004:外面
前話から少し後からの話になります。相変わらず状況整理パートです。前話で行き詰まった反動から、前半部分がややハイテンションな内容となっております。
サブタイトルは「ガイメン」ではなく「ソトヅラ」と読んでくださいな。しかしどうしてこのようなマイナスイメージなサブタイトルばかりなのでしょう。
後程、王女と近衛師団小隊長から正式に礼を申し上げいたします。
そう言われていたので、てっきりその二人とちょっと挨拶する事になるのだろう程度に思っていたのだけれど。
まずネグリジェらしき寝具から、元の衣服に着替えさせて貰う。戦闘で血濡れになり大きく裂けていたと思われるデニムジャケットは、一見してそうと解らないほど見事に繕われていた。そして王女様の前に出るというのに身嗜みを疎かにする訳にもいかないので、普段からその王女様のお世話をしているというアカネに手伝ってもらい、身繕いをして待つ事しばし。先程の赤毛の魔法士さんの準備が整いましたの合図と共に、アカネに手を引かれて馬車から一歩外へ出てみると。
近衛兵らしき人達が大勢、侍従らしき人達がそれに次ぐ人数、魔法士と思われる人やその他よく解らない人もちらほらと。ずらーっと並んで直立不動。一体何事なのだろうかこれは。
場所は小石の目立つ川辺。見てみると川向こうには針葉樹林が広がっていて、振り返っても大体同じ。違うのは今立っている辺りがちょっとした広場みたいに開けていることと、林道が通っていること。多分、ここは馬車旅の中継地点なのだろう。何となく、昨日までのキャンプの風景を思い出す。あちらでも時間が同じように流れているなら、大体そろそろじさまとばさまが警察に捜索願を出す頃合いだろうか。
今はその事を考えても仕方がない。頭を振って思考を切り替える。
馬車は四台。今まで乗っていた馬車が一番上等なものらしく、大型で装飾も煌びやかだ。同等サイズの馬車がもう一台あり、更に荷馬車が二台。今目の前にいる人達を割り振ると、上等なものが王女専用のもので、もう一台にお世話係の侍女たちを乗せ、近衛兵たちは御者と各馬車に乗り込んで護衛する人員を除けば、歩いてそれに随行するというところか。
そして、馬車を背後にそれらの人ほぼ全員の前で式典めいた状況は進んでいる。学校行事におけるこのような式典においてはただ只管に他事を考えてやり過ごしていた身であるから、まさかこのような舞台に引き上げられることになるとは想像もしなかった。校長や生徒代表の有難いお話を聞いているだけでいい身分とはなんと気楽なものか。身勝手とは知りながらもそう思わずにはいられない。
その上、どうやらお姫様を筆頭に欧州系統と思われる身体的特徴とそれに非常によく見合った時代がかった装束の方々の前で、歴史的に彼らに致命的なまでに大きな外見上のコンプレックスを持つ大和民族の人が、キャンプ用にと選んだ丈夫なデニムの上下というとてつもなく雰囲気殺しの服装をして立つというのは、強意表現の乗算効果により凄まじいまでのプレッシャーであった。正しく見世物小屋の珍獣の気分である。ついでに述べるなら、欧州的世界観であるにも関わらず、恨めしい百七十七の身長はここでも相変わらず大女に分類されるようだった。不躾な推論をするなら、栄養状態の問題であろう。欧米人なら肉をもっと食べろと言いたい。偏見以外の何物でもないが。
ただ、アカネは本来王女付きの侍女である筈なのであるが、馬車を降りて以降も背後に控えてくれているので、その存在だけはこの小心にとって大きな拠り所であった。『東方の辺境域のさる小国からの留学生で、森の奥深くにいたのはただうっかり獣道に踏み込んでしまったから』、という設定を考えてくれたのも彼女だった。例えば黒髪黒瞳の黄色人種という身体的特徴がどの地方で見られるかというような、あるいはこの場で間違っても名をあげるべきではないコクヨウ王国の敵国はどこそこであるというような、この周辺の国勢、常識を一切知らないのではこのような機転は利かせようもない。その辺りの心得がありかつ王女の信頼も厚い侍従という立場の彼女が進んで彼らとの間に立ってくれなければ、この式典にこぎつけることなく不審者扱いされて遁走するしかなかっただろう。ただ、銀髪に赤い瞳の侍女という彼女は、見目の上では完全に向こう側の人だったけれど。
