大きな森の小さな竜巻 ~ふたつめ~
「お、集まってきたね」
王宮の人々が動き出し始めた頃。正門に集結していたフロンティア騎士団の元へ、蜜蜂らが敵兵士を捕らえて運んでくる。
「広間だっ、広間に頼むっ!」
「こっちこっち!」
モノノケ慣れしている人々は蜜蜂らを恐れもしない。それどころが、したり顔でハイタッチみたいに掌と脚を突き合わせている。
列を成して王宮広間に蜜蜂らを誘導する騎士達。次々と広間に投げ込まれた敵兵は、あっという間に床へと呑み込まれていった。
小人さんが生きているころに発案し、訓練させた暴動鎮圧用の捕縛式は、未だ騎士団で生かされているようである。
雄叫びを上げて、ぬるりと呑み込まれていく兵士達。その恐怖の形相を一瞥し、千尋は息を吹き返した騎士団の詰め所に寄り道する。
空から飛び降りてきた幼女に驚き、詰め所周りで騎士達の動きが止まった。
責任者は誰か? と問う千尋の前に、壮年な男性が進み出る。淡い桃色の髪に薄青い瞳。やや吊りぎみな眦が特徴的な騎士だった。
「カズマ・ヒューストンです。現騎士団長を拝命しております」
カズマ? ひょっとしてキルファン系の人間かな?
「アタシは千尋。チィヒーロでも、ヒーロでも好きに呼んで?」
目の前で大きく名乗る子供。しかし名乗らずとも、その瞳に輝く金色の光だけで騎士団が従うには十分な理由である。
彼は何も疑わずに詰め所の中へ幼女を案内した。
「さてと。追跡、捕縛は蜜蜂に任せてあるから。アンタ達は城に籠城の準備をして? 城下町の人達も城に避難させて?」
近くに置かれていた地図を広げ、小人さんはグルっと主の森から王宮までの辺りを指でなぞる。
「フロンティアの王都はキルファンと背中合わせだ。あちらに報せれば、人海戦術で相手を押せるよ。霧の水鏡を作れる術者はいる?」
説明に没頭していた男性が、はっと顔を上げた。
「誰かある、魔術師団から術者をっ」
慌てて駆け出す部下を見送り、カズマは幼女を見た。
薄緑なポンチョに赤いサロペットパンツ。波打つ豊かな黒髪や双眸でギラつく金色の瞳。
これに該当する人物をフロンティア貴族の誰もが知っていた。一般教養並みな有名人。初代国王陛下サファード様と肩を並べる伝説の人物。
かれこれ数百年前にフロンティアを中心とした国際連合を作り、世界を結ぶ在り方の原型を築いた御方。
知性ある魔物の主達をモノノケと名付け、広く世界に周知し、その権利を獲得した最後の金色の王。
次々と途切れることなく王宮上空を飛び回る蜜蜂達を見上げ、カズマは薄い笑みをはく。
.....森の隠者様。
彼女の没後、光彩を持つ者は生まれるのだが金色の王は生まれなかった。そこからの推察で、新たな金色の王が生まれないのは、先代である金色の王が生きているからではないかと人々は噂した。
数多の伝説を作り、多くの戯曲ともなり、今に謳われる最後の金色の王。名前をチィヒーロ・ラ・ジョルジェ。
王侯貴族が教養として習う歴史上の偉人だが、平民の間では今でも賑わう名前である。ただ、呼び名が違うため王宮は気づかない。
当時の関係者が儚くなり、彼女の愛称は失われたからだ。貴族達は己が貴ぶ王を愛称などで呼びもしないし、伝えもしない。
あなたのお城の小人さん。
この愛称を今に伝えていたのは平民達である。
親から子へ。子から孫へ。
奇想天外な冒険物語や伝承として、王宮の知らない多くの逸話を口伝で後にと伝えていたのだ。
誰もが見聞きする紙芝居や人形劇。あるいは寝物語など。
幼い頃から慣れ親しんだ小人さんの物語で、人々は身近に幼女を感じていた。
さらには件の幼女が下町をちょろ助する。背中に蜜蜂を背負ってポテポテ歩く小人さんが始終目撃されているので、その親近感は半端ない。
王宮には顔を出さないくせに、千歳の一件でもあったよう各ギルドなどとは未だに懇意な千尋なのだ。
そんな内情を知らないカズマは、数百年ぶりだろう金色の王の降臨に言葉もない。
過去の輝かしい偉業もあいまり、なんとも言えない感慨が、彼の胸中にぶわりとに広がった。
「今回のていたらく。誠に申し訳ございません」
深々と頭を下げる騎士団長を一瞥し、小人さんは軽く肩を竦める。
「まあ、ずうっと戰らしい戰もなかったしね。しゃーないにょん」
大きな戰といえば、小人さんが生きていたころのカストラート異変やドナウティル進軍。あとはパスカールや和樹の下克上大作戦くらい。
ある意味、ここ千年ほど平穏な世界情勢だったアルカディアである。チェーザレに鍛えられた千早が幾らか戦術向上に寄与したものの、やはり時の流れに洗われ今は残っていないのだろう。
でも.....
