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リアンに連れられて圭が訪れたのは、港の倉庫街。こんな所になにがあるのかと落ち着かないまま辺りを見回していると、一棟だけ明かりの点いたそれを見つけた。
「なあおい、あれ……?」
「ん? ああ、あそこなのかな?」
「なのかなってなんだお前。自分の仕事じゃねえのかよ」
「仕方ないだろう。この倉庫街としか聞いてないんだから」
一体なんのためにこんなところに来ているのか、それすら聞いていないのに仕方ないと言われても、圭としても釈然としない。文句のひとつでも言ってやろうとリアンを見上げると、けれど唇に指を当てる仕草に黙らざるを得なかった。
「はい、これ」
声を潜めリアンが手渡したのは、圭でも扱えるであろう小型のナイフ。訝しむ圭に、リアンは微笑んだ。
「言ったろう? 人を殺すというのがどういうことなのか教えるって」
「つまり……殺せってこと?」
「いや、これはあくまで僕の仕事だ。ただ飛び火するかもしれないから、その時は自分でなんとかしてね」
なんという無責任な。扉に耳を押し付けて中の様子をうかがうリアンにじっとりとした視線を送るも涼しい顔で受け流される。
「つーかそもそもなんなんだよ。なんたってこんな所に」
にやり、と笑う彼に後ずさりするも、もう遅い。
「見ればわかるさ」
ガコン、と派手な音を立てて、金属製であろうシャッターをいとも容易く蹴り飛ばす。けたたましい音に思わず耳を塞いだ圭の目に映ったのは。
「お前ら……!」
緋豊を襲っていた、あの男たち。突然の強襲に慌てて武器を構える彼らに向かって、リアンはわざとらしくゆっくりと踏み出した。
「テメエ、裏切りやがったな……!」
協力しよう、などと言っておきながら、この状況。リーダーらしき男の抗議は尤も。けれどもリアンは、それを馬鹿にしたように笑い飛ばした。
「裏切った? 冗談。最初から仲間じゃなかっただけのことさ」
当然のように言ってのけるリアンに、男のひとりが唸りながら発砲する。が、弾速などより鬼たる彼のほうが速い。狂った笑い声を置き去りにして、まずはひとり、男の胸を切り裂いた。手には今まで持っていなかった抜き身の剣。どこから取り出したのかなどと考えている暇はない。そのまま手首を返してもうひとり。すっと身を引いて、血しぶきと銃撃を避けると、けらけらとおかしそうに笑った。
「あんたたちさあ、僕のことを本気で信じてたわけ? だめだよ、こんな怪しいやつの言うことなんか真に受けたら」
他人事のように言って、男たちの歯ぎしりと厳しい視線を流す。
一方的な殺戮。単純な問題。緋豊に敵わない男たちと、彼女を圧倒する青年。最初から結末など決まっている。
「あっ、やべ」
リアンに向かうことを諦めた一人が、圭へと突進する。ぼんやりと血しぶきが舞うのを見ていた圭は、リアンから借りたナイフを逆手に構えた。リアンほどの力はないにしても、圭とてある程度は場慣れしている。息を詰めて距離を測ると、相手の勢いも利用して喉を一直線に切り裂いた。覚悟していたような恐怖も震えもない。そう、こいつらは緋豊の命を狙っていた敵だ。殺すことに躊躇いなどない。
顔を上げると、むせかえるような血の匂いの中立っていたのはすでにリアンだけだった。けれどもそのリアン、佇んだまま微動だにしない。
「妙だね。嫌な匂いだ」
呟かれた言葉に、圭は眉を寄せる。今まで笑いながら人を殺し、まして吸血鬼の彼が、血を嫌な匂いなどと言う道理がない。
ふら、と圭を振り返る。一陣の風が通り抜け、間髪を入れずに背後で聞こえたうめき声。
「なんで……」
倒れ込んだのは、圭が先ほど殺したはずの男。リアンが投げたのだろう、眉間にはナイフが刺さっていた。深く切りつけたはずだ。生きているはずなどない。圭の疑問を見透かしたかのように、にっこりと笑う。
「殺したはずのやつが生きてたんなら、理由は簡単。殺しきれてなかったか……」
言いながら歩み寄って、男に投げたナイフを引き抜いた。
「最初から死んでたか」
ぐしゃ、と頭を踏み潰した。飛び散った脳漿に、さしもの圭も軽い吐き気を覚える。
