小人さんと悪役王子 ~みっつめ~
「全ての台帳を書き直せ。銅貨一枚にいたるまで正確にな。金額が合わない場合、その理由や原因を精査せよ。……判明しなければ帰れると思うなよ? 明らかな中抜きなれば犯人が見つからない場合、連帯責任だ。関わった人間全ての俸禄から天引きする」
各部署を自ら回り、レナードは命令した。
思わぬ命令に度肝を抜かれ、どの部署も上を下へのてんやわんや。どんな所にも甘い蜜を吸う輩はいるのだ。それが閉ざされるも同然の命令に、果敢にも噛みついた者がいた。
「勝手を言わないでくださいっ! 今まで何もやってこなかったくせに……っ! 我々が上に逆らえないことは御存知でしょうっ? その咎までかぶせるおつもりかっ?!」
気炎を吐く青年は末端貴族の嫡男。
長く会計室に務め、上役の横領や汚職に歯噛みしていた人物だ。
現代と違い、地球の過去にも王侯貴族の横暴がまかり通った時代がある。無礼打ちなどという惨い死に様も多々あった。唯々諾々と命令に従うしかない身分の低い者に権利はない。
たとえ汚職がバレても命令した本人に咎めはなく、それを行った下っ端が代わりに咎められるのだ。己の手を汚さずに実利だけ貪る王侯貴族によって。
そうなれば身の破滅。自身のみならず、一族郎党に断罪が降りかかろう。だから彼は、不敬と知りつつもレナードに怒号を上げた。
「はやこれまでっ! 私は主の命令で汚職を働いておりましたからっ! 犯人は私ですっ! どうせ死にゆくある身! 言いたいことは言わせてもらった! お好きに断罪なさいませいっ!!」
ふーっ、ふーっ、と肩を怒らせて見据える青年を前にしてレナードは、自分の命令が間違っていたことを覚る。
そうだ、悪いのは我が国の体制だ。……身分を笠にきられては逆らえない弱者らを炙り出して何になろうか。
「……悪かった」
絞り出すように震えるレナードの声。
「……は?」
「そなたらに罪はない。私が認めよう。悪かった…… だが、私腹をこやし、汗水垂らして民の納めた税に手をつけた者を私は許せないのだ」
思わぬレナードの言葉に、周囲は絶句する。
王侯貴族は税を納めていない。一方的に搾取する側だ。福祉といった思考もない。集められた税金は、ただ浪費されるだけ。それが中世という蛮勇独特の思考。アルカディアはどの国も鎖国状態のため、この思考が覆らない。覆せない。身分ある者には心地好い状況だからだ。
そこに一石投じた小人さん。
知らないのは仕方ない。学べと。教わらなければ分からない者等に教え諭した。
実際の労働と餓えを知り、レナードは変わる。優しくも厳しい蜜蜂らに追い立てられ、彼は情や連帯感を知った。
失敗しても良いのだと。何度でもやり直しは聞くのだと。レナードは蜜蜂らと働く中で学んだ。
しかし、中には取り返しのつかないモノもある。それが人の命や人生だ。
「断罪などしない。」
し……ん、と静まり返る室内に、よく響く彼の声音。
「命令を変えよう。罪を犯した者でも実利を得ていない者は酌量する。逆に罪を犯していなかろうが、それによって実利を得た者は処罰する。……処罰だ。断罪はしない」
ふわ……っと笑うレナードにつられ、室内に暖かな微風が舞った。呆然と顔を強張らせて崩折れる青年。先程までの気炎はどこへやら。彼は顔を青ざめて平伏した。
「……も、申し訳ありません。これで最後かと…… 汚職に関与したのは私だけです、家や親族は知らぬこと、なにとぞ御容赦をっ!!」
一族の安否を考えたのだろう。青年は小刻みに震えつつ、床に着くほど頭を垂れる。
「良いのだ。よくぞ気づかせてくれたな。そなたの一喝がなくば、私は道を違えたやもしれん。名前は? 何と言うのだ?」
「……ジュリアス・ラ・フォーゲルと申します」
「……すまぬ。今の私は、そなたの家すら知らない。今後、覚えていくゆえ、許せよ」
「そんなっ、もったいない。末端の子爵家です。ご存知なくて当然でございます」
直接関わる家や名家ぐらいしか知らない王家。知る必要もなかったという方が正しいだろう。王族は命令を下すだけなのだ。直轄の臣下に命を下せば、それを仲介して末端にまで届く。
実際に働く末端貴族らに直接会うこともない。
……だが、それではダメなのだ。
「これから私は国を変えていきたいと思うておる。ここの皆にも言おう。私に力を貸してくれ。そのためなら苦言も受け入れる。ジュリアスのように呈してくれ」
真剣な眼差しのレナードを見て、何人かが勇気を奮い起こした。
