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神仙魔伝 紅の節  作者: 真赭 碧
1 少女ハ言ウ
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 彼女は、ただ走っていた。同じような景色が流れていく。自分がどこへ向かっているのかも分からない。けれど、恐れはない。もう慣れた。

「しつこいな」

はるか後方から聞こえる男たちの怒声に、彼女は冷ややかな声で言った。いい加減諦めればいいのに、と。闘って勝てない相手ではない。けれど、彼女はもう、人を傷付けたくはなかった。

 足に鋭い痛みが走る。折れた枝か何かで引っ掻きでもしたのだろう。特に気にすることでもない。

 視界が開けていく。山道でもあるのだろうか。だが、なんにせよこんな時期に人は居まい。

 そう決めつけて、気配を探らなかったのは、彼女の大きな失策と言えるだろう。



 ガサガサと音がした。

「な、何? 虫?」

虫の類の苦手な月乃は、思わず春陽の後ろに隠れた。が、よく考えれば、虫にしては揺れる草木の範囲が広すぎる。イタチかなにかだろうか。まさか熊などということはないだろう。この山にいるなどという情報はない。けれど人程度の大きさがあるように思える。

「なんだろう」

春陽がそう呟いたのと、"それ"が姿を現したのは、ほぼ同時であった。

 人程度の大きさの影。いや、間違いなく、それは人間だった。それも、随分と小柄な少女。

「なんで、こんな所に人が……」

それはこちらのセリフだ。しかも少女が出てきたのは山道の脇、つまり、木々の生い茂る山の中である。奇妙なものだと、月乃は少女をまじまじと見つめてしまった。

 やせ細った手足。伸びっぱなしの髪の毛。色あせた衣服。どれをとっても、まともな生活を送っているとは思えない。整った顔立ちをしているというのに、光の無い瞳と静かな警戒心は、人を拒み冷たい色を醸していた。

「何?」

目が合った。警戒心のなかに、敵意が混ざる。強すぎる威圧感に、月乃は目をそらしてしまった。

「いや、その……」

目を伏せ黙りこんだ月乃とただ自分を見つめる春陽を尻目に、少女は引き返そうとした。また山道を逸れ、木々の生い茂る中へ。慌てて呼び止めたのは春陽だった。

「待って! 迷子なら、一緒に戻ろうよ~。そっちは危ないから~」

春陽が言い終えないうちに、少女は再び歩き出した。その背中はあからさまな拒絶を示していたが、月乃は構わず声をかける。

「ねぇ、どこへ行くの? ここから町に下りられるから、一緒に」

「大きなお世話だ」

鋭く睨めつけられ、呼吸が詰まる。彼女はなぜここまで拒む。

────いや、私たちは、なぜここまで関わろうとするのか。

 その答えが出る前に、今度こそ少女は行ってしまう。ふたりももう呼び止められず、彼女も振り向くことなく。



 なんだというのだ。なぜ関わろうとする。怯えられるか気味悪がられるか、どちらかだったというのに。

 先程とは比べ物にならない速さで少女は走る。思わぬ時間を食ってしまったうえ、追っ手と彼女たちを遭遇させるわけにはいかない。無力な少女たちを目の前にして彼らが取りそうな行動など分かりきっている。一度姿を見せ、誘導するか。

 ぴりぴりと痛む足をそのままに、少女は坂道を滑り降りた。



 春陽も月乃も、しばらく呆然と少女の消えた山の中を見つめていた。

 自分たちはなぜ、彼女のことが気にかかるのだろう。不気味なのではない。もやもやした嫌な気分が、胸の中で渦巻く。月乃はふと思い当たった。そうだ、あの子が昔言っていた少女の特徴が、そのまま当てはまる。確か名前は、

 そこまで考えた、もう少しで思い出せるという時だった。

「何……!?」

大きな、何かが倒れるような音。微かに聞こえる人の叫び声。それは間違いなく、少女の向かった先から響いていた。

「行ってみる~?」

「いや、流石に危ないよ」

よく遊びに来る山だとはいえ、山道から逸れたことはない。いや、ない訳ではないが、あれは単なる迷子というものだ。それに、一度踏み込んだからこそ山は甘くないということを知っている。間違っても、こんな軽装で知識もなく行くべきではない。

 一度町に戻って誰かを呼ぼう。ふたりがそう頷きあった時だった。

 頭に強い衝撃。視界が揺れ、端から暗くなっていく。体を支えられない。バランスがとれない。お互いを確認する暇も無かった。そのまま、地面で強かに身体を打ち付ける。

 ふたりが意識を手放す寸前、朧げに、けれど確かに見たものは、黒衣の青年と小さな少年の姿であった。



 くす、と僅かな笑い声が漏れる。そんな黒衣の青年を、少年────少女にも見える────は不気味そうに眺めた。青年は、夏場だというのに肌を覆い隠すように着込んでいる。ポンチョ風のマントはフードまで被り、さらには口元を隠すように布まで巻いているから、より一層気味が悪い。

「人を呼ばれちゃ困るんだよ。死なせたくはないだろう?」

青年は冷酷な声を落とすが、当然返答はない。少年が癖の強い黒髪を掻きあげて、倒れたふたりの様子を調べた。

「その前に、この子たち死なせてねェだろうな?」

「さあ? 僕の本業は人を殺すことであって気絶させることじゃあないからね」

「物騒なこと言ってんじゃねェよ」

「事実だから。特に人間なんて脆いからね。死んでるんじゃない?」

少年はそれ以上は返さず、呼吸、脈拍を手際よく調べていく。

 ふう、と息を吐いた。

「良かった、生きてる」

そのまま、自分とさほど体格の変わらない春陽を、少年は軽々と抱き上げた。

「何してるの」

青年の問いに、少年は呆れたように返した。

「ハァ? てめぇまさかこのまま放っておくつもりだったのか?」

「うん」

あっけらかんと答えた青年に、少年はため息を吐いた。物も言わず春陽と月乃を木陰に移動させる。この暑さだ、放っておけば、熱中症などで命を落としかねない。

「お前、妙なところで優しいよねぇ」

「ふん。てめぇが冷たすぎんだよ」

そう言い残し、すたすたと山道を下っていってしまう。青年もゆったりとした足取りで後を追った。



 少年たちが立ち去ったあと、

────残された春陽と月乃に忍び寄る手が、ふたつ。



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