ゆらり、ゆらりと、男たちが立ち上がる。ある者は四肢を失い、ある者は腸をぶら下げて、生きているはずのない有様で。
「ゾンビかよ……」
「ご明察」
それだけ言い残すと、再びナイフを振るう。正確に頭部を狙って、撃ち漏らしはなく。赤色に混ざる灰色。その蹂躙を、声も出せずに眺めていた。
「こんな、ここまでしなくても」
やっとのことでつばを飲み込んで口を開いたころには、リアンは念入りに頭を潰し終えたころだった。
「ここまでしなきゃ、きりがないかもしれないだろう? それに、いつまでも無理に動かされてたんじゃこの体がかわいそうだ」
「それ、どういう意味だよ」
「ああ、気付いてなかったの?」
ゾンビなんて言うから分かってるものだと思っていたよ、とのんびりというリアンに、圭は食って掛かる。
「だからどういうことなんだ。なんなんだよあいつらはッ!」
「どういうこともなにも、お前が言った通りだよ。あれはアンデッド。ただの死体だ」
「アンデット?」
「そ、動く死体」
ひしゃげた頭をしばらくまさぐっていたリアンは、目的のものを見つけたのか何かを引き抜くと、無造作に圭に投げてよこした。反射的に躱すと、それは軽い音を立てて転がる。
「当然だけど、死体ってのは勝手には動かない。動かないものが動くってことは、動かしてるやつがいるってことだ。いわゆるネクロマンサーってやつだね。それは媒介さ」
そっと視線を向けると、それは木の杭。
「惨いな」
こんなものを死体に打ち込んで操っていたなどと。死体は死体として腐敗していくのが一番幸せなのだ。
「くくっ……。そう言うなよ。お前の同族なんだから」
ねえ? と振り返った先の空間が陽炎のように揺らめいて、人の形を取る。
「同族、間違ってはない」
現れたのは、リアンに負けず劣らず黒い少女。地面にまで届くかというほどに長い黒髪に、黒い衣────和服にも似ているが、恐らくは中国のそれ────、目は布で覆い隠し、肌だけが死人のように青白い。
「これでお前からの依頼は終わりでいいかな、玉邑?」
玉邑と呼ばれた彼女は、いささか幼くこくんと頷く。
「玉邑って……黒帝か!」
皇帝の名を冠する5人の仙女のうちのひとり。仙女を総括する、媚蘭とも並び立つ存在。黒帝・楊玉邑。本来であれば屋敷から出ることもない人物に、圭は目を見張る。玉邑はそんな圭をちらと見ただけで、意に介せずリアンを見つめた。
「ご苦労だった」
「いや? こいつらそのものはそんなに面倒でもなかったしね。ただ、頭潰さなきゃいけないなら最初から言っておいてよ」
「うん、ごめん」
そう言い残すと、再び彼女の姿は揺らぎ跡形もなく消える。ごめん、とはまた尊厳もなにもない返しではないかと思う間もない。一瞬の出来事に引き留めることもできず、ぱちくりとしたまま見送った。
「ほら、いつまでそんなアホ面してるわけ? 帰るよ」
「いや待てよ。どういうことなんだよこれ。お前、なんでボクをここに連れてきたんだ?」
圭の問いに、リアンは一瞬なにかを考える。まあいいか、とひとりで納得すると、にこりと微笑んで語った。
「本来なら契約内容は人に話すものではないんだけど、お前に無関係な話でもないからね。特別に教えてあげる。
玉邑からの依頼は『暴走した人形を止めること』。あれは里緋豊を殺すために人間の死体から作られた人形だ。ある程度自分たちで動けるように、ちょっとした知能と里緋豊への偽物の憎しみを練り込まれてね。が、下手に知能なんて入れたからだろうね、玉邑の制御から抜け出して勝手に動くようになった。これじゃ人間にも被害を出しかねないってんで、あれを壊すように頼まれたわけ。
お前を連れてきたのは、お前が本当に人を殺すことができるのか見たかったからだよ。大切な人とどうでもいい奴じゃあ、殺した気分ももちろん違うだろうけど、そもそも肉が断てないなんてオチでもあったんじゃ、話にならないからね」
つらつらと語るリアンに、ただただ嫌悪感を募らせる。死体を使う玉邑も、それすら使って人を試すリアンも、およそ人とは思えない。けれど。
少し迷って圭は口を開く。
「なあ、ボクの依頼も受けてくれねえか? 報酬で出せるものなんてないのに、無茶言ってんのは分かってるけどさ」