それにしても不審者扱いをされなかったのは有難いのだが、逆に何故ここまでの扱いを――いや、疑問符ばかり浮かべても現状は変わらないのでそろそろ現実逃避はやめるべきか。『貴女はお姫様を救った英雄ですもの、王国としても邪険に扱う訳にもいかないのです』。余り考えたくはないのだが、昨晩のあの一件で国賓に近い立場までのし上がってしまってしまったと、つまりはそういう事だ。兎にも角にもむずがゆく、正直、メッキが剥がされる前に自分から逃げ出してしまいたい状況である。
そんなこんなで話を聞いている余裕等全くこれっぽっちもなかったので、ただ真摯にお礼を述べて下さるお姫様――シェリスエルネス王女の鼻梁とか眼差しとか、その整って美しい、同じ女として羨ましい限りの御尊顔を眺めている他にすることがなかった。ただ、流石にじっと顔を見つめているのは良くなかったらしく、話が終わる頃にはちょっと困った顔をさせてしまっていたので、これは悪いことをしたかもしれない。その上実は話も聞いていないのだから、甚だ無礼な平民である。
そんな事を忘我の中で考えている内に、話し手が王女から小隊長に移る。結局最初から最後まで話を聞いていなかったので、やはりお姫様には悪いと思うのだが、性分なので仕方ない。長い話を真面目な顔で聞いている振りして聞き飛ばしてしまう事が出来るというのは、余り人に胸を張って誇れない特技である。
この一行の護衛責任者であるラルス小隊長というのは、先に馬車においてシェリスエルネス王女の後ろから現れきつい眼光を投げかけてくれた人であった。やはり偉い人であったようである。精悍という言葉通りの印象を受ける、中年の男。この人、大熊を素手で屠ったという胡乱な小娘に対して不信感を持っているのは露わではないが明らかで、こうして感謝の言葉を述べられている最中にも、言葉と一緒くたに矢を射掛けられているような殺気じみた強烈な感覚が皮膚を粟立たせていた。第一王女の護衛という役目を任せられるだけあってその実力は本物なのであろう。
ただ、この場まで流されるままに来てしまった身としては、その警戒心は脅威でもあったがむしろ安心出来るものでもあった。事態の異常性を認識してくれている人が違う立場に確固として存在するという事実は、その警戒の出所さえ違えど、何となく自身の正常性を保証してくれるような気にさせてくれるものである。
もう一つ救いだったのは、この二人の感謝の言葉というのが体感の上では兎も角として実的にはそう長くはなかった事。これがもし、日射病で何人保健室送りにしようがお構いなしの校長のように喋り続けられていたらと思うとぞっとする。ただまあそれは、流石に急なことであったし、王女様一行はあくまで旅の途中であるのだから予想出来ない事ではなかったのだが。
ラルス小隊長の話は、謝辞と恫喝の相関関係を考察する内に終わった。これで解放される。慣れない事などするものではない。幾ら不可抗力とは言え、場に流されるままに流されるというのも考えものであろうか。
と、気を抜きかけて、はたと空気に気付いた。これは式典ではないので、明確な司会進行がある訳ではない。しかし、話の流れというものは存在する。間の悪い沈黙に支配された場の空気は明確にそれを示している。そも、成り行きというものを考えればそれは疑う余地もない。卒業式で言うなら、送辞には答辞。お礼を言われればどういたしましてと返すのが礼儀というものである。
……死ねと言うのだろうか。
その後、どういう言動をとったのか自分で覚えていない。ただもう、アカネが考えてくれた設定から枝を伸ばし虚実を交え、口の動くままに喋っただけである。勢いでごり押しして、知らないうちにその場は解散されており、人前に立たされるというプレッシャーから解放されていたことに気付いた頃には王女様との朝食会に突入していた。投げたり砕いたりできないものはどうにも苦手なのである、と頭の悪い言い訳をしておく。
さて、馬車旅の中途とはいえ、王女様の朝食会である。それは侍従の皆さんがいつの間にかそこに用意してくれたテーブルセットの並べられた優雅な食事スペースにて、お紅茶を優雅に味わいつつ、サンドウィッチなどを優雅に食べる朝食となる。嗚呼、昨日の友人達と作った飯盒炊爨から、ひどく遠いところにいる事を実感する。勿論そのプロフェッショナルな朝食は美味であり文句等一切ないのだが、ただそのメインの具は新鮮な熊肉と聞いて手が一瞬止まってしまうのはどうしようもなかった。その調達ルートは考えるまでもない。しかし、そうでもしなければ昨晩の行為がただの無益な殺生になってしまうのは理解出来るので、考え直し、そして昨晩括った腹をもう一度きつく括り直して、積極的に食べることにした。これも供養であろう。
