り”とか“炎上”とかが大好きだった。よく匿名で煽りの言葉を挟むのが楽しかった。オフ会でも期待が出来そうだ、と燎は楽しみにしていた。