「……気まぐれでござらんのか? 貴方様とて、つい最近までは身勝手な浪費をされていたではないか」
「……それで、実行出来なかった者の一族がどうなったのか。……知らないようですな?」
知らず惚けたレナードを冷たく一瞥し、奮い起こした勇気が続くうちにと彼等は語った。
……出来なかった人物の一族は、放逐されたらしい。
「家は断絶、財産は没収。……その没収した財産で、殿下の望まれた離宮が作られてございます」
辛辣な眼差しを隠しもせずに睨みつけてくる人々。
何も知らなかった己の愚かしい過去。啞然とした顔で項垂れるレナードを見て、ジュリアスも苦々しく口を開いた。
「……彼は我が領地で小作人に身を窶してございます。それが限界でありました」
王族の不興を買った者を雇う物好きはいない。それでも見捨てられなかった。平民落ちした部下の家族を匿い、小作人として秘密裏に雇い入れた。それで精一杯。
ジュリアスの説明を耳にして、レナードは心から安堵する。
「ありがとう…… これからは、絶対にそのような理不尽はしない。約束しよう」
不敬を働いたジュリアスが処罰されなかったことに胸を撫で下ろした会計室の人々だが、レナードの殊勝な言葉を信じるほどおめでたくもなかった。
そんな理不尽を散々強いてきたのが王侯貴族である。信じられるわけもない。
こうして謝罪や礼を受けて驚愕はしたが、ただそれだけ。どうせ、すぐに掌を返すのだと、口さがない若者が呟いた。
「何があったか存じませんが…… 一時の感情で身を滅ぼされませんように」
「自己満足でしかないですよ? 貴族らが反発するのは明らか。処罰までにいたりますか、どうか」
「まあまあ。夢を見させてもらおうじゃないか。今起きたことも白昼夢みたいなものなのだから」
苦言を呈せとレナードが言ったからだろう。口々に吐かれる呟きは非常に渋い。だがレナードも負けはしない。森で経験したのだ。
泥のように眠り込むほどの労働を。散々の失敗を。そしてそれを労い、手伝ってくれる蜜蜂らの優しさを。
握り込んだ指の爪を掌に食い込ませ、レナードは清しく顔を上げた。
「自己満足だよ? 私がやりたいからやるだけだ。でも悪いことばかりじゃないだろう? ほんの少しでも良い時を過ごせるのだ。万一、私が挫けて掌を返したとしても、それまでは安穏が続く。これまでの横暴が続くより、ずっと良いとは思わないか?」
……たしかに。
ほんのしばらくでも正しく政が行えるなら、それにこしたことはないし、最初から期待しないのであれば、掌を返されても痛痒はない。
訝しげな顔を見合わせる人々をチラリと見渡し、レナードは言葉を続けた。
「偽善でも善は善。やらないより、よっぽど良い。偽善だって、最後まで貫ければ本物だ。違うかね?」
王子自身が感銘を受けた言葉は、周りにも伝播した。小人さんの台詞を借りて、にやりとほくそ笑むレナード。
物は言い様だなと、会計室の人々も納得する。
……今は、これで良い。
王侯貴族がやらかしてきたこれまでを思えば、いきなり信じてもらえるわけもない。けど……
「なら私に協力しろ。この偽善が続けられるかどうかは、そなた達にかかっている。これ以上、王族や上位貴族らの横暴による被害者を作りたくないだろう? 私には権力がある。使いどころを見誤らぬよう、そなたらが支えてくれ」
一人でやれることはしれていた。だから仲間が必要。時には厳しく、時には甘く、その場その場で最適解を導くための仲間が。
そう…… 森の蜜蜂達みたいに。
手伝えと命令され、会計室の面子は泡を食いながらレナードについていく。
王子は同じことを各部署で宣い、彼を見る人々の眼が、しだいに変わってきた。
.....疑心から期待へ。
「これは私の我が儘なのだよ。文句があるなら聞こう。聞くだけだがね?」
やるならとことんだ。変に中途半端では悪辣な貴族どもに足元を掬われる。徹底した悪役に徹せねば。
元々横暴極まりないの代名詞な王族である。それは慣れたものだった。
しかし、貴族らにとっての悪役だ。それは裏を返せば民にとっての救世主。
王宮を支える多くの末端貴族達を従え、それらを取り込みつつ、レナードは夢見る治世を築こうと粉骨砕身する。
これが、後に賢王と称される彼の人生の始まりだった。
「……良いねぇ。やっちゃえ♪」
しばらくして、中央の森の主に認められ眷属を賜るレナードの努力を、大空の雲間から、こっそり見守る小人さんがいたことも今は誰も知らない。
これにて終了です。思い立つと書いてしまう悪癖持ちですが、皆さま御笑納くださいませ♪




