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神仙魔伝 紅の節  作者: 真赭 碧
2 月ト星
9/25

「ということでだな……」

右腕を月乃に任せながら、渋々少女は口を開いた。春陽も、もう戻ってきている。流石の彼女も少女と月乃の間に流れる微妙な空気を読み取ったのか、余計な口を挟まずただ様子を見ていた。

「自己紹介が遅れた。私は|里<さと>|緋豊<ひとみ>という」

目を伏せそれだけを言うと、あとは何も語ろうとしない。そもそも緋豊としては、最初から名乗るつもりもなかったのだ。名を知れば親しくなる、親しくなれば、距離が縮まる。それは避けたかった。避けねばならなかった。

 彼女は、認知されてはならない存在。彼女自身がそう決めたのだから、それは間違いではないだろう。己の在り方を決めるのは、他でもない己なのだから。そういう意味では、里緋豊という人間は既に己の在り方を決めつけていたと言ってもいい。

 けれど、相手がもう自分のことを知っているというのなら、そんなことを言っていても仕方がない。

 と、そんな思考を遮るように。

「あたしたちも名乗っておいたほうがいいよね~」

のんびりとした声が上がる。ぽや、とした笑顔を浮かべながら、春陽が小首を傾げていた。

「あたしは|街野<まちの>|春陽<はるひ>~。えっと、助けてくれてありがとう~」

なにも考えていなさそうな、言い換えれば幸せそうなその表情に、わずかばかりの癒しがもたらされる。

「|梨賀<りよし>|月乃<つきの>。私からも、お礼言っておくね。どうもありがとう」

包帯と傷口を見つめたまま月乃は言う。鎖骨に沿うようにつけられた大きな傷は服を着たままでは治療は難しいようで、先程から四苦八苦していた。

「……よし」

なにかを決めたらしく、月乃が顔を上げる。

 唐突に。

「脱いで」

「……は?」

突然の、それも突拍子もない要求に、緋豊でさえ少々間の抜けた声を上げる。言った直後に言葉が足りないと気付いたらしく、月乃が赤面する。

「ご、ごめん。包帯が巻けないから脱いでほしいの」

「あ、ああ。なるほど、そういうことか……」

怪我などしていないかのように、痛がりもせず袖から腕を抜く。現れた体は、スリムというより痩せこけていて。とてもではないが、成人男性を気絶させるに足る力があるようには見えなかった。

 するすると、細い肩に包帯を巻きつけていく。

「随分慣れた手付きだな」

感情はなく、ただ思ったことを口にすれば、まさか、と返す。

「こんなこと、慣れてるわけがないじゃない」

にしては、的確に治療している。いや、緋豊自身に医療の知識がない以上、それが的確なのかは正確には分かりっこないのだが。

 ────違う。話したいのは、こんなことじゃない。

 なぜ月乃は自分のことを知っているのか。それが知りたい。答えが己の中で出ているにせよ。

 けれど、知りたくない。知りたいけれど知りたくない。きっと月乃も同じ。だからこそ、ちゃんと話してと言ったくせに、問い詰めようとしない。お互いに、それに関しての話題を避けている。

 それならばそれでいい。お互いに知りたくない、知られたくない。ならばあえて話すこともない。どうせ今日一日の縁なのだから。

 そう、勝手に結論づけたときである。

「よし、こっちは終わり」

明るい声があがる。未だ出血は止まらず、巻いたばかりの包帯は既に赤くなっているが、それでもないよりましだろう。

「……気持ち悪くないのか?」

「へ?」

それは、疑問というより興味。それが、ぽろりと声になった。

「いや、普段こんな傷を見ることなんてないだろう? だから、気持ち悪くならないのかと思ってな」

「そりゃあ、まあ……」

正直、見られるものではなかった。普通の生活をしているうえで見るような、ほんの小さな切り傷とは、当然別物で。

「きついよ、私こういうの苦手だもん。でもさ、私たちがここにいなければ、あなたはこんな傷は負わなかったでしょ? それなら、私たちが責任とって、出来ることするべきだと思う、し、させてほしい」

