003:小心
前話の戦闘から明けて翌朝。しばらく状況整理パートが続きます。
目が覚めたら目の前にメイドさんがいました。
何事かと思い身構えそうになったがそこで違和感に気付く。傷の痛みがない。穴だらけになった筈の左の手の平を見ても傷跡一つ残っていない。身につけている衣服こそ覚えのない粗い感触の寝巻らしきものだったが、やはり先程、気絶するまでの出来事は夢であったのだろうか。
しかし、だとするとここはどこなのか。目の前で訳知り顔でにこにこしているメイドさんは一体何者。
寝起きである事も手伝って混乱していると、何を思ったのかメイドさんは何事かを、多分こちらに向かって声を掛け、笑顔で退室してしまった。うーむ、プロフェッショナル。でなくて。
あれ、今メイドさん外国語喋りませんでしたか? しかも英語ですらなかったですよね? もしかしてまだ夢の続きですか? ……そうだとすると、事態は昨日より余程悪化している事になる。コミュニケーションが取れないなど、異国にあって致命傷以外のナニモノでもない。ここが地球ではないのでは説とその考察が再び思考を埋めそうになったが強制停止。それどころではないのである。
落ち着こう。そして取り敢えず現状を把握しよう。話はそれからだ。
上体を起こして周囲を見渡す。狭い空間。天井が低い事を除けば、構造は観覧車のゴンドラに似ている。ただデザイン重視と思われる内装から考えて多分貴族とか上流階級向けの代物。田舎町に住みつつも普通に電車に乗って高校生やってる身としては時代錯誤としか思えないのだが、なんといっても両側面についてる窓にはピンクのレースのカーテン、先刻まで寝ていた布団も負けず劣らずひらひらがついているのだ。
構造からするとこれは馬車か。そう推測してみると丁度良いタイミングで馬の嘶きが聞こえた。心の中で馬に感謝の念を飛ばす。
時間帯はカーテン越しに射し込んでくる日の高さからして多分朝。となるとあれから一晩明けたというのが順当だろう。不可思議な傷の治りから考えるに恐ろしい時間が経過している可能性もあったが、身体がだるいといった症状もないので恐らくそれはない。
で、肝心要の何故今ここでこうしているかについては、多分それは向こうからやって来るのではないかと思われる。何故かというと、ぱたぱたという足音がすぐそこまで聞こえてきていて――。
ばたんっ、という音と共に弾丸のように突っ込んでくる華奢な影。ひしと抱きしめられて、ああ心配をかけたのだなと思う。悪いことをしてしまったか、とひとしきり反省。
戸の向こうから何やらがやがやと謎の言語。それを聞いてぱっと彼女、昨日の美人さんなお姫様は立ち上がって顔を赤らめた。今のは何となく解る。「姫様、はしたないですぞ」とか、恐らくはそんな雰囲気の言葉だろう。やはりお姫様には御供の人がいるのだ。昨日は何かしらの理由があってはぐれてしまっていたのだろう。無事に再会できたようでなによりである。
その御供の人の言葉で大分我を取り戻したのか、お姫様は一歩後ろに下がるとぺこりと折り目正しくお辞儀をして。
「くぁwせdrftgyふじこlp」
日本語でおk。でなくて。
一寸待ってくれないかお姫様、昨晩は二、三言しか言葉を交わしていないとはいえ、その時はきっちり日本語を話していたように思うのだが。これはもしかして、言葉も解らない異郷の地にぽつんと一人取り残されたと、そういう状況なのだろうか。悪くすると、誰ともコミュニケーション取れないまま野垂れ死に? 理不尽にもめげず死ぬ思いをしてあんな大きな熊モドキ倒したにも関わらずそんな落ち?