「もう傷は痛みませんか?」
その食事の手をふと止めて、シェリスエルネス様が問うてきた。そういえばそうだと思い出す。今の今まで両腕を負傷していたのを忘れていた。我ながら余りに暢気なとも思うが、寝て起きてみれば傷跡も痛痒も残っていないのだからそれは不可抗力というものだろう。喉元過ぎれば熱さを忘れるとはよく言ったもので。
「はい、もう全く問題なく」
ただ、それは確かに俄かには信じがたい現象ではあったが、その場で言及するのはやめておいた。それが当然とばかりに場が流れていたからである。まずもって考えるべきは如何にしてこの場を無難にやり過ごすか。その上で、余裕があれば後でアカネに聞けばいい。それが最良。純粋にこの異邦人を感謝し信用したからこそこうして朝食にまで招いてくれたのであろう王女様を欺くのは心に咎めるものがあったが、今は全く無力な身であることを呪う他ない。
ところが、思いもよらぬ所から助け船はやってきた。
「当たり前だよ、姫ねえさまの命の恩人に傷なんて残す訳にはいかないからね!」
無邪気そのものの元気な声が、右手側、テーブルを囲む残りの二人内の一人から放たれる。
翻訳魔法を掛けてくれた赤毛の魔法士、ランセリィ・イラである。初見では違和感なく大人達に交じっていたように見えた彼女なのだが、こうして砕けた口調になると途端にその少年のような風貌の通りに子供らしい子供に豹変してしまった。最初は少し戸惑ったのだが、これは彼女が相対した人物は少なからずそう感じてしまうものらしい。可愛い妹をみるような目をランセリィに向ける王女様が、クスリと笑いながらそう教えてくれた。
「ランはまだ年若いですが、既に治癒魔法まで会得している才に恵まれた魔法士なのです。今はまだ無名ですが、いずれはコクヨウ王国を代表する魔法士になるであろうと言われているのですよ」
ランセリィの対面側からすかさずフォローが入る。食卓を同じくする最後の一人はアカネだ。言葉からはその事を誇らしく思う気持ちがよく伝わってくる。それはまるで虚飾の感じられない言葉だったので、ここは驚くべき場面であるとさりげなく教えてくれた事に、危うく気付かないところだった。もしかしたら、本当にそのような意図なんて欠片もなくて、単純にランセリィを自慢したかっただけであるかもしれない。
「成程」
一つ頷く。ランセリィはこの二人によく愛されているのであろう。そして、それは彼女達三人の絆の一辺であるに違いない。そもそも、一介の侍女と兵卒が何故この席にあるのかといえば、それは『大切な恩人である天音様に、わたくしの一番大切な友人を紹介させて下さいな』という王女様の言葉による。王女様とランセリィは乳母姉妹の関係にあたり、アカネは年が近いということで幼い頃にあてがわれた遊び友達であったという。言われてみれば確かに同年代のように見えるし、同じテーブルを囲んでみれば彼女達は実の姉妹のように仲が良かった。
ただ乳母姉妹というなら実際は僅かにランセリィが年上である筈であるし、日本人でありコクヨウ王国の貴族ではないアカネがどういう経緯で王女様とそのような関係に成り得たのかという事等、少しばかり気にかかるのは確かだったが、その辺りは当人達の事情であろう。そこにいきなり踏み入ろうと思うほど野暮ではない。
この朝食会は誠意を伝える為のシェリスエルネス様が用意した態度なのだ。目覚めてからアカネやランセリィがついていてくれたのも同様に。なので、このような場合ランセリィがしてくれた事に対しては彼女の主である王女へ応えるのが本来なのであろうが、本人にそのまま礼と称賛を伝えることにした。
「有難う。凄いんだな、ランセリィは」
単なる学生という立場からしてみると目上の人物ばかりのこの場において、子供子供したランセリィは唯一親しみやすい存在だったから、彼女とはかなり力を抜いて喋ることができている。いや、年齢では少なくともこの三人は殆ど変わらないのであるし、ランセリィも魔法士という職に就いていることは理解しているのだけれど。
「な、なんてことないよう」