わがまま。けれど、それは貫きさえすれば信念にも成り得る類のもの。|質<たち>が悪いな、と緋豊は思う。それが単なるわがままならば、付き合っていられないと突っぱねることも出来る。反対に、もう信念として完成しているのなら、任せてもいい。けれど、その中間ならば、ただ流されていくのみである。

「そう、か……」

ただ、それだけ。その返答に、月乃がなにを感じたのかは分からないが、その表情に不満はなかったように思う。

「さて、あと目立つ傷は左肩、だけど……」

そこで、言い淀む。それはそうだろう、なにしろこの傷は。

「撃たれた傷なんて、流石にどうしていいか分からないな……」

分かったら、逆に心配になる。一体どんな環境で育ったのだ。

 申し訳なさそうに言う月乃に、緋豊はひらひらと手を振る。

「こっちは大丈夫だ、拭いておけばいいだろう」

そう言って春陽からタオルを受け取ると、なんの躊躇もなくごしごしと荒っぽく拭き始めた。肌の汚れを落とすと、今度は手首に着けていたなにかを外して、丁寧に血を拭き取る。

「それ、ブレスレット~?」

「ああ」

満足したのか、緋豊はそれをふたりに見せた。

 銀鎖に、雫型の赤い石。クリスタルというより天然石を思わせるそれは、例え血が付いていても分からないほどの深紅。髪すら不格好に切られた彼女に、そのブレスレットはなぜかよく似合っていた。

「綺麗だね~」

そんなありきたりな言葉しか出てこないが、その感想は事実。春陽が感じたことそのものだ。そしてそれは、月乃とて同じ。一見、ただのアクセサリーだ。けれど、なにか他とは違う。魂すら閉じ込められるような錯覚。それは、この得体の知れない少女の所有物だからなのか。

「それにしても」

と、月乃は話を戻す。

「やっぱりその怪我、拭くだけじゃダメだと思う。病院行こう」

「馬鹿か、こんなもの、なんと説明するんだ」

「そうだけど……」

「それに、」

言いかけた月乃を遮る。

「本当に、こっちは大丈夫だ。だって……


――――痛まないから」


にわかには信じがたいその言葉。しかし緋豊はそれに関しての追及を許さず立ち上がる。

「行こう。その川沿いに、私がしばらく過ごしていた場所がある。そこからならお前たちに会った道まで案内できるから」

過ごしていた……? 野宿でもしていたというのだろうか。

 歩き始めた緋豊に、置いて行かれてはたまらないと、ふたりは慌てて立ち上がる。出していた包帯を適当に詰め込んで、彼女の小さな背中を追った。





「あいつの居場所を見張ってろって?」

リアンは、男に言われた言葉を反芻する。

「ああ。俺はてめえのことは信用出来ねえ。だから、とりあえず証明してみろってことだ。それだけですぐ仲間ってわけにはいかねえが、アジトくれえは教える」

「うーん、そうだねぇ……」

とても警戒されている。やはり、いきなり撃ったのがまずかったか。自身の行動に少しばかり後悔する。

 男たちの怪我は、せいぜい打ち身。既にその多くが、起き上がれないまでも、目を覚ましていた。が、あれだけ有利が状況にも関わらず見事に蹴散らされたのだ、戦意は喪失している。

「つまり、本当にあいつを恨んでいるのか、あんたたちの仲間になる気があるのか、あんたたちに敵意がないのか見せろってことかな?」

朗らかに、和やかに。男にしては少々高めの声で、リアンは問う。そういうことだと頷けば、彼はなにかを考える仕草をした。

「行ってもいいけど、それはちょっと無駄だと思うなぁ」

「どういうことだ」

ぎろりと睨めば、わざとらしく肩をすくめる。

「だから怖いって。

 どうもこうも、そのままの意味さ。行っても、多分あいつはいないよ。考えてもみなよ。こんな大掛かりな仕掛けまで作ったんだろ? 自分の居場所が割れてるなんてこと、子供でも分かる。守らなきゃならない人間がいる状態で、そんな危険な場所に戻ると思うかい?」

