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The Chess  作者: 今日のジャム
Ⅶ-ii 赤の城
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Ⅶ-ii 赤の城(8月8日) 2. 赤のポーン 1

 松原れいしはつつじ女子大学文学部英文学科四年生である。就職活動はすでに終わっており、隣の市の大手企業の秘書として内定が決まっていた。四年生最大の課題である卒業論文も順調に進んでいた。


 夏休みは高校時代の後輩に誘われて大図書館から“The Chess”の駒のクロスを借りていた。ゲームではれいしは赤のクイーン、アキレスだった。れいしは他にも赤のポーンが三人と赤のルークが一人知り合いがいた。知り合いの多さから、れいしは“The Chess”の赤の読者のオフ会を取り持つことにした。


 八月一日“The Chess” 一日目、れいしはオフ会の会場を大図書館から予約して、交流サイトの掲示板で告知した。



『赤の駒のクロスの読者 8/1 12:15

 赤の皆さん初めまして。

 私はつつじ女子大英文学科四年の松原れいしと申します。“The Chess”では赤の女王アキレスです。

 この夏休みの間に赤の読者の皆さんをオフ会“赤の城”にご招待したいと思います。


 

 日時 八月八日 十八時

 場所 大図書館 二階五番街“赤の城”


 参加資格は赤の駒のクロスを借りていることです。すでに夢の中で駒のクロスを失った方でもご参加頂けます。当日は駒のクロスをご持参下さい。

 予め参加者の人数を知りたいと思いますので、できればメッセージにて出欠のご連絡をお願い致します。

 夏の夜のひと時“読者”の皆様が集まることを楽しみにしております。

 by 赤の城幹事』



 今日八月八日はオフ会の日だった。れいしは昼過ぎに自分の車で大図書館へ向かった。オフ会前に同じ赤の駒のクロスを借りた友人たちと待ち合わせをしていたのだった。



「アンパッサン」


 白と黒の木製のチェス盤上で、黒のポーンが一つ白い手に摘み捕られた。れいしはふぅっと息を吐くと、相手の様子を見た。白い顔は化粧が薄く、ほんのり赤らむ頬を茶色い巻き毛が少し隠していた。黒く長い睫毛に縁取られた茶色の瞳は盤上を見つめていた。


「次、れいしだよ」


 見目麗しい女学生はぶっきらぼうに先を促した。れいしは「そうね、温」と短く答え一つ笑むと、淡々と残った黒のポーンを一歩前へ進めた。


 この対極相手、高田温は高校時代のれいしの後輩だった。れいしと温は高校時代、同じ英会話部に所属しており、そこではれいしが先輩で部長、温が一つ年下の後輩で副部長を務めていた。二人は部活外でもともに行動することが多く、大学に入っても交流は続いていた。温は文学部英文学科三年生で、大学でもれいしの後輩だった。ちなみに高校では二人は美人姉妹と呼ばれていた。


 れいしはよく温と時間のある時はチェスを楽しんでいた。家ではメールで一手ごとに交換し、大図書館を訪れた時は喫茶店や二階海側の休憩室などで、れいしが携帯しているチェスセットを使って、ゲームの長丁場をじっくりと過ごしていた。強さはどちらも同じくらいだった。


 チェスを始めたのは高校時代からだった。英会話部の部活内で流行って始めたのだった。そこでは二人とも他の相手から勝ちを譲らなかった。だが、いつの間にか他の部員は皆止めてしまい、対戦できる相手は温だけになった。


「私の勝ち、のようね、温」


 れいしはポーンをクイーンへ昇格させ、白の王を囲んだ。対戦相手は自分の王をその場でこつんと倒した。


「今日は調子いいじゃん、れいし」


 温は茶化すように笑った。


「もう一戦、早指しでもするかしら?」


 れいしは短く尋ねた。温は壁に掛けられた時計を見た。待ち合わせの人を迎えに行く時間まで一時間以上あった。


「いいんじゃね」


 温は軽く承諾すると、二人は盤上に駒を並べた。


「『The Chess』ってタイトルを最初に見た時は、盤上のチェスを指すプロプレイヤーの話だと思ったよね。全然違うじゃん」


 温は毒舌を吐いた。れいしはくすりと笑った。


「“向こう”のプレイヤーたちも、盤上のチェスが得意とは限らないみたいね」


 れいしは女王アキレスがそれほどボードゲームのチェスが得意なわけではないことを思った。


「チェスが上達する本かと期待したのにさ。まぁ、チェスの前身のシャトランジの知識ができたけど」


 温は軽やかに駒を運んだ。相づちを打つようにれいしも駒を動かした。


「やっぱ、クイーンだと同じ色の王様の読者って誰か気になるの?」


 温がさり気なく質問した。れいしは少し手を止めて窓の外を見た。薄水色の空と青色の海の間にヨットがたゆたっていた。


「そうね。……慕う感じ、かしらね。多分会ったことは無い人だと思うけれど、会えたら、知り合いのような感じを共有していたらいいかな、と思うわね」


 れいしは夢の中の女王アキレスの王に対する思慕を思った。日中眠ったままの王が毎夜目覚めた時に、安堵が女王の胸の内に現れる。この王はこちら側ではどんな人だろう、とそんな時れいしは思った。れいしは心の中でいつか王の読者に会うことを期待していた。


「ふーん」


 温はそっけなく返した。しかしその短い答えは冷たくはなかった。小さな共感が含まれている、というようにれいしには聞こえた。会ったことが無い人を求める気持ちに心当たりがある、というような。


 十四時四十分。れいしと温はその場を退室し、待ち合わせの人を迎えに行った。


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