「それは恥じることじゃない。誇って良い。争いを起こさず国に持ち込まなかったことを」
にっと笑う幼女に、カズマは真顔で頷いた。
「けど、いざ窮地となった時の取捨選択が不味かったね。王より民だ。民なくして国は成り立たない。王は君臨し、臣民を纏めるための求心力。どちらも大切だが、両方が天秤に乗ったのなら、選ぶべきは民だ。良いね? .....こう言うと何だが、王はすげ替えられる。民の信頼や命は替えが利かない」
いささか口ごもりつつも、小人さんは冷徹な判断を騎士団長に求めた。常に民を最優先にせよと。
国際連合が発足した当時に唱えられた文言である。
まあそれも時の流れの中で、少しずつ変わってきてしまったみたいだが。
民のためと銘打ち、多くの悪行が蔓延りつつある。今回の悪魔理論などもその一つだ。人間の平等を歌いながら、その実、飛び出しまくっている杭を片っ端から叩き折るだけの行為。
平等にするために相手を引きずり下ろそうと画策する馬鹿野郎様どもが尽きることはない。
すうっと軽く息を吸い込み、小人さんは言葉を紡いだ。
「神々から下克上の権限を与えられている意味を心に刻め。それはなぜか。人は過ちを犯す生き物だ。王とて例外ではない。その権力から民を守るために、騎士団には王の首を刎ねる権限が与えられている。全ては民のため。神々の思し召しを忘れるな」
厳かな声音に鼓膜を擽らせながら、カズマは頭をカチ割られた気がした。
言葉としては理解している。その意味も分かっていたつもりだった。
.....つもりでしかなかったのだと、今、初めて彼は気づいたのだ。
実際に国王が人質となり、目の前で刻まれかかった瞬間、騎士の矜持を失った。民のことを忘れた。思い出しもしなかった。
今も案ずるのは国の行く末と国王の安否。国には民も含まれるだろうが、こうして言葉にされるまで、その存在を完全に失念していた。
己の無意識な傲慢さを指摘されて愕然とし、カズマは顔色を失う。
「んじゃ、理解したところで、街の皆は任せたよ? 千歳のことは考えなくていい。たぶん、アイツも望まない」
再びカズマの鼓膜に突き刺さる諫言。
そうだ、きっと国王陛下は己の代わりに民が犠牲になるなど望みはしない。
なのに王の窮地を目の当たりにした途端、我を失った。国も民も忘れ、国王の無事だけを祈ってしまった。
なんと愚かな浅慮であったことか。
臍を噛むカズマを軽く一瞥し、小人さんは再びポチ子さんに掴まる。
後は彼に任せたらいい。やることは山積みなのだから。
ぶい~んと飛び立つ蜜蜂に驚いた視線を向け、カズマはすがるように叫ぶ。
「ど、どちらへ?」
上擦る声に苦笑し、千尋はにぱーっと快活に笑った。
「仲間が来るからさぁ。出迎えないとね」
仲間?