それは、正論。男たちも、緋豊の立場だったとしたら戻らないだろう。

 が、リアンの思惑は別にある。実際に彼女がその場所に戻ろうが戻るまいがどちらでもいいのだ。ただ、今は。

 ――――まだ、死んでもらっちゃ困るんだよね。

 それでは、彼の目的は果たせない。ただ死んでもらうだけではいけない。それが、彼の仕事だから。

「しかし困ったね」

そんな黒い思考はおくびにも出さず、あくまで明るくリアンは言う。

「これじゃ、あんたたちへの証明にはならないじゃないか。どうしようね?」

少しの間そうして考えていたが、突然、なにか閃いたように顔を上げる。

「そうだ、じゃあひとつ情報を提供しよう」

「情報?」

「そう、あいつに関して僕が知っていること、ひとつ教えてあげる」

淀みなく、すらすらと言葉を紡ぐ。まるで、初めからそうすると決めていたかのように。

「あのね、あいつ、放っておいても死ぬよ」

さらり、と。声のトーンを微塵も変えず、それが周知の事実であるかのように言い放つ。

「今すぐじゃない。でも近いうちにね。そうだな、15歳になる頃が限界じゃないかな。もうだいぶ壊れていたし」

意味が分からないと男が眉を顰めれば、黒衣の青年はなんでもないことのように言う。

「おや、気付かなかったかい? 右肩と足の怪我は痛がってたけど、左腕の怪我は全く気にしてなかっただろう?

 あいつの左腕はね、もう痛覚がないんだよ。だから痛くない。もしかすると、痛覚だけじゃなく感覚そのものがなくなってるかもね。まだ自分の意思で動かすことはできているけど、いずれそれもなくなる。彼女の体は壊れているからね」

なんでもないことのように。ただ淡々の事実を述べる。

「左腕が壊れれば、今度は左足。その後は右足、右腕。輪を描くように壊れていくよ。その先にあるのは、死、のみさ」

「待て、壊れるってのはどういうことだ」

「そのままの意味だよ。なにかの原因があって、体が負荷に耐えられなくなる。そして崩壊する。それだけのこと」

本当に、よくしゃべる。その言葉の真偽を確かめる術を、男は持っていない。

「つまり、わざわざあんたたちが手を下すまでもないってことさ。ただし、あいつが憎くて憎くてたまらないなら、殺せるのはあいつが15歳になるまで。それが言いたかっただけだよ」

そう締めくくると、リアンは少しだけフードを上げた。

「さて、今日のところはここで失礼させてもらうよ。この季節は外にいるの嫌だからね。……ああ、そうだ」

立ち去りかけて、しかしリアンは振り返る。

「やっぱりあいつのこと、見張っておこうか」

それは、唐突な申し出。自分でも妙案だとでもいうように満足げに話す。

「うん、そうしよう。あいつが新たな拠点を見つけたら、あんたたちに教える。これでどう? 悪い話ではないと思うけど」

青い瞳が細められる。それはとても楽しそうで、同時に邪悪で。

「……分かった、それで手を打とう」

「ふふ、良かった。交渉成立だね。しかし、となるとあんたたちの居場所……アジトって言うんだっけ? それも教えて貰わないと。どこに知らせに行けばいいんだい」

「……それもそうだな。気は進まんが仕方ない」

ここまでを全て計算して話を進めていたのかは、彼にしか分からない。けれどその結果は、彼の理想通り。

 布に隠され誰にも見られることのなかった彼の口元は、満足気に歪んでいた。


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