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「私に分かるのはここまでだ。目が覚めたときにはもう星楽の姿はなかった。ついでとばかりに私の傷もきれいさっぱり治してあったよ」
語る間、緋豊は一度も月乃を見ようとしなかった。月乃も顔を伏せ、指先が白くなるほど強く手を握りしめたまま耐えるように耳を傾ける。
「こういうわけだ。だから、星楽を殺したのはこの私……、っ」
言いかけた緋豊に月乃は無言で掴みかかる。驚いてしばし目を見開いたのち――――どんな言葉でも、あるいは暴力であっても受け入れようとばかりに目を閉じる。
「あなたねえ……。ややこしい言い方しないでよ! あやうくあなたを恨むところだったじゃない!」
「……え?」
予想のはるか上をいく怒りに、緋豊ともあろう者が素っ頓狂な声を上げる。
「え? じゃなくて! あのね、今の話を聞く限り、悪いのはどう考えてもそのリアンとかいうろくでなしでしょう!? なんで自分が殺した、だなんて言ったの!?」
「いや、だって」
「だってじゃない!」
月乃自身、我を忘れているのだろう、冷静な彼女がここまで怒りをあらわにすることはほとんどない。春陽ですら、一年に一度見るか否かというところだ。なんで、と聞いておきながら相手の答えを待たないなどという矛盾したことを、普段の彼女がするはずがない。
「確かに、あなたと出会わなければ、星楽は今も私の隣にいたかもしれない。でもね、そんなのは結果論でしかない。どうなっていたかなんて、誰にも分からないじゃない。分からないことを、あなたのせいにはできない」
それに、とひとつ息を吐いて続ける。
「私があなたを恨んだとしたら、私まであなたを追い詰めてしまうじゃない。それは嫌だ。妹を見つけてくれて、最期まで守ろうとしてくれて、その上私まで助けてくれた。そんな相手を憎めっていうの?」
「いや、そんな……」
「いい? あなたは『殺した』んじゃなく『助かられなかった』の。そしてそれは私も同じ。星楽のことちゃんと見てあげていれば、あなたを探して山に入ることもなかったかもしれないし、そもそも迷わないようしっかり手でも繋いでいたら、あなたと出会うこともなかった。あなたが仮に星楽を『殺した』って言うなら、私もあの子を殺したことになるんだよ」
落ち着いてきたのか、途中で掴んでいた襟を離し、少し皺になってしまったそこをぽんぽんと叩いて伸ばす。
「その、ごめんなさい。いきなり掴みかかったりして……」
「いいや。私こそ、短慮だった。まさかそんなふうに言ってくれる人間がいるとはな」
それは、表面的な慰めなどではない。月乃が心の底から思っている、紛れもない本心である。もう何年も人と関わらず過ごしてきたせいで感情の機微には疎いであろう緋豊にすら明らかに分かるほどの感情だった。
それが、たまらなく嬉しかった。本心で語ってくれたということが。真正面から向き合ってくれたということが。
けれど。いや、だからこそ、自分はここから離れなければならない。昨日のように巻き込んで怪我などさせるわけにはいかないし、星楽のように助けられないなどもってのほかだ。
それに、緋豊が今まで生き続けてきた最も大きな理由は、あのシルファナと名乗った少女の言葉である。『自分が死ねば、星楽を知る者がいなくなる』と。星楽の記憶を持ち続けるために、今まで生きてきたと言ってもいい。けれど。
(ここに、いるじゃないか)
他でもない彼女の家族が、彼女のことを覚えている。それならば、もう緋豊が存在する理由はなくなる。
「あ、あのね」
これから先どうするかと、頭の片隅でそんなことを考えていると、月乃がおずおずと声を上げる。
「私の話も聞いてもらっていい、かな……?」
もちろんだ、というように、こくんと頷く。
「ありがとう。ちょっと変なことがあって……。いや、あなたの話じゃなくて私たちの側のことで。
星楽が見つかったとき、当然大騒ぎになった。そりゃ、こんななにもないところで殺人とかあったらそれが当たり前なんだけど……。それなのに……、忘れられたの」
「忘れられた?」
怪訝そうに眉を寄せる緋豊にこくりと頷く。
「そう。一か月もすれば、誰も星楽のことを覚えていなかった。覚えていたのは、私と、両親くらいだった。そのシルファナって子が言った『家族すら忘れてしまうかもしれない』っていうのは、あり得たことなのかもしれない」
不思議な話だ。穏やかな町であるこの場所で子供が殺されたなどと、何年も記憶に残ってもおかしくはない。だというのに忘れられてしまうなど、通常ではありえないことだろう。通常ではありえないことが起こっているのなら、その範疇を超えるなにかがあると言うしかない。
「それどころか、女の子が行方不明になって殺された、なんてニュースになってもおかしくないでしょう? それなのに」
