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神仙魔伝 紅の節  作者: 真赭 碧
2 月ト星
10/25

 緋豊が生活していたという場所に着く頃には、もう日が暮れかかっていた。これは怒られるなあ、と思いつつ、不可抗力だから仕方ないと月乃は開き直る。いや、しかしどうやって説明しよう。まさか、訳の分からない男たちに連れ去られ、訳の分からない少女に助けられたなどと言うわけにもいかない。困ったものだと、そんなことを考えていたせいか、らしくもなく石に躓いて転ぶ。

「大丈夫か?」

軽やかな足取りで、緋豊が駆け寄ってくる。やはり傷に障るのか、少々庇っているように見えた。――――左腕以外を。

「やっぱり、痛くないんだね」

月乃が洩らした呟きに、しかし彼女は首をひねる。

「お前たちは、痛いのか?」

「え? う、うん」

「そうか。じゃあそれが普通なんだろう」

返ってきたのはそんな言葉。自分の異変を、異変だと思っていなかったかのような、それ。

「さて、着いたぞ」

この話はここまで、と言うように、緋豊は前方を指差した。

 そこは、本当に川のほとり。雨で増水すれば、どこかに逃げねばならないだろう。その少し開けた場所に、確かに人が生活していた跡があった。

 置かれた小さなナップサック。木の枝に引っ掛けられた、色褪せた衣服。ボロ布と言っても差し支えないような風呂敷に包まれた、山菜や木の実。設置されたハンモック。ここでしばらく生活していたのは明らかだ。

「どういう状況よ、これ」

呆気に取られた月乃がそうこぼすと、なんでもないことのように緋豊は返す。

「どうもこうも、見ての通りだ。しばらくここで暮らしていた」

「いや、それがどういうことなの。家出?」

「家出……と言えないでもない」

微妙な回答だ。そもそもただの家出なら、こんな山奥には来ないだろう。好奇心を刺激されはしたものの、初対面で根掘り葉掘り聞くほど無神経ではない。ふうん、と頷いて終わらせた。

「私の生活事情はどうでもいいだろう。日が暮れてしまわないうちに戻るぞ」

そうだ。いくら彼女たちの家が比較的自由がきくとは言え、山に行ったきり夜になっても帰ってこないとあれば流石に問題になるだろう。今から下っても1時間はかかる。家に着くころには、太陽は沈んでいるだろう。

 ――――けれど。

「ねえ、」

月乃は立ち止まって声をかける。随分と思いつめたその表情に、緋豊はなにを言いたいのかを察した。

「私、やっぱり、」

言葉はうまく紡がれない。けれど、きっとこれが最後のチャンスだ。このまま別れてしまえば、彼女と出会うことは二度とないだろう。

「やっぱり、ちゃんと知りたい。……3年前のこと」

「…………」

けれど、僅かな沈黙のあとに返ってきたのは。

「知らない」

そんな、短い返答。

「少なくとも、3年前、私の周りではなにもなかった」

 それは、(あがき)

 彼女が自分の過去を守るための。

 そして、彼女にとっての日常を繋いでいくための。

 けれど、そんなものはあっけなく瓦解する。

「嘘だよ」

この美しい髪をした、利発な少女の言葉によって。

「だって、私はあなたを知っている。そして、あなたも私を知っている。そうでしょ?」

「どうして言い切れる? 私の記憶なんだ、私が否定すれば、それで終わりだろう」

終わらせない。ここで終わらせるなどあり得ない。ここまで来たからには、なにかしらの回答が欲しい。

「ううん、絶対あなたは知ってる。だって、私たちの年齢を知っていたじゃない」

「年齢?」

「そうだよ」

そこで月乃は小さく息を吸う。そうして、ややきつく緋豊を睨んだ。

「言ってたよね? 『お前たちより年上だ』って。

 私たちのことを本当に知らなかったのなら、どうして私たちの年齢を知っていたの?」

「……!」

あの状況で、そんな小さな言葉を覚えていたというのか、彼女は。

 言い返すことは出来ない。人とまともに話すことも久しぶりな彼女が、論理で勝てるはずがない。

 そう悟ると、緋豊は吐息にも似たため息をついた。

「……今日はもう遅い。帰れ」

「ちょっと待っ……」

「明日」

言いかけた月乃を遮って、緋豊は無理矢理言葉を繋ぐ。

「どのみち、私もこの怪我ではしばらくは動けない。あいつらに見つかった時点で移動しようと思っていたんだがな。今の身体では、長距離を動くことはできないだろう。

 だからしばらくここに居ることにする。そこまで聞きたいなら、また明日ここに来い」

それは、妥協(よわさ)。久々に誰かと会ったこと、話せたことは、楽しかった。それは誤魔化しようのない事実である。縁を切らなければならないとは分かっていても、自分の気持ちを裏切れるほど、彼女も大人ではない。

