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姉である、ということが、そんなに大切なことなのか。その妹がもういないとしても、姉としての存在価値はあるのか。『妹』が産まれることで『姉』になるのなら、『妹』が死ねば『姉』ではなくなるのが道理なのではないか。泡沫のように浮かんでは消える疑問に、答えなどありはしない。
「私にはよく分からないが……そう、私にできることは語ること、だけだな」
では、続きを始めよう。緋豊は再び語り始めた。
星楽とは、それきりもう会うことはない、はずだった。緋豊はその日のうちに荷物をまとめ移動を開始するつもりだったのだから。
星楽を送り届け荷物を置いた場所に戻った緋豊は、その光景にため息を吐くこととなる。
「まったく、私としたことが……」
おそらく野犬かなにかの仕業だろう。無残に荒らされたそれは、頭を抱えたくなるものだった。
木の実などで腹を満たしつつあてもなく放浪し野宿する、などという現代日本らしからぬ生活を送っている緋豊は当然のことながら生ものなどは持っていないため、異臭などはない。とはいえ、ここまで散々に散らかったものを片づける気力は、今の緋豊にはなかった。再び大きなため息をついて木の根元に腰を下ろすと、よほど疲れていたのか、すぐさま眠りに転がり落ちていった。
目を覚ましたのは夜中。夕方にそのまま寝てしまったのだ、なんら不思議なことではない。もっとも、もともと睡眠などろくに取らない緋豊にしては、長く眠っていたほうだろう。
空腹を覚えて周りを見渡す。荒らされてはいたが、ため込んだ木の実が少量残されており、ひとまずそれを口に入れる。小食の彼女といえどもそれで腹はふくれないが、なにも食べないよりは幾分ましだ。あとは、移動の道中でまた集めなおせばいいだろう。
さて、片づけるか。と荷物に向き直り――――あまりの散らかりように早くもやる気をなくした。
が、そんなことを言っていても仕方がない。やらなければならないという義務感と面倒臭さがいがみあいながらも、少しずつ片づけていく。出立の準備が整うころには、もう日が昇ってから随分経っていた。
荷物を担いで立ち上がり、そろそろ行くかと踏み出そうとしたとき、あまり聞きたくなかった声が聞こえた。
「ひとみおねーちゃーん! どこー?」
それは、紛れもなく昨日の少女のもの。どうしてまたこんなところにいるのだ、などという疑問はさておきひとまず彼女の姿を探す。また迷ったのかもしれないし、そうでなくても無視していくわけにはいかないだろう。ここで黙って立ち去ってしまえば、星楽はずっと自分を探し続けることになる。
「あ、いた! ひとみおねーちゃん!」
トコトコとこちらに歩いて来る姿はなんともかわいらしいもので、だからこそこんな危ないところにはあまり来てほしくはない。
「どうしたんだ、またこんなところに来て。まさか、また迷ったのか?」
「そんなことないよ! さすがにそんなに何回も迷ったりしないもん!」
「じゃあなんで」
「おねーちゃんに会いに来たの!」
当然のように胸を張って言う星楽に、緋豊はしばし唖然とする。たったそれだけのこと、そんななんの価値のないことのために、彼女はまたこんなところをうろついていたのか、と。
「また会えてよかった! 今度はおねーちゃんとおしゃべりしたいなーって!」
今にも跳ね回りそうなほど嬉しそうに自分を見上げる星楽に、珍しく笑みが零れる。
「ひとみおねーちゃん、おねーちゃんよりおねーちゃん?」
「おねえちゃん、というのは、昨日の?」
「そうだよ。わたしのおねーちゃん。おねーちゃんもね、とってもかしこくっておとなっぽいんだけど、ひとみおねーちゃんのほうがおっきくみえるから」
「お前の姉の歳を知らないからな。私は10だが」
「わ! じゃあやっぱりおねーちゃんよりおねーちゃん!」
楽しそうに跳ね回る星楽は無邪気そのもの。その笑顔を愛しく思うことは、同時に、緋豊と世間の乖離を浮き彫りにさせる。
別れなければならない。星楽の時間を、自分などのために使わせてはならないだろう、彼女には彼女のいるべき場所があるのだから。
「ありがとう。だが、私はそろそろ行かなければならない。もう一人でこんなところに来るんじゃないぞ。家族が心配してしまう」
「ひとみおねーちゃん、どこかにいっちゃうの? どこにいっちゃうの?」
「遠いところ。だから、ここに来てももう私には会えないぞ」
「う……」
寂しそうに眉を下げる星楽に罪悪感を覚えつつ、それでも、突き放してでも帰らせなければならないと、口を開いたその時に。
風が、吹いた。
それが自然の風ではなく、何かが駆け抜けたことによるものだと気付いた時には、もう遅い。
「星楽? おい、星楽!」
星楽は、その小さな背中を切り裂かれ、緋豊に向かって倒れこんだ。自分まで血に濡れるのにも構わず星楽を抱きかかえると、なにがあったのだとまわりを見渡す。――――いや、本当は分かっていた。目に映らないほどの動きが出来る者など、彼女はひとりしか知らない。
がたがたと震えながら、星楽は緋豊の腕を掴む。助けたい、なんとしても。その一心で、誰かの姿を捉えようと神経を張り巡らせる。だが、そんなことをするまでもなく彼は姿を現した。
「おや。僕としたことが、殺し損ねたか」
「お前……」
瀕死の星楽を見下ろして、悪びれもせず平然と、現れた黒服の男は言う。怒りと、憎悪と、そしてそれらを圧倒的に凌駕する恐怖が緋豊を支配した。
私では、勝てない。逃げられもしない。それはもはや確信であり、抗うことなどできはしなかった。無意識のうちに後ずさる。星楽の手から力が抜けていく。時間がない、けれど逃げられない。圧倒的な力量差は、当人たちでなく本来ならば無関係の星楽の命を蝕んでいった。
「どうして、こんな」
「さあ、どうしてだろうね?」
動けない緋豊を嘲笑うように男は言う。マントで隠されたその顔をにらみつけ、緋豊は決意した。抱きかかえていた星楽を、ゆっくりと降ろす。
このままではふたりまとめて殺されるだけ。それならば。
「ちょっと、待っていてくれ」
突破口を、自分で作り出すしかない。
勝てなくていい。倒せなくていい。ただ一瞬でも隙を作ることができれば、逃げられるかもしれない。まだ幼い緋豊には、その程度のことしか考えられなかった。