「なっていない……?」
驚いて言う緋豊に月乃は頷く。
「当時なんの報道もされなかった。私たち家族としてはそっとしておいてほしかったからそれでいいと私は思っていたの。でもあとから考えれば、そんなのおかしいじゃない。なにより、私の両親すら、それを疑問に思っていなかったの」
なにかが、おかしい。少しずつ、けれど確実に、星楽が忘れられつつあるような。
「私は、その理由を知りたい」
そうか、と頷きかけて気付く。
「お前、今の話を聞いていたのか? 星楽は私と関わって死んだんだぞ。それなのに、お前まで私と一緒にいてどうする」
星楽の死について探るということは、同時にあの男について探るということだ。そんなことをして、無事で済むとは思えない。けれど、月乃はあっけらかんとして言う。
「そんなの、今更じゃない」
「今更って……」
確かにそうだ。星楽は『緋豊に関わった』というだけの理由で殺された。ならば、春陽と月乃も殺されてもおかしくはない。
「でも、そういうことじゃない。もっと、自分の命をだな」
「命を大切に、なんて、あなたにだけは言われたくないな」
「……っ」
「傷の手当もろくにしない、怪我してるのに無茶して戦う。命をないがしろにしてるのはどっちなの?」
なにも、言い返せない。けれど、緋豊にとって最も価値のないものは、彼女自身だ。それは、変わらない。
「わがままなのはわかってる。あなたが私たちのことを思って止めてくれてるのも。だけど、それじゃ星楽はずっとあのままなんだよ。それは……嫌だ」
「……分かった」
泣きそうな月乃の顔を見て、誰が拒絶できるというのだろう。
絶対に殺させない、死なせない。巻き込んでしまった以上、守り抜かなければならない。
――――また、生きる意味ができてしまった。
そんなことをぼんやりと思う緋豊の傍らを、淡い藤色の蝶が飛んでいった。
「まったく。おぬし、自分の身分が分かっておるのかえ」
「んー? まあ……一応はな」
呆けた顔で茶をすする男に、赤い衣を纏った女は言う。
「分かっておらん。どこの世界に呑気に茶などすする捕虜がおるのじゃ」
「ここに」
「そんな揚げ足取りを求めているのではないわ、たわけ」
やれやれ、とため息をつく女に、男は言う。
「で、あんた何しに来たんだ? 館の主が直々に捕虜に会いに来るなど、なにかあったのか」
「なんじゃ、どうせ暇じゃろうから構ってやろうとした妾の好意に気付かぬとは、吸血鬼王もその程度か」
「……吸血鬼王など昔の話だ。今はただのガイ=アグリアに過ぎん」
「ただの、ではなかろう。いまだ人の上に立っているからこそ、お主は今ここにいるのじゃから」
そう言う女を、ガイは睨む。
「無礼者」
ひゅん、という風切り音。白い閃光が目の前を通過していくのを視認する前に、ガイは身を引いて躱す。
「媚蘭様にそのような目を向けるとは、不届き者め」
カン、と携えた槍の柄を床に打ち付け、媚蘭の後ろから長身の女が現れる。随分ときつい顔立ちをしており、その上眼光が鋭いためか、眼つきが悪いという印象を受ける。狡猾そうな媚蘭とはまた別に、一癖ある人物だ。
「よい、下がれ聯珱。この男とて、本来なら玉座に収まっている身。王位を継いだだけのお飾りに価値はないが、こやつは違う。ならば、それ相応の敬意を払うのが道理じゃろうて。そのようなものを向けるのは感心せぬ」
「……申し訳ありません」
再び媚蘭の後ろに下がった聯珱に、ガイと媚蘭は息を吐く。
「すまんのう、こやつはとても忠実で槍の腕も確かなんじゃが、見ての通り少しばかり血の気が多くてな」
「というより、忠実が行き過ぎているだけのような気もするが」
「ま、否定はせぬ」
当の聯珱は、我関せずとばかりに媚蘭の後ろでじっと控えている。けれど。
「菻珱のように、もう少し思慮深くなってくれれば、文句無しなのじゃが」
という媚蘭の言葉には、眉をピクリと動かした。動かしたのみで、特に口も開かなかったが。
「お話し中失礼致します」
優しい少女の声が、異様に響く。聯珱が咄嗟に前に出て、媚蘭をかばった。
「そう警戒しないでくださいまし。少し情報を届けに来ただけです」
「その声、シルファナか」
ガイの問いに、窓からするりと入り込んできた紫の蝶が姿を変える。紛れもない、あの時緋豊の傷を癒し、星楽の首をつないだあの少女である。
「貴様、どこから入った。ここには我らの結界があるはず」
「ええ。実体では入れそうもありませんでしたので、こうして意識だけ飛ばしています。いわば霊体のようなものですね。直接訪ねられない無礼をお許しください」
「実体でなくとも、入れるはずが」
「ではどうして、シーナはここにいるのですか?」
