未来の賞味期限
酒が飲みたい。マグカップにウイスキーを注ぐ。1対2になるようにペットボトルから水を注ぐ。喉を潤し脳を癒す魔法の飲み物の出来上がりだ。酒を飲んでいたら腹が減った。少し重い扉を引いて冷蔵庫を開けると中にシャチが泳いでいた。噛まれないように注意しながらハムを取り出した。隣にあるアルミニウムの弁当箱のような入れ物に目をやる。まだだ、これが外に出る日はいつになるか分からない。冷蔵庫の中は家庭の秘密が多い場所だ。この秘密を守ることも重要な使命なのである。
ある日、青年が訪れた。
「ここのところこうすると何を感じる?」
「……神が見えます」
国家試験に何度も落ちてしまったらしい。しかし、次で最後にするつもりだというのだ。そのために私の力を貸してほしいということだった。私は彼に脳外科手術を施した。新しい法律の下で罪を犯した者は皆同じような手術をされることになっている。あまねく人間の欲望に根ざした犯罪の原因を頭の中から取り除いてやるのだ。手術を受ければあらゆる欲望から解放され、晴れて無害な人間へと悔い改めるようになるのだ。この手術ができるのは私しかいない。神の手と呼ばれたこの手で何人もの犯罪者を更生させてきたのだ。世間では史上最高の教育刑として絶賛されている。二度と罪を犯さない、そのためには必要な処置なのである。かつての刑務所に代わって、古いものは常に新しいものにとって代わるものである。今回は罪を犯していない青年に手術を施しているが、そんなことは大した問題ではない。優れた技術はいくらでも応用が利くのである。
「その代りに君の大事なものをいただくよ。実験にも協力してもらう。いいかな」
「頭がよくなるのなら、それで結構です」
青年には最新の技術を使った。自他ともに認める最高傑作であった。
パチンコがしたい。競馬でもいい。勝ち馬の背に乗ったつもりで風を切って歩きたい。勝利は常に心地よいサンバのリズムだ。あの青年をオペして以来、益々調子がいい。実験もうまくいっている。この間は走馬灯のようなものを見せることに成功したし、次は未来を見せることもできるのではないかと考えている。何しろ時間の感覚などというものは所詮感覚でしかないのだ。脳を直接いじればどのようにだって再現できるのである。脳は痛みを感じない。だから、脳に刺激を与える時に覚醒したまま処置することが可能だ。そうすれば色々な物を体験することができるだろう。本当にリアルなバーチャルリアリティを追求することができるのである。煙草の煙を肺から吐き出しながら、ニヤついている自分が見えるようだ。冷蔵庫の中ではまだシャチが元気に泳いでいる。アルミニウムの立方体はまだ静かに冷気の中で浮いているようだ。
しばらく冷蔵庫を眺めているといつの間にか囚われの身になっていた。
「あなたはなぜ捕えられたか理解していますか」
「分かりません」
静かな法廷はそれだけで何もかもを凍りつかせてしまいそうだ。
「9月13日、儀式でもないのに酒を飲みましたね。12月4日、許可なくギャンブルをした、パチンコと競馬を。同5日、政府の禁煙命令を無視して煙草を吸いましたね。あなたはこのように怠惰な生活を送っていました。あなたはすでに欲望の虜です。それは大変不幸なことです」
法廷は静けさを発信するスピーカーのようだ。
「しかし、それらは昔から禁止されていなかったではないですか」
まだ若く見える裁判官は言った。
「時代は変わるのです。古いものは常に新しいものに代わる。あなたの冷蔵庫の中身も見せてもらいました。大変問題があると言わざるをえない。あなたの賞味期限はすでに過ぎている」
捕えられた男がかつて神の手と呼ばれたことはすでに遠い昔のこととなってしまったようだ。
「では、私は罰を受ければよいのでしょうか」
「罰、という古い慣習はありません。あなたに生きる権利がなくなるだけです」
ここでようやく思い出した。この裁判官は、あの青年ではないかと。
「罪を償うという考え方が古いのです。償う必要はありません。あなたを処理するだけです。今すぐ移植手術のドナーになってもらいます」
立場が逆になった。それだけだ。乱暴にもすぐに手術室へ運ばれた。誰かが何かを話している、そして次第に意識が遠のいていく。
この男の……処遇……しま……
──アナタハ神ヲ信ジマスカ──