ところが褒められ慣れていないのかランセリィは照れてしまったようで、顔を赤くして俯いてしまった。はて、先程のアカネの言葉によれば彼女は天才魔法士のような扱いを受けているのだそうだから、褒められ慣れていないという事などないと思うのだが。いや、王宮務めともなれば、天才というだけでは特別扱いされないのかもしれない。思えば、馬車の中での彼女の様は同級生の『女の子』達とは違う、一人の『女性』であった。少なくとも、豊かな国で気楽に学生などやっている者とは視線が等しい高さにないのは確かなのだろう。
などと一人で納得していると。
「ズルいです、ランばかり」
お姫様がぽそりと何か呟いた。
何だろうと思い顔を向けると、先程は微笑んでいた筈の王女様の顔が暗い。というか、少々むくれているようだった。手も完全に止まってしまって、何やら考え込んでいる御様子。
「どうかされましたか、シェリスエルネス様」
声をかけつつ、さあっと水音を立てて脳裏に不安が満ちる。何せ、このようなやんごとなき方とは縁のない身であるし、そもそも全く風習の違う文化の人間。この場は無礼講な雰囲気ではあるが、それでも最低限の礼節を知らずに厚顔無恥を通してしまっている可能性は高い。これは今すぐどうこう出来る事柄ではないが、『辺境域からの留学生』の設定とこの見てくれなので説明すれば理解はして貰えるだろう。
「何か御不興に思われましたでしょうか? 自分は無作法な人間ですから、そのような点で至りませんでしたら、」
「ち、違います!」
ひどく慌てたような強い一言でぴしゃり。吃驚して言葉を止めると王女様もはっとしたように口ごもる。どうしたものか。もごもごと口の中で何か言っている。風向きの所為か内容までは聞こえない。「昨晩は、あんなに強く抱いて下さいましたのに」。聞きとれずにいると、何故かアカネがぎょっとした顔でこちらを見た。ランセリィはきょとんとしている。
「あの、シェリスエルネス様?」
何故だろう。解らない。解らないがこれは、非常に良くない流れである気がする。過去、もといた世界でも似たようなことがあったかもしれない。類似する状況等記憶にはないしある筈もないのに、そんな直感が脳裏に閃く。頭蓋に響く警鐘を鳴らす。何か、腐れ縁の阿呆がぼやくよう言っていた言葉を思い出しそうになった。あの時、あの阿呆は何と言ったのだったか。確か。
「……シェリスでいいです」
何故にしてそのような拗ねたような声音なのですか。というかそれは余りよろしくないのではないのでしょうか。口にした途端に不敬罪で切り捨て御免というのは遠慮したいのですが。
まあそんな心の中のささやかな抗議に答えてくれる者なんて、いる筈もなかった訳で。
「敬語も要りません」
市中引き回しの上に晒し首も追加なのですね。
どうやら観念するしかないようだった。溜息とか咳払いをしそうになるのを寸での所で我慢。別に彼女が悪かったり嫌いであったりする訳でもないのだから。ただ、状況と立場に少し疲れていたのと、彼女が持って生まれた第一王女という堅苦しい肩書きが良くなかったのだろう。
「シェリス。……これでいいかな」
瞬間湯沸かし器のように、シェリスエルネス様――シェリスの顔が、首からおでこまで、刹那で赤く染まった。ああ、色白だと顔色の変化が顕著なのだなあとどこか遠いところで思う。シェリスはどちらかと言うと美人さんタイプであるが、どうやらそういう仕種は仕種で卑怯なまでに似合い愛らしく見えるようだ。
「可愛いね、シェリスは。羨ましいよ」
「そそそんなっ、ことはっ」
思わずそんな呟きを漏らすと、シェリスは完全に俯いてしまった。何なのだろう、この反応は。いよいよ、思い当たる節があるような気がする。
そうだ、あの時。級友のバッグを引ったくった原付の男を路上に引きずり落として取り押さえて、ちょっとした立ち回りを演じてしまった後日談を話してやった後。あの阿呆はわざとらしい溜め息と沈黙を演じつつ何と言ったのだったか。確か。
「要するに天音様は、無自覚の女殺しなのですね」
この武術狂いの天然ジゴロめ。
小さく呟かれたアカネの呆れ気味の言葉が、何故か馴染みの阿呆の言葉と重なって聞こえた。
えー、堅物な主人公にシェリスエルネス様を(地の文の都合で)シェリスと呼ばせるのに四千文字も使ってしまいました。
予定していた状況整理パートは全二話構成だったのですが、色々と欲張った結果ここまでの内容は前一話の三分の二程度しか消化できておりません。頑張って再構成して出来るだけ早くバトルパートに入りたいと思っておりますので御容赦くださいませ。
次回も土曜日更新の予定です。
誤字脱字等、気が向きましたら御報告下さいな。