緋豊を助け出す、それは『創造主』に背く行為。自分ひとりでは為し得ない。腕も立ち頭もきれるこの男は、ぜひとも手駒にしておきたい人物。
「報酬も無しに傭兵を雇おうなんて、ちょっと図々しいんじゃない? まあいいや。話だけは聞いておこうか」
頭から拒否されなかったことに安堵しつつ、圭は口を開く。
「緋豊を殺さずに助けられるかもしれないんだ。代償も大きいけど、それでもボクは、あいつに生きててほしい。あいつさえ生きててくれれば、ボクはなにも望まない」
捲し立てる圭に、リアンは知らず眉を寄せた。ある種の決意を秘め熱を帯びる圭の目。その目を、リアンは嫌というほど知っている。人に不幸をまき散らす、呪いの目。
「『あいつさえ生きてくれれば』、ね。つまり、自分はどうなってもいいと」
辟易とするリアンに気が付かず、圭はなおも訴えかける。盲目。思い描いた計画以外には、もうなにも見えていない。最愛の人の気持ちでさえも。
「ボクが身代わりになる。緋豊が生きててくれるならそれでいい。具体的な方法もあるし、論理的には可能だから大丈夫。だから……!」
ひゅ、と鋭い風切り音と共に、冷たいものが首筋に押し当てられる。向けられた刃にも勝るほど冷たい目をしたリアンが、ただ彼女を見つめていた。
「覚悟はあるの?」
いつもの微笑みすら消え去った唇が、冷静に言葉を紡ぐ。強者とまみえ愉悦に浸る彼とはまた違った恐ろしさをはらんで、傭兵ではない本来の彼がそこにいた。
「死ぬ覚悟なんて、とっくに」
「違う」
言いかけた圭の言葉を遮る。剣を握る手がわずかに震え、その拍子に圭の首の皮をわずかに裂いた。ぴりとした痛みは、それでも彼女の目を覚まさない。
「最愛の人を守る? そのために身代わりになる? お前の自己満足に僕を巻き込まないでくれる?」
反論しようとした圭に、しかし口を挟む隙を与えない。
「お前らみたいなのは、いつだってそうだ。大好きだの生きてほしいだの言って勝手に死んでいく。そりゃいいよね、お前らは死んでいくだけ。残された僕らがどんな思いで生きていくかなんて知りやしないんだから。命なんて自分ひとりのですら重いのに、自分を守って死んだ者の分まで背負わされる。死んだ者の命を無駄にできない。だからどんなに辛くても苦しくても死ねやしない。自分だけ生き残った、あの人を助けられなかったってずっと自分を責めながら生きていくんだ」
吐き捨てるように言って、圭を見据える。けれどその目は、圭ではない、ここにいない誰かを見つめているように思えた。
「もう一度聞く。覚悟はあるの? 自分が死ぬ覚悟なんてそんな無責任なものじゃない。自分の命より重いと思える誰かを、生き地獄に突き落とす覚悟だよ」
ぼんやりと、リアンを見つめた。普段の芝居がかった言動とは似てもつかないその言葉をゆっくりと咀嚼し、心に沁み込ませ。それでも。
「いい、いいよ。生き地獄でもなんでも。生きててくれるだけで、十分なんだ」
それでも、彼女の心を解くには至らない。
知っていた。分かっていた。仮に生き残ったとして、そこに圭がいなければ、まして自分のために圭が死んだと知れば、緋豊に消えない傷を残すことくらい、最初から分かっていた。それでも彼女は、緋豊の『命』を望んだ。
「生きてれば、きっとボクのことを忘れられるような誰かとも出会える。だから、あいつには生き抜いてほしい」
「……本気で言ってるの?」
「こんな悪趣味な冗談言わねえよ」
「そう」
剣が薄れ消える。憐れむように一瞥すると、リアンは踵を返した。後を追うこともしない圭に、淡々と言葉を投げかける。
「依頼を受けるかってことに関しちゃ、答えはノーだ。僕にできるのは、お前たちの行く末を見届けることくらいだよ」
最後にいつもの笑みを張り付けて、リアンは倉庫から出て行った。残された圭は、血の匂いに酔ったのかその場にへたり込む。どれくらいそうしていただろうか、なにを思っていたのだろうか。人の声がまばらに聞こえるようになった明け方ようやく、人目を避けてそっとその場を立ち去った。
────ふたりで生きて幸せになりたいって言ったのなら、いくらでも協力してあげられたのにね。