冷や汗をだらだら流していると、お姫様がきょとんとした顔で小首を傾げた。金糸がさらさらと流れる。そして何事か尋ねられたのだろうと思うが、何を言われているのかさっぱり理解できないから答えようもない。それ以前に、今更と言えば今更だが理外の出来事に思考から何から硬直してしまって動けない。誰か助けてくれないだろうか切実なんだ。
祈りが通じたのか、扉の外からぬっと顔を出した厳つい鎧を着た人が、何やらお姫様に耳打ちした。途端、慌ててお姫様が引っ込み、鎧の人も、多分護衛の兵士の偉い人か何かだと思うのだけど、じろりとまるで値踏みをするような一瞥をくれてから引っ込んだ。どうにも、余り歓迎されてないらしい。まあ、不審人物なのだから警戒されてしょうがないし、護衛の立場だとしたらますますそうだろう。勿論嬉しくはないけど。
しかし正直これは予想外だ。どうしたものか。言葉が通じないなら、今の内に逃げてしまうべきだろうか。着のみ着のままというのが不安だが、こうなるとその方がまだ面倒が少ないかもしれない。
入れ替わりに、最初のメイドさんが入ってきた。綺麗な銀の長髪の、大人っぽい人。印象的な赤い瞳で、こちらに近寄りながらウィンクをくれる。何だろうと思っていると膝の上に置いていた右手を取られた。なんとも自然な動作だったので無警戒になすがままである。それにしても長くて綺麗な指だ、と妙なことに感心していると、その両手で右手を包んで胸の所に持っていかれた。温かい感触。多分、御安心下さいのジェスチュア。
出来た人だ。尊敬する。目覚めてからこちら馬車の中なので外の状況など定かではないが、それでもこの気配りは中々できるものではないと思う。美人さんで器量良しとくれば、嫁の貰い手も数多だろうなあなどと下世話なことまで考えてしまう。
そうこうしている内に、再び馬車の前がざわついてきた。幾人かが何事か囁き合っているのを気配で感じる。今度は何事だろうかと内心戦々恐々としているのだが、目の前の良い人メイドさんが相変わらずにこにこしているのでそれならきっと大丈夫なのだろうと楽観出来てしまうのも逆に恐ろしかった。なんだかんだで割と平静である気がしていたのであるが、思うより心が弱っていたらしい。
外から声がかかる。メイドさんが答える。ここぞとばかりに警戒心を最大限捻り出そうとするが、それもメイドさんに微笑みかけられると根こそぎである。駄目だこれは。
……まあ、寝ている間に話が多少悪い方向に進んでいたとしとも、あのお姫様は味方についてくれただろうからそこまで危機的状況にはなっていないだろうと、何故だか諦念混じりの楽観。
今度馬車に入って来たのは何やら先程の護衛らしき人よりも軽装の鎧を身に纏った女性だった。鎧といっても着ているのはがしゃがしゃうるさそうなプレートメイルでなくて、多分これは獣皮を蝋で硬化処理した革鎧。帯剣もしていない。赤の短髪と小柄な体格からは活発な少年のような印象を受けるし、兵士というにはそこまで筋肉質な体つきもしておらず、どういう役職の人なのだろうと思って見ていると、その女性は一礼したかと思うといきなり腰の鞘からナイフを抜いた。
悲鳴は上げなかった。一瞬でパニックに陥ってしまい、身体が脳から切り離されて再び完全に硬直したので声など出そうとしても出なかったのである。こんなのだからクールとか言われるのだ。本当は根っからの小心者なのに。
眼前で刃が振るわれる。間抜けにもそれをぼんやりと眺めるしか出来ない。そして、見慣れない黒い刃に一瞬意識が引っ張られ……あれ?
そのナイフはよく見ると刀身が石で出来ている。細かい材質までは流石に見た目だけでは判断しかねるのだが多分黒曜石。武器として使えないわけではないだろうが、柄の装飾からしてこれは儀礼用か何かの短剣だ。
そして、その女性はナイフを構えたままピタリと動きを止める。目を閉じ顔を伏せ、精神を集中しているのがその独特の空気で解る。低く囁かれるこれは、呪文?
次いで起きた現象には目を見張った。女性が握りしめる短剣の黒い刀身が、俄かに光り始めたのである。電球とかLEDとかの、ぺかーっとして安っぽい光ではない。湯気が立ち上るように、粘りのある光が刀身から染み出している。昨日のお姫様の言葉を思い出す。魔法士様。肩から力が抜けた。
魔法なのか、これは。
考えるより早く納得してしまっていた。何故いきなり魔法を使われるのかは理解できないが、害意はないのが理解出来るので大人しくしていることにする。相変わらずメイドさんはにこにこしているのであるし。
やがて、光は溶けるように消えた。驚きが先に立っていたから今一つ時間感覚がはっきりしないが、そう時間は経ってないように思う。微妙な沈黙の中、何をしていいやら解らずにいると、メイドさんが魔法士さんに一言。
「上手くいったのですか?」
おお、日本語だ。日本語だよ。とすると翻訳魔法だろうか? 一家に一台辞書要らず? もしかしてこれ教えて貰って使えるようになればもう英語の勉強しなくてもいいのでは?