呆然と空を振り仰ぐカズマに見送られ、小人さんはフロンティア北を目指す。
城下町は蜜蜂で片がつくだろう。数千という数を誇る生き物だ。タイマンなら負けるわけがない。
その証拠と言わんばかりに絶え間なく飛来する蜜蜂の面々。其々が敵の兵士を抱え、満足げに飛んでいく。
王宮から徐々に広がっていく騎士団の反撃。見下ろす小人さんの眼下では、騎士らが散開して王宮を包囲していた敵軍を蹴散らしていた。
魔法が使えなくとも騎士団の武術の練度は他国に負けていない。千歳を人質にされたせいで狼狽え、騎士らはその実力の半分も出せていなかったのだろう。
吹っ切った騎士は強い。そしてその彼等に加勢するは森の守護神、クイーン・メルダ様。
無数の子供らを率いて、騎士団の矢面を担っている。
.....まるで水を得た魚のようだね。
嬉々として暴れまわる巨大蜜蜂様。それを見て、人間と勝手の違う相手に戦き後退る敵軍。
若干、混戦じみてきた戦場を構築しつつ、破竹の勢いで相手を押し返すフロンティア騎士団を安堵の眼差しで見据え、次の手を打ちに千尋はかっ飛ぶ。
小人さんが北を目指していた頃。教会の熊親父は炊き出しを終え、王宮を目指していた。
「うわあぁぁっ! 魔物だぁぁっ!!」
駆け抜ける熊を阿鼻叫喚が出迎える。だが、その背中に張り付いた子供が、あらん限りの声を上げた。
「この熊はモノノケ様ですっ! 森の隠者様のお仲間ですぅぅっ!」
うあぁぁーっと絶叫しつつ、所々でドラゴの誤解を解くように叫ぶ少女。
教会でも同じように阿鼻叫喚が起きたが、熊は慌てず騒がず地面に文字を書き、それを見てもらえるように手招きした。
恐る恐る近寄ってくる教会関係者。モノノケ慣れしておらずば、きっと関心ももってもらえなかったに違いない。
そして書かれた文字を読み取り、周りの人々は唖然と熊を見上げた。
「森の隠者様の? 小人さんですか?」
小人さんという愛称を耳にして、思わずドラゴはほくそ笑む。狂暴なはずの熊がたたえる満面の笑み。
喜色を隠さない快活な笑みに毒気を抜かれ、教会は熊を受け入れた。
千尋を追ってきたドラゴは、満身創痍な人々が炊き出しをしているのに眼を止める。上手く動かない手足を酷使して調理をする神父やシスター達。
.....手伝うか。
そう考えたドラゴは蜜蜂達に先を行かせ、自分は教会を訪れたのだ。
上手く意志疎通がかない、あらかたの炊き出しを終え、王宮を目指そうとする熊親父だが、少し進むたびに悲鳴が上がる。
共にいた蜜蜂がいないのも、その状況に悪影響を及ぼした。
しかめっ面で先に進もうとしたドラゴだが、ふとその背中に温みを感じる。
そこには十歳くらいの少女。彼女は真剣な眼差しでドラゴを見上げた。
「私が一緒に行きます。熊さんは危なくないと..... 優しい熊さんなのだと説明しますっ」
少女の厚意を受け取り、彼女を背中に乗せて駆け抜けるドラゴ。
「ひゃあぁぁっ!」
涙目で叫ぶ少女を見て、あちらこちらで悲鳴があがるが、その度に彼女は大声で絶叫する。
「危険ないですぅぅっ! 良い熊さんですーっ! あひゃあぁぁっ!」
言葉と表情が一致しない少女を心配げに見送る城下町の人々。その顔に冷や汗が浮かぶのも御愛嬌。
ようやく辿り着いた王宮で、すでに愛娘がいないことを知り、しょんぼりと肩を落とす熊親父がいるのも御約束である。
相も変わらずな小人さん。彼女は今日も我が道を征く♪