槍を構えながら問う聯珱に、シルファナは微笑む。随分と余裕なその表情。実体がないということは、あくまで物理攻撃にすぎない彼女の槍はシルファナには届かないということ。あの笑みは圧倒的に有利であるからこそのものだろう。ここで戦う必要はないから問題はない。理解はできても、自分が無力同然であることが悔しかった。
「それで、わざわざ結界を潜り抜けてまで持ってきたという情報とはなにかの。いくらそなたほどの術者とて、この結界を越えるのは骨であったじゃろう」
「あやうく消し飛ぶところでした」
無論、ただの意識に過ぎないこのシルファナが消えたところで、彼女本体にはなんら影響はない。しかしそれ以上に、当代随一とも謳われる術師である彼女が苦戦したということに意味がある。
「では、本題に入りましょう」
仕切り直すようなシルファナの口調に、その場の全員が思わず眼つきを鋭くする。
「緋豊様……とおっしゃいましたか。あの方、また人とのかかわりを持ったようですよ」
「あやつめ……」
シルファナの言葉に、媚蘭は忌々しそうに舌打ちをした。
「そしてさらに、その場に兄様……リアンの姿も見られました。3年前のセイラという少女の時も、そうでしたよね?」
「おぬしらのところの頭のおかしい坊主のことはどうでもよい。問題は――――」
「どうでもいい? 本当に?」
「……なにが言いたい?」
真っ直ぐに媚蘭を見つめるシルファナに、眉を顰める。その不穏な空気を察知して、聯珱が槍に手を添えた。
「3年前の時も言ったはずです、『兄様は好き好んで弱者をいたぶる人ではない』と。そもそも緋豊様は、兄様が興味をもつような方ではありません。あの人が望んでいるのは、ただより強い相手との闘争ですもの。であれば、こう考えるのが自然でしょう」
「――――今のリアンは、傭兵として、誰かの手駒として、動いている、ということか」
黙って話を聞いていたガイが口を挟み、頷いた。
「確かに、それなら納得できる。人間の少女に付き纏っているのも、罪のない子供を非道なやり方で殺したのもな。傭兵として動いているのなら、奴の行動に奴の意思はない」
勝手に納得するふたりに媚蘭は言う。
「だとしても、問題はそこではなかろう。手駒であればただの道具。あやつの意思がないというのならなおさらじゃ。考えるべきなのは……」
「誰が雇っているか、ですね」
ふむ、と少し考え込んで、シルファナは口を開く。
「念のためお聞きしますが、貴女がたではないのですね?」
「無礼な」
答えたのは媚蘭ではなく、聯珱だった。
「我等があのお方を襲ってどうする。そんな馬鹿らしいことを聞くためにわざわざここまで来たのか?」
「ですから、念のためと言ったでしょう。それに、裏切り者がいるという可能性も捨てきれません」
「貴様……!」
カン、と石突を打ち鳴らす。
「我等の中に裏切り者がいると!? 愚弄するのもいい加減にしろ、そんなもの、いるわけがない!」
「と思い込むのは勝手だが、そうして疑うことを忘れた組織は、内部から壊滅するぞ」
「……!!」
「聯珱、少し下がれ」
ガイの言葉に槍に手をかけた聯珱は、しかし媚蘭に睨まれ動きを止める。
「下がれと言うておる」
「……御意」
釈然としない様子で、聯珱は退出する。捕虜とはいえ得体のしれない男のもとに主をおいていくのは不安なのだろう。だが、他ならぬその主の命令とあらば逆らうことはできない。
ひとり減った部屋で、媚蘭が重々しく口を開く。
「そなたらの言う通りじゃ。我等に裏切り者がいるなど考えたくもないが、ないとも言い切れん。妾は妾で調査するとしよう」
「……では、シーナは第三者が関与していると仮定して調べます。媚蘭様は、内部をお願いします」
「分かった、やってみよう」
その言葉を聞き届けて、シルファナは姿を消した。
翌日、月乃はまた緋豊のもとへとやってきた。今度は春陽も一緒に、である。
「緋豊~、こんにちは~」
のんびりと春陽が声をかける。が、返事がない。いつもならそっけない返事が来るところである。
「いないのかな……」
昨日は了承してくれたが、やはり巻きこまないようにと行ってしまったのだろうか。そんな考えが頭をよぎった。
「誰だテメェら?」
恐る恐る彼女がいつも座っていた場所を覗こうとした時、聞き覚えのない声がかけられる。少年とも少女ともとれるその声の主は、月乃が覗き込もうとしたまさにその場所から、ひょこんと顔を出した。
「おーおー、覗きか? 分かるよ、あいつ美人だもんな! でも感心はできねえよなあ?」
「ご、ごめんなさい。あなた、誰……?」
急な出来事に月乃すら対応しきれず、ぱちくりとしながら尋ねる。
「ん? ボク? よくぞ聞いてくれました! そうさボクこそ、いたいけな少女を護るナイトかっこ緋豊専属!」
よく分からないポーズを決めながらその人物は言う。
「その名も高原圭! ここに参上☆」