安心した途端に物凄く現金な方向に突っ走る思考。むう、自省せねば。
「はい、その筈です」
魔法士さんがメイドさんに頷き、はきはきと答える。これもちゃんと日本語で、当然のように違和感なんてまるでない。敬語を使い合っているけれど、どうやらこの二人が信頼関係にあるようだというのもなんとなく解るくらい、自然に耳に入る。
メイドさんは少しほっとした顔で頷きを返すと、こちらに向きなおって恭しく御辞儀をした。
「私達の言葉は通じていますか? 通じているのならば、何か御言葉を頂戴したく思います。強き戦士様」
いや、何故にかような最上級の敬語表現なのだろう? もしかして翻訳が間違っているのではないか? しかしメイドさんは伏せた顔をあげないし、魔法士さんにいたってはいつの間にか畏まって跪いて頭を垂れている。二人ともちゃんとこちらを見てほしい。脈絡もなくこのような扱いを受けても市井の一女子高生としては困惑するばかりである。
「有難う。問題ないように思います」
そう言って見ると二人は顔をあげぬまま目配せをして頷き合う。仕方ないし当たり前のことではあるが、なんとなく疎外感を覚えてしまった。情けない。
「ラルス小隊長にお伝えを」
「はっ」
メイドさんが言うと、魔法士さんはきびきびと立ち上がってそのまま退室してしまう。話について行けず困惑するが、間を置かずメイドさんが話しかけてきて、フォローしてくれる。やはり出来た人だ、この人は。
「強き異国の戦士様。この度は我が国の王女、シェリスエルネス・セイレス・ドラウグ・コクヨウの危急を御救い頂き、感謝の念に堪えません。後程、王女と近衛師団小隊長から正式に礼を申し上げいたしますが、シェリスエルネスに仕える侍女としてわたくしがこの場で感謝を申し上げるのをお許しくださいませ」
文構造的にこの質問文の骨格は許す/許さないを問うているものである事は間違っていないのだろうが、だからといって許すと答えるのは応答としてどうなのか。適当に答えても大外れでなければ翻訳魔法がなんとかしてくれるのではないかという憶測が一瞬頭の隅に生まれたが、そういう問題でもないだろう。
「お気遣いなく。結局私は気絶してしまったようなので、大した事は出来ませんでしたから」
「まあ、御謙遜を」
また困った。こういう会話を続けられるような語彙の持ち合わせなど皆無である。というか一介の女子高生にそんな期待をされてもただ詮無いだけで。
経験上こういう場合、無意味な笑顔でその場を誤魔化し出来ればそのまま逃走するに限るのだが、相変わらず硬直気味の表情筋にその任が務まるだろうか。
ぎしぎしと悲鳴を上げる表情筋を酷使して笑みらしきものを作ってみる。すると不意に、彼女の纏う空気が変わった。失敗かと焦るがそうではない様子。大人な空気ではあるのだけど、先程迄とは違って、どこか悪戯っぽいような。
「貴女は姫様を救った英雄ですもの、王国としても邪険に扱う訳にもいかないのです。まだこの世界の状況が飲み込めていようですから不安でしょうけど、堅苦しいのはもう暫く御辛抱下さいね」
ぎょっとした。ああ、目を覚ましてから一体何度驚いているのだろう。この台詞はどう捉えても侍女が客人に、それも主人の恩人に向けて言うそれではない。
そして何より、彼女はこの世界と言う言葉を使った。昨晩お姫様は、キャンプ帰りのこの格好に対し初見で魔法士と呼んだ。だが、そうでない事は見る人が見れば当然の事である。元いた場所を、少なくとも日本の事を知っていれば誰にだって。
「そういえば自己紹介がまだでした」
メイドさんの言葉に思考から引き戻される。彼女はにこにこと、そしてとても悪戯っぽい笑顔を浮かべていた。
「わたくしはコクヨウ王国第一王女、シェリスエルネス・セイレス・ドラウグ・コクヨウ様にお仕えしております宮廷侍女、名をアカネ・ヒイラギと申します」
柊、茜。物的証拠など一つもなく、銀髪に赤い瞳という彼女の容姿に疑問さえ残るものの、これでは一つの線に繋いで理解するしかないではないか。
「柊さん、貴女は……」
「よろしければアカネと呼んで下さいね。敬語も必要ないですよ」
この訳の解らない状況、彼女の言葉を使うなら元とは違う異世界において、アカネ・ヒイラギは同類であり先達なのだという事を。
「それにしましても」
と、アカネは思い出したように呟いた。
「目が覚めてみれば周りは言葉の通じぬ異国の者ばかり。その状況でよく泰然としていらっしゃいました」
「……そう見えましたか」
「ええ、とても凛々しいお顔で落ち着きなさって、私の時とは大違いで。ですからてっきり、疎通の法……先程の通訳魔法は既に済ませたものだとばかり思っていました。その所為でシェリス様には少し恥ずかしい思いをさせてしまいましたけど……。流石はソーン・ベアを無手でお倒しになる御方です。王宮の殿方達よりもよっぽど、度胸が据わっておられますわ」
いや、その認識は物凄く間違っている訳なのだけれど。
えー、登場人物の名前についての突っ込みはなしの方向で四巻早く出ないかな。
二進も三進もいかなくなってしまい、どうにもこうにも余り上手く落とせませんでした猛省。特に最後の数行は後で脳みそが落ち着いてから書き直したいです。
次回の更新は来週土曜日予定。
誤字脱字等、気が向きましたら御指摘くださいな。