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「来たのか」
「もちろん」
それが、さも当然のように。彼女らは言うのだ。
「あなたこそ、ちゃんと待っててくれたんだね」
「……この怪我で満足に動けるわけがないだろう」
「それもそうだね」
そう言うと月乃は、昨日と同じようにリュックから包帯を取り出した。
「とりあえず、巻き直そ? 膿んだりしたら大変だし」
どうして二人は、なんの見返りもなくこんなことができるのだろう。単純に『そういう人』なのだと結論づけられるほど、緋豊は純粋ではない。好意を好意として受け取れないのはなぜだろうか。
「酷い怪我だね……。ごめんなさい。私がちゃんと動けなかったばかりに」
あの大怪我が一晩で治っているわけもなく、吐き気がするほどの見た目の傷が包帯の下から現れた。自分たちが足手まといになっていなければ、彼女はこんな傷は負わなかったのかもしれない。そう思うと、なんともやりきれない感情が月乃の中に浮かんだ。
だが。
「馬鹿かお前」
一蹴。冷たい声が降った。
「ちゃんと動けるほどあんな状況に慣れていたら、そっちのほうが心配だ」
「でも」
「でもじゃない」
そう言うと緋豊は怒ったように視線をそらし、それきり黙ってしまった。なにが彼女の気に障ったのかはわからなかったが、緋豊にとって精いっぱいの励ましや慰めだったのだろうということはなんとなく理解できた。
「ねえねえ、ねえってば~」
ずい、と春陽が詰め寄ると、面食らったように身を引く。と、今度は包帯を巻いていた月乃に「動かないで」と怒られた。
「ご、ごめん。それで、なんだ」
どうにもやりにくい。自身が長らく人と接してこなかったというのももちろんあるだろうが、それを差し引いてもこの独特の――――ノリというのかテンションというのか――――は苦手であった。
「あれ、なに言おうとしてたんだっけ~? 分かる?」
「いや分かるわけ」
「あっ、そうだ~!」
「いひゃっ!?」
分かるわけがない、と言おうとしたところで、いきなり頬をつねられた。なにがしたいんだ、とわずかにいら立つ。
「ん~、ちゃんと食べてる~? ほっぺたのお肉なさ過ぎてうまくつまめない~」
「いや、なにしてんの……」
呆れたように月乃が言う。それなりに付き合いの長いふたりだったが、いまだに行動を理解しきれないことが多々ある。
「なにって、仲良くなりたいな~と思って」
「だからってなんでつまむの。それ何気に痛いからやめなって」
「う~。ごめんなさい……」
ようやく解放された緋豊は、憮然として頬をさする。まったく意味が分からない。
「よし、これでたぶん大丈夫」
きゅ、と包帯を縛って月乃が顔を上げる。そろそろ慣れてきたのか、昨日よりきれいにほどけにくいよう結ばれていた。また変なスキル習得しかけてるなー、などとひとりぼやいていた月乃のとなりで、今回は消毒液をかけられなかったことに内心安堵する。
「それで」
突然、月乃が改まって言う。なんの話がしたいのかは分かり切ったことだ。
「3年前のこと。星楽……私の妹のこと。
あなたは知ってるはずだよ。どうして星楽は『死んだ』のか」
その瞬間、驚いたように春陽は顔を上げる。
「……やっぱり、お前の妹だったのか」
厳しい視線を向ける月乃から目をそらし、緋豊はため息をつく。想定していたこととはいえ、どうにもやりきれない感情が緋豊を襲う。なぜなら。
「あの子は、私が――――殺した」
やはりと言うべきか、月乃も春陽も大きく目を見開く。が、月乃はすぐに歯ぎしりをし、緋豊に詰め寄った。
「それ、本当なの?」
「嘘なんてついてどうする」
月乃の問いに、緋豊は淡々と答える。ただ事実を告げるのみ。それ以上でもそれ以下でもない。どうしようもない事実がそこにあるだけ。
「本当、なら……」
そこで、一度言葉を切る。いや、切れたと言ったほうが正しいかもしれない。緋豊と見つめる黒曜の瞳には大粒の涙が浮かび、零れ落ちる。はっきりとしていた声は震え、嗚咽交じりとなった。
「本当なら、私はあなたを許せない」
「……だろうな」
「だろうなって……」
平然と言う緋豊に言葉を失うと、耐えきれなかったのか、月乃は一睨みして逃げるように立ち去った。
「ちょっと月乃!!」
慌てて立ち上がった春陽も後を追う――――かと思いきや、ため息をこぼしてぺたんと座り込んだ。
「も~置いて行かれたらあたし帰れない~」
「いや、そうじゃないだろう」
そこは追うところだろう、などと思っているうちに、月乃の背中は茂みの中に消える。これでは本当に迷いかねないだろう。
「ま、いっか~。たぶん月乃も戻ってくるし~」
「いや、来ないだろう。あんなことを言ったんだから」
「ううん」
ずい、と身を乗り出して春陽は緋豊の目を覗き込むようにして言う。
「戻ってくるよ。絶対に。だって、月乃はそういう人だから」
大きな瞳に見つめられ、言葉も出ないままただただ見つめ返す。互いの目に見たものはなんだったのか。それはふたりにしか分からないことだ。
「ん~、いつ戻ってくるかなあ。明日? 明後日? 違うなあ、たぶん一週間後くらいかな~」
「……おい」
春陽の言い方から、てっきりしばらくしたら戻ってくるのかと思っていた。すぐに戻ってくるから、帰りの心配はないということなのだと思っていた。
「一週間って、お前それまでどうするつもりなんだ」
「あっ」
「あっ、じゃない」
怪我はしていないはずの頭が痛む。馬鹿なのかこいつは、と、月乃の苦労が少しわかったような気がした。こんな奴と関わっていたら、ストレスで死んでしまいそうだ。
動きたくないというのに、どうやら彼女を送り届けなければならないようだ。ひとりで送り出して迷われても困るし、それで万一のことがあったら夢見が悪い。
「仕方ない、送ってやるからもう帰れ」
「いいの~?」
「いいもなにも、迷われても面倒だからな。妹だけでなく友人まで死なせただなんて恨まれるのはごめんだ」
そう言うと、春陽は不思議そうに首をかしげる。
「ねえ、それ、本当に本当?」
「だから、そんなことで嘘なんてついてどうなる」
「だって信じられないもん」
不満げに頬を膨らませて春陽は言った。こんな問答を月乃ともしなければならないかもしれないと思うと辟易とする。
「昨日はあたしたちを助けてくれたし、今はあたしを送ってくれるって、そんな優しい人がそんなことするかな~って」
「優しい? 私が?」
彼女がもう少し表情豊かであれば、鼻で笑っていたことだろう。ずっとあの男たちからの敵意しか向けられてこなかったのに、優しい人なはずがない。優しい人は、誰かに憎まれて狙われることなどありはしない。
「……くだらないことばかり言うな。置いて行くぞ」
「あ、待って~」
理解できないものは、彼女を苛立たせる。けれど、ずっと誰にも触れず、触れられず一人で過ごしてきた緋豊には、その苛立ちすら久方ぶりのもの。少し心地よかった。などと彼女が誰かにこぼすことはないとしても。