「道はこっちだ、来るならちゃんと覚えておけ。迷っても責任は取らない」

なにかを隠すように早口で言うと、彼女は歩き出した。正直、どちらを見ても木しかないようなこの山ではどうやって道を覚えればいいのかさっぱり分からなかったが、それでもなんとか特徴のあるものを見つけようと辺りを見渡す。

 が、そんな都合の良いものがそうそうあるはずもなく。すぐに月乃は諦めて、余った包帯を短く切り、枝先に結んでいった。

「……」

なにか不都合でもあるのか、緋豊は僅かに眉を顰めた。だが特になにも言わなかったから、許可と捉えていいのだろう。

 それから数分もしないうちに。

「着いたぞ」

視界が開ける。そこは、確かにふたりが最初に緋豊に出会った場所だった。

 少し驚いて、春陽が言う。

「意外に近かったんだね~」

「そうだな、私も最初にここに出た時は驚いた」

そう言うと緋豊は、ふらふらと来た道を戻ろうとする。

「ちょ……」

「道は分かるだろう? あとの用は明日にしてくれ、……流石に体が保たない」

言われてはっとする。本人がなんでもないように振る舞っていたことで忘れそうになってしまっていたが、彼女の傷は大怪我と言って差し支えない。そんな体でここまで無茶を聞いてくれたのだ。

「……分かった、じゃあ、また」

彼女が本当に明日もここにいるのかは分からない。もしかすれば、どこかに行ってしまうかもしれない。

 けれど月乃は、緋豊を信じた。いや、信じたというよりは、信じざるをえなかったと言うべきか。

「帰ろ、春陽」

「う、うん。じゃあまた明日ね~」

のんびりと、春陽は手を振る。思った通りと言えば思った通りだが、緋豊は振り返りもせず、その姿を消した。






「ごめんなさい――――!」

月乃は勢い良く頭を下げる。

 春陽と別れたあと、自宅にて。相手は母親の千秋である。

「ごめんじゃないわ! こんな時間まで山にいるなんて、なにを考えているのあなたは!」

「ごめんなさい……。帰りに、迷子になって……」

その怒りは順当なものであろう。もう日はとっくに暮れて、時計の短針は6を越して7に近づいている。夏休みとはいえ、春に中学生になったばかりの少女が山をうろうろとしている時間ではない。

「何事もなかったからいいけど……。まさか星楽のこと、忘れてないわよね?」

「……!」

その名前に、唇を噛む。

「忘れるわけない。だって、星楽は……」

言葉は切れた。続けられない。そんな娘の様子を見て、気が済んだのか呆れたのか、千秋は小さく溜息をついた。

「まあ、いいわ。これからはこんなことなしにしなさいね。心配する人間がいるんだから」

「うん……」

心配する人間、そういえば、緋豊にはそんな人がいるのだろうか。自分のことを想ってくれる、大切な存在が。



 カラン、と扉に付けられたベルが鳴る。そーっと顔を覗かせたのは春陽だった。

「た、ただいま~……」

「おかえりなさい」

「!?」

声が聞こえたのは、予想に反して自分の背後。つまり扉の外。

「ママ……なんで外にいるの……」

春陽によく似たたれ目。街野卯月その人である。

「なんでじゃないわよ~、あなたを探しに行ってたのよ?」

「う~、ごめんなさい~」

「ま、無事に帰ってきたんだしいいわ。あなたひとりなら心配だけど、月乃ちゃんが一緒だったなら大抵のことは解決できるでしょうし」

それは何気にひどくないか、とは思ったが、笑ってごまかされるのが関の山である。

「それにしても、随分と遅かったじゃない」

「あのね、変な子に会ったの~」

「変な子?」

卯月が問うと、春陽が目を輝かせて言う。

「そう、ちょっと変だったけど、とっても美人で強かったんだよ~!」

「……?」

頭でも打ったのかこの子は、と思いつつ、卯月は頷く。

「さ、父さんも待ってるわ。ごはんにしましょ」

放っておけば、いつまでもぴょこんぴょこんと跳ねながら話していそうな娘の背を押す。先程までの非日常が嘘のような、ありふれた光景であった。



 風が吹く。夏とはいえ、夜はなかなか冷えるものだ。もっとも、熱を持ち始めた傷のせいか、不思議と寒いとは思わなかったが。

「……馬鹿」

ただひとりで、つぶやいてみる。

 本当に馬鹿だ。律儀に待っていることなどないのに。ここから離れてしまえば終わる話なのに。

 そうしたくない、と思う自分がいるのは、やはり彼女自身が再会を望んでいるからか。

 風が、吹く。


 夜が更